【Prelude de noir】 10
「……俺たち、なのか?」
「……うん」
彼女――友人は、輪廻の器を通してその〝歪み〟を捜していた。
おそらく彼女が私を見つけた時に、その思考がリンクしてしまったのだろう。
全てに気付いた彼女は、だからつぶやいたのだ。
――嘘、でしょ?――と。
「たぶん……ううん、確実にもう気づかれてる」
空の上ではおそらく、私たちをとらえるための兵士が集められているだろう。
神が創造したこの世界に産み落とされただけの私たちに、逃げる場所はない。
「だから、あなたは逃げて」
彼らの目的は、輪廻のバランスを元に戻す事だ。
私たちがこれ以上近づかなければ。
私たちがこれ以上思いあわなければ。
輪廻のバランスは、時間とともに戻るはずだ。
「……お前は、どうする?」
「私も、あなたと別に逃げるよ。戻ったって、私の居場所はもうないだろうしね」
悪魔と恋に落ちた天使など、受け入れられるはずがない。
話し合いの余地など、あるはずがなかった。
「早く行って。きっともうすぐ、ここに来る」
彼が何かをこらえるように唇をかみしめ、強く手を握り締める。
その手に手を重ね、私は小さな桜貝を彼の手の中に握らせた。
「桜貝は幸運を呼んでくれるんだって」
小さな桜貝に、私の思いを託す。
どうかあなたの未来に幸運がありますように、と。
手のひらに残された貝殻を見た彼は、もう一度それを強く握りしめる。
それからポケットに手を入れて何かを取り出した。
「目、つぶって」
「え?」
「いいから」
強引に彼が手で私の視界をふさぐので、私は大人しく目を閉じる。
そのままな?という彼の声と共に、手のひらが離れた。
しばらくじっとしていると、首に何かをつけられたような小さな重み。
「もういいぜ」
彼の合図に目を開き、かすかな違和感を覚える首元に目をやると、
「綺麗……これ、作ったの?」
小さな桜貝のペンダントが下がっていた。
私がペンダントと彼の顔をかわるがわる見ていると、彼は照れくさそうに頭をかく。
「暇、だったんだよ」
そんな、いつもの彼らしい口調に思わず笑いがこぼれる。
こんな状況であっても。
彼がいてくれるなら、私は笑っていられる。
どんな状況になっても。
彼がいてくれるなら、私はなんだってできる。
「……ありがとう。大事にするね」
「あぁ……」
ふと視線が絡み合い、彼がたまらなくなったように私を抱き寄せる。
今までにないほど強く、強く。
このまま、時間が止まってしまえばいいのに。
胸をよぎった願いが叶うことはもちろんなくて、私はゆっくりと彼から離れる。
「……もう、行って?」
「……わかった」
入り江から出ていくという彼を見送るため、私は砂浜まで出た。
外はもう真っ暗。黒い翼を持つ彼ならば見つからずに逃げ出せるだろう。
「……なぁ」
「ダメだよ」
彼が言わんとしていることは、なんとなくわかる。
けれど、口には出させない。
だって、口に出されてしまったら私はそれを受け入れてしまうから。
受け入れて、彼まで巻き込んでしまうから。
だから、言わせない。
「……じゃあ、元気でね」
最後の挨拶なのに、口から出てきたのはそんな言葉。
本当は、たくさんたくさん伝えたいことがあったのに。
口に出せばそれは、まるで尽きることがないから。
「……あぁ。お前もな」
きっと彼も、同じ気持ちなんだろう。
同じ黒い瞳の奥に、同じ顔をする私が映っているから。
繋いでいた手が、離れていく。
彼の翼が夜風に小さくはためいて、彼の体が波の上を滑っていく。
彼の姿は入江の外に消えた。
きっともう、彼には聞こえないだろう。
だからこそ、私は小さくつぶやいた。
「ごめんね」
逃げるつもりなんて、なかった。
そんなことをしたって、意味がないから。
彼がいなければ、この世に存在する意味なんてない。
それに、私たちが生きている限り輪廻のバランスが崩れる可能性はなくならない。
私たちのうちせめてどちらか一人を殺すまで、天使たちは追手の手を緩めはしないだろう。
だから、私は彼らを待つことを選んだのだ。
「死んだら……どうなるのかな」
人が死ねば、その魂は空の上で裁かれる。それはあくまで、輪廻の上にある魂の話だ。
輪廻の上にない天使が死んだら、どうなるのだろう。
何もない虚無の中に放り出されるとか、永遠に同じ悪夢を繰り返すとか、いろんな言い伝えがあるけれど。
どうせなら私は、永遠に同じ悪夢を見る方がいい。
だって――――。




