これから先
「……分からん」
師匠はそう言った。
それからしばらく、誰も何も言わなかった。ベッドの上では、ルークが目を開けている。
光を向ければ反応する。刺激にも反応する。少なくとも、オルビアが診た限りでは明確な異常も見つかっていない。
《識別》で見える性質は事故前の記録と一致していた。生命を対象に《識別》しても同じだ。
【ルーク・レイフォードの魂 Lv.1】
それも、ちゃんとそこにある。それでも、俺たちを見てはいなかった。
「……レイジ君」
オルビアに呼ばれて顔を上げる。
「ここからは、私たちが診ます」
「はい。お願いします、オルビア先生」
俺たちにできることは、もうなかった。少なくとも今は。
その後はいくつか確認をして、研究施設の人間とも話をした。何をどこまで説明するのか、これからルークをどうするのか。そういう話の大半はオルビアに任せることになった。
研究施設を出る頃には、王都はすっかり朝になっていた。通りには普段より人が多かった。
セレスティア・アルケミーの研究施設で何かあったらしい。そんな話がもう広がっているのか、道端で新聞を手に話している人もいる。
少し前まで、ルークが生きた人間の《識別》に成功したという号外で騒いでいた街だ。今度は、その研究施設で事故が起きた。騒ぎになるのも当然なのだろう。
「帰るぞ、レイジ」
「はい」
俺と師匠は、そのまま王都をあとにした。
眠かった。ものすごく眠かった。考えてみれば、昨日からほとんど寝ていない。
魔の森へ戻ると、王都の騒ぎが嘘みたいに静かだった。木々の間を風が抜けていく。鳥の鳴き声がする。
見慣れた道を歩いて、見慣れた家へ戻る。何も変わっていない。王都で何が起きていようが、この森にはいつもの朝が来ていた。
「師匠、寝ます?」
「腹が減った」
「ですよね」
俺も減っていた。眠くても腹は減るらしい。
荷物を置いて、そのまま厨房に立つ。こんな日に凝ったものを作る気にはならなかった。適当に材料を出して、師匠と二人で朝食を作る。
師匠は普段より動きが鈍かった。包丁を持ったまま止まっているので、さすがに心配になる。
「師匠、眠いなら座ってていいですよ」
「眠くない」
「いや、眠いでしょ」
「眠くない」
絶対眠い。俺も人のことは言えないけど。
簡単な朝食を作って、いつもの席につく。師匠は食事をしながら、いつものように王立新聞を広げた。こんな日でも新聞は読むらしい。
俺も向かいから一面を見る。
大きな見出しが載っていた。
セレスティア・アルケミー王都研究施設で事故。
やっぱり、一面だった。
詳しい原因は調査中。研究施設の一部に被害。関係者が対応に当たっている。書かれているのは、そのくらいだった。
あの部屋に何があったのか。ルークに何が起きたのか。俺と師匠が何をしたのか。当然、そんなことは書かれていない。
新聞だけを読めば、研究施設で起きた事故の一つだ。
俺は一度だけ、記事から目を離した。
ルークは、今もあの部屋にいるのだろうか。目を開けて、呼びかけても答えずに。
結局、何が足りなかったのかは分からなかった。
「レイジ」
「はい?」
「指輪を外したぞ」
「……はい」
俺は新聞に目を戻した。そして、もう一度顔を上げた。
「はい?」
師匠は新聞を読んでいる。
「指輪を外した」
「いや、聞こえてましたけど!」
思わず声が大きくなった。師匠が面倒そうに新聞から目を上げる。
「なんだ」
「なんだじゃないですよ! それ、そんな朝飯食いながら言うことですか!?」
「いつ言っても同じだろう」
「違うでしょ!」
四百年近く使っていた指輪だ。それを外した。そんな話を、眠そうな顔で新聞を読みながらするな。
「というか、いつ外したんですか?」
「さっきだ」
「さっき!?」
「うるさいぞ、レイジ」
「誰のせいですか!」
師匠はまた新聞に視線を戻した。
俺は何か言おうとして、やめた。代わりに師匠の手を見る。
確かに、ない。ずっとそこにあった指輪がなくなっている。
その手で師匠はパンを取った。あまりにもいつも通りだった。
俺も少しだけ冷静になった。
「……外して、よかったんですか?」
師匠の手が、ほんの少しだけ止まった。新聞が下がる。
「分からなかった」
師匠は言った。
「はい」
「生命が何なのかも、ルークに何が足りないのかも分からん」
俺は黙って聞いた。
「ただ、どこまで分からないのかだけは分かった」
師匠はそれだけ言って、パンをかじった。
俺はしばらく何も言えなかった。四百年近く研究して、それでも分からなかった。
だったら、もう研究しないのか。たぶん違う。師匠のことだから、気になることがあれば調べるだろう。思いついたことがあれば試すだろうし、そのうちまた俺を巻き込むかもしれない。
でも、今までとは少し違う。それだけは、指輪のなくなった手を見れば分かった。
「そうですか」
「ああ」
師匠はそれ以上何も言わなかった。俺も聞かなかった。
朝食を続ける。
新聞の一面には、まだ研究施設の記事が載っている。王都では今頃、もっと大きな騒ぎになっているのかもしれない。
ルークがこれからどうなるのかは分からない。目を覚ますのか。俺たちの知っているルークに戻るのか。それとも、戻らないのか。
分からない。
「レイジ」
「はい」
「今日の昼はどうする」
「今朝飯食ってるところですよ」
「聞いただけだ」
「寝てから考えましょうよ。俺も眠いんですから」
「私は眠くない」
「まだ言います?」
師匠が新聞を畳む。どう見ても眠そうだった。
俺は残っていた朝食を口に運ぶ。
十年前、この森に来たときには、分からないことばかりだった。たぶん、それは今もそんなに変わっていない。
これから先だって、きっとそうだ。
分からないことなんて、この先もいくらでもある。それでも、分からないまま進んでいいのだと思う。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
これにて『転生して錬金術師を目指すことになった38歳のおじさんですが、どう考えても師匠の様子がおかしい件』完結です。
ここまでレイジとエレノアの物語にお付き合いいただけたこと、本当に嬉しく思います。
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改めまして、全45話、最後までお付き合いいただきありがとうございました!




