『旅立ちは突然に ①』
「あれ?ここは・・・・」
少年が目を覚見慣れない天井が見える。
布団からゆっくり体を起こすと、コーヒーの良い香りが鼻先をくすぐってきた。
「・・・・ここは、どこだ?」
頭を動かそうとすると、ずきりと鋭い頭痛に襲われ、少年は頭を抱えながら部屋を見回した。
目に映る部屋の装飾品はすべて記憶の中にない物ばかりである。その中で唯一知っている物――――破邪の剣が壁に立てかけられているのが視界に飛び込んできた。それに誘発されるかのように、先ほどの記憶が蘇ってくる。
「あれ?俺は確か儀式に成功して、小人達が死ぬって呪いは嘘だったって・・・・」そこで少年の記憶は途絶えていた。
少しの間思案してみたが、そこからは何も思い出すことは出来ない。仕方なく現状で得られる情報をもとに自らの状況を推理してみる事にした。
改めて周囲を見渡そうとしたその時、ふと視界の端に自ら着ている服の袖が目に入ってきた。
花柄の入ったカフスボタン、これは紛うこと無き自分のお気に入りのシャツだ。ただし、儀式の時に着ていた服ではない事に些か疑問を感じる。
「・・・・服は俺のだけど・・・・?」
初めて見る部屋。途切れた記憶。服だけは自分の物。ということは・・・・。
――――少年は一つの結論を導き出した。
「そうか。儀式に成功した拍子に、俺は異世界へ転生して――――」
「何言ってるかにゃん」
黒猫がベットの下から少年の上に飛び乗ってきた。予期せぬタイミングでお腹の上に乗られた少年は、「ぼえっ」と謎の悲鳴をあげ悶絶している。
苦しむ少年を無視したまま黒猫が「転生とか死に戻りとかそんな設定無いにゃん」と冷たく言い放った。
「すみません。チョウシニノリマシタ。クロさんチョットコワイデスネー」
少年の棒読みの謝罪に黒猫――――クロが仏頂面になる。
これはシャレにならない感じだと本能的に悟った少年が慌てて立ち上がろうとすると、再び少年の頭にずきりと痛みが走り、思わず頭を抱えこんだ。
「なんでこんなに頭痛いんだろう。まさか俺の記憶が何者かに操作され――――」
「単なる寝過ぎにゃん。」
瞬時にクロが少年の言葉を遮った。予想外の言葉に「え?寝過ぎ?」少年はクロの言葉に耳を疑った。クロの表情は至ってまじめである、とても嘘を言っているとは思えない。
「丸二日もずーっと寝てたにゃん」
「げっ!二日も寝てたの!?」そういいながら少年は辺りを見回したが、残念ながら周りに今日の日付を表す物は見当たらない。
「嘘にゃん。二日は言い過ぎたにゃん」
そう言いながらクロは笑顔をみせた。クロの表情に少年は安堵感を覚え、「なんだよ。じゃあ実際は何日位寝てたの?」と軽い気持ちで質問した。
「丸十日にゃ」
「え?」
何かの聞き違いだろう。少年は耳を軽くほじってから、もう一度クロに耳を傾けた。
「丸十日にゃ」
どうやら聞き違いでは無かったらしい。
「十日という事実に対して二日は言い過ぎじゃないよ!それはむしろ謙虚!!過少報告!言葉の使い方おかしいよクロ!!!」
「転生とか言うからわざとにゃ」
少年の抗議をクロはツンとした表情で受け流した。
「高度な言葉遊びもおできになられるのデスネ・・・・・・」
うなだれた少年の方に、クロはポンと手を置いて「ま、年の功というやつにゃ」と慰めた。そんなクロの発言に、そいういえばクロは何歳なのだろう?そんな疑問が少年の頭をかすめたが、とても今聞ける雰囲気ではないので、言葉を飲み込んで代わりに違う事を質問する事にした。
「ところで、ここはどこ?何がどうなったの?」
「ここの事を説明する前に、まずは儀式の後の事から説明するにゃ」
言いながらクロがベットの横のテーブルの上に飛び移った。つられて視線を移したところ、テーブルの上に淹れたてのコーヒーがあることに気が付いた。
「まずはこれを飲みながら、気を落ち着かせて聞くにゃ」
勧められるままに少年はコーヒーカップを手に取り顔に近づけた。コーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、少年の心を穏やかにしていく。そのまま一口すすると、「うまい!」不思議な甘みの後にコーヒーの香りが口いっぱいに広がっていき、身体中に染み渡っていくのを感じた。
「これはクロが淹れたの?」
「そうにゃ。上手いもんにゃ?」
得意げに鼻を鳴らすクロに、でも猫がどうやってこれを炒れたのだろうと、少年はテーブルの周りを見渡してみたが、すでに片づけられたのか、コーヒーを炒れる際に使用したであろう道具は特に見当たらなかった。
「それじゃあ、あの儀式の後の話を今からするにゃ」
