【Prelude de noir】 6
空が茜色から瑠璃色へ移り変わる頃、私は空の上に戻ってきていた。
夜中にはまた方舟を引いて地上に降りるのだけど。
それまでの間に一度自分の家に戻ろうとしている途中で、ふらふらと頼りなく飛ぶ友人の背中を見つけた。
いつもならもっと早く戻っているはずの彼女に呼びかけると、疲れた表情の彼女がこちらを振り返る。
「こんな時間まで、珍しいね」
「そうなの。昨日からずっと働きずくめで……」
昨日は寝てもないわ、とあくびをかみ殺した彼女の眼の下には、確かにクマができていた。
「何かあったの?」
最近はほとんどを地上で過ごしているせいで、こちらの話はほとんど知らない。
今までそれで困ることはなかったし、元から何事も傍観する性格だ。
自分の周りの情報だけで十分だったのである。
「んー……ちょっとね。でも、昨日の私たちの努力のおかげである程度落ち着いたし、今のところは問題ないわ」
だから今日はゆっくり寝る、と言いつつ今にも眠りそうな彼女の手をとった。
どこかごまかしたようにも聞こえたが、知ってることならしゃべりたくて仕方がないというような彼女が自ら飲み込んだことだ。
聞かないほうがいいのだろう、と私は判断する。
「ほら、気を付けて。送っていくから」
「んー……ありがと」
おとなしく私の後をついてくる彼女を一瞥し、私は先に彼女を送るため少しだけ高度を上げた。
「ほら、着いたよ」
半ば夢の中にいる彼女に肩を貸して、なんとか寝床にその身を横たえてやる。
そのはずみで、ポケットに入れていた貝殻がいくつか零れ落ちた。
「あ……」
「んー……?」
カラン、カランと小さな音を立てた貝殻の一つが彼女の頬にあたったらしく、彼女が小さく目を開く。
そしてその貝殻を見て、
「あ、桜貝だー……」
と、寝ぼけたようにつぶやいた。
「桜貝?」
私がほかの貝殻を拾い上げながら聞き返すと、のそりと体を起こしながら言葉を続ける。
「そー……。ある島国ではそう呼ばれてるらしいよ」
その島でみられる桜という木が咲かせる花びらに似ていることから、そう呼ばれているらしい。
「拾うと幸運が訪れるって言われてるらしい、よー……」
「あ、ちょ……」
そのままパタリ、と倒れてしまった彼女はすでに夢の中。
その手から転がり落ちた桜色の貝殻をつまみ上げ、私は小さくつぶやいた。
「桜貝、か……」
彼女を無事に送り届けて自分の家へ戻る道中、やはりいつもよりも飛んでいる天使の姿は多かった。
暗くなるころには家に戻り、早くに眠ってしまうのが天使たちの日常である。夜中に動くのはそれこそ、私や魂の管理棟に務めるものなどごく少数だ。
それほど大人数の手がいるほど異常な事態があった、ということなのだろうか。
しかし私には友人であるあの子以外に交流のある者はなく、行き交う天使たちに紛れて家に戻り支度をして、私は罪禍の塔へ向かった。
管理人は珍しく、疲弊した顔を隠しもせずリストをチェックしていた。
私の羽音に気付いて顔を上げ、小さく一礼する。
「こんばんは」
「ご苦労様です」
声をかけると、管理人がそう言いながらリストをたたんだ。
いつもならチェックにはもう少し時間がかかるはずだが、今日はどうやら数が少ないらしい。リストもいつもより短いようだった。
「今日は少ないんですね」
私が思わず口に出すと、管理人はえぇ、と頷く。
「なにやら輪廻の塔で問題が起きているようで……。こちらには情報が回ってこないのですけれど」
「輪廻の塔で……?」
輪廻の塔には、魂の輪廻を可視化した輪廻の器というものがある。
縁もゆかりもない私はうわさに聞く程度だが、今生きている魂や転生を待つ魂、そして地獄へ送られた魂などが全て小さな光となってうつされているそうだ。
それに異常が起きているということは、魂の輪廻そのものに異常が起きているということに他ならない。
「一部の関係者以外には箝口令が敷かれているそうで。こちらは普通に業務をこなすようにと」
「そう、ですか」
管理人が目を向けた先を追うと、いまだに明かりのともる輪廻の塔の先端が雲の隙間から見え隠れしている。
「……そろそろ、時間ですね」
「はい、行ってきます」
言いしれない不安を抱えながら、私は方舟を引いて空の上を後にした。