少年がコーヒーの淹れ方について質問する前に、クロが目を閉じて話し始めたのを見て、少年は気持ちをクロの発言に集中させ真剣に耳を傾ける事にした。
「君が儀式に成功した後―――――」
◇◆◇
『うそおおおおおおおんんんんん!!!!!!!』
小人達の声が島中に響き渡った。全員が同じ表情で目を丸くし、顎が外れんばかりに口が開いている。
16年前の記憶では確かに辺境の魔王が「見事その剣が抜ければ、お前ら小人の命は無くなるから」と言っていたのを記憶している。これまで16年信じていた事が、見事に足元から崩れ去ろうとしている事を、小人達は未だ受け入れる事が出来ない。
「クシュン!確かにもう呪いの気配はしないね」
グリンが魔術を駆使して呪いの気配を探ってみたが、少年が剣を抜く前まで漂っていた呪いの徴候が、剣を抜いた後からは全く感じなくなっていた。つまりは、少年が剣を抜いた時点で呪いの効果は消えたと考えて良いだろうとグリンは結論付けた。
「ほんま、性格悪いで」
アカシがその場に座り込んで悪態をついた。最後の最後まで魔王の手のひらの上で踊らされた事に沸々と怒りがこみ上げてきて、みるみる顔が赤く染まっていく。そして怒りの矛先は当然のように魔王の娘である黒猫に向かう。
「お前初めから知ってたんか?」
「私を中心に展開した呪いだから、呪いの事は何でも知ってるに決まってるにゃん」
知らないって言えば丸く収まるのに、馬鹿正直ダガネ。とダークはため息をつくと、今にも手を上げそうなアカシの肩に手を置くと「アカシ、この黒猫は中立の立場だから知っていても話せなかったダガネ」となだめた。
「ほんなら最初からそう言えっちゅーねん」
仕方ないと分かっていても、一度上げた手を下げるのは難しい。ましてや相手は憎き魔王の娘だ。アカシはばつの悪さを悪態をつくことで誤魔化すと、くしゃくしゃと赤い帽子の上から頭を掻いた。
「アカシ、何を怒る必要がある!儀式は成功だぜ!そして騙されはしたけど、いい方に騙されて良かったぜーっつ!」
重い空気をぶち壊す明るい声で、ピンクの帽子の熱い小人――――マツオカが拳を突き上げた!
正論をぶつけられて、少しイラっとしたアカシであったが、まさにその通りである為返す言葉が無く、黙ってマツオカの上げた拳を見上げている。
「いや、でもね」白い帽子の小人――――ハクエイが片手をあげてマツオカの動きを制した。
「結局誰も死なないってとっても素敵な結論なんだけど、なんで辺境の魔王はそんな嘘ついたのかしら?」
ただのいやがらせ?それとも別の狙いがあった・・・・?ハクエイは助けを求めるように黒猫に視線を送った。ダークもそれに追うように黒猫に視線を送る。彼もまたハクエイと同じ部分を疑問に感じていたからだ。
二人につられて他の小人達の視線も黒猫に向けられる。
小人達の視線を一心に浴びながら、クロは「あくまで私の個人的な見解だけど・・・・」と前置きをして言葉を続けた。
「君たちに必死で彼を育て上げさせる為だと思うにゃ。儀式に成功れば彼は助かるという呪いと、儀式に成功すれば彼が助かり、君たちは死ぬという呪い。どちらがより真剣に彼を育てるかにゃ?」
「より覚悟を持って呪いの期日を迎えるのは、後者の方ダガネ」
「本当にそうかしら。辺境の魔王ってそんなにお人よしとは思えないのだけど・・・・」
どうにも腑に落ちないとハクエイは腕組みをして考え込んでいる。ダークも「確かにダガネ」と唸ると事の真相について思案し始めた。
他の小人達も特に何も考えてはいないが、二人の真似をして考え込むフリをし始める。
「あっ!」黄色い帽子のいつも小声でしか話さない小人――――カレーが珍しく大きな声を出した。
予想外の事に驚きすぎて、カレー以外の小人達6人全員が腰を抜かして地面にゆっくりとへたり込んでしまった。クロに至っては、気絶している少年のシャツの中に潜り込んで、顔だけシャツから出して、目を白黒させながらカレーを見ている。
「なんや!100年ぶり位にいきなりでかい声だしてどないしてん。なんか気づいたんか?」
「・・・・強制空間転位魔法、今日の日付変わったら発動するの思い出した」
『あっ!』
今度はカレー以外の小人達全員が大きな声を上げると、クロは反射的に少年のシャツの中に首を引っ込めた。・・・・少ししてそろりとシャツから顔を出して小人達の様子を見ると、小人達は言葉を失ってケツをぷるぷるさせながら頭を抱えて悶絶していた。
黒い帽子の小人 → ダーク
赤い帽子の小人 → アカシ
白い帽子の小人 → ハクエイ
ピンクの帽子の小人 → マツオカ
青い帽子の小人 → アオキ
黄色い帽子の小人 → カレー
緑の帽子の小人 → グリン