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親切な男性

 仕方ないのでロゼも従い、鳥の章の歌唱に参加する。


 歌唱をするなら全力で行う。聖力を歌に乗せて、人々の加護と幸せを願う、それが聖女の務めだからだ。


 歌唱が終わると少しだけ身体が軽くなり、窮屈だった衣装も僅かだが緩んだ気がする。


 ロゼは再び空を見上げ、脆くなった結界に危機感を覚えた。

 均等な厚みのある結界なのに、一部分だけが薄い氷の膜のようになっている。


 しかし、見物客が多いこの場で、結界が脆くなっていることを口にすれば民に不安を与えてしまう。


 ロゼは帰ってから神官に進言しようと思い、一旦は引くことにした。


 聖女達が連なって広場から神殿へ移動を始める。

 見物客達の歓声が沸く中、列を組んで進んで行く。


 ロゼは列の最後尾をみんなに遅れながらゆっくりと歩いて行く。

 広場から出るまでの間に既に集団から取り残されてしまうのはいつものことだ。

 身体が重たいので仕方がない。


 ロゼは背中に刺さる侮蔑の視線から逃げるように広場を移動する。

 その時、つんっと何かに躓いた。


「きゃあっ」


 足元にあった石に躓き、ロゼは派手に転倒したしまう。


「倒れると本当に豚のようだな」

「本当ね。これが聖女だなんて信じられない」

「神官長様が贔屓しているから調子に乗ってるらしい」


 喧しいわね、本当に。


 クスクスと、どこからか聞こえてくる嘲笑にロゼは辟易する。


 痛た……擦りむいたかしら……。


 肘の辺りがヒリヒリするのだが、身体の脂肪が邪魔でどうせ見えないので確かめようがないのだが。


 ロゼはゆっくり上体を起こし、先ずは手の砂埃を払った。

 これが他の聖女であれば、誰かがすかさず手を貸してくれるのだが、自分に親切に手を貸してくれる人はいない。


 そう思うと少しだけ悲しいし、惨めな気持ちになる。


 嘆いたところで変わらない……自分の足で立たなくちゃ。


 ロゼはそう思い、ゆっくりと立ち上がろうとした時、目の前に手が差し出された。


 白くて大きな手は厚みがあって指が長い。


「お怪我はありませんか?」


 落ち着いた口調の低音が静かに響いた。


 先ほどまで聞こえていた耳障りな嘲笑が気にならなくなるほど、ロゼは驚く。


 まさか、自分に手を差し伸べてくれる人がいるとは思っていなかったからだ。


 俯いていた顔を上げると、そこには紺色のフードを被った男性の姿があった。


 色白で艶やかな黒い髪は前髪が長く、中央よりも少し左から左右に分けている。

 紫色の瞳は知性と品性を感じ、整った顔は見たことがないくらい美しい。


 外套を脱げば大騒ぎになりそうな美麗の男性が目の前でロゼの顔を覗き込んでいる。


「……大丈夫ですか?」


 心配そうにロゼの顔を覗き込む男性の声にロゼはハッとする。


「ご親切に、ありがとうございます」


 手を貸してくれるのはありがたい。

 何せ、この身体は一度寝転ぶと自力で起き上がるのはなかなかに大変だからだ。


 ロゼは男性の手を借り、身体を起こして立ち上がる。


「おや、血が……肘を擦り剥いているようです」


 道理でヒリヒリするはずだ。

 しかし、身体を捻っても脂肪で患部はよく見えない。


「失礼」


 すると男性は上着のポケットからハンカチを取り出し、親切にもロゼの肘に巻いてくれたのだ。


「あ……ありがとう、ございます……」


 まさか、こんな風に親切にしてもらえるとは思っておらず、嬉しい反面、戸惑いが大きい。


「手なんて貸してやらなきゃいいのに」

「本当よ、貸す手が勿体ないわ」


 周囲の厳しい視線が助けてくれた男性にまで向いてしまっている。

 これは誠に申し訳ない。


「親切にして頂いたのに、申し訳ありません」


 ロゼは男性に頭を下げる。


「お気になさらず。こういった視線には慣れているので」


 鬱陶しい視線には慣れているってこと? まぁ、どこに行ってもこの顔なら仕方ないか。


 どこにいても、女性達が放っておかないだろう。

 ロゼはチラリと男性の顔を見る。


 その時、男性に纏わりつく黒い影が視えた。


 瘴気だ。男性の背後からまるで男性の首を落とそうとしているかのように纏わりついている。


 瘴気は魔物や魔物の棲む場所で発生する。瘴気は身体に有毒で聖力による浄化をしないと最悪の場合、死に至る。


 好んで瘴気を纏っている人はいない。


「こんなことではお礼になるかは分かりませんが……」


 ロゼは男性の前で手を組み、双眸を伏せる。


『慈し女神、我らが母よ。春を運び、夏を呼び、秋を告げ、冬を連れる、神風よ』


 ロゼが詠唱を始めると、清らかな風が男性を取り巻く。

 詩も聖女が聖力を発揮できる手段の一つだ。

 歌よりも簡易的で通りすがりの人に祝福を求められる場合には歌よりも詩で応えることが多い。


『どうか、彼の者に大きな加護と祝福を』


 ロゼは双眸を開き、組んでいた手を解いて男性の額に触れる。

 すると、触れた場所に白い光りが集まり、一瞬で弾ける。弾けた光りが男性の身体の周囲を巡り、その光に怯えるように瘴気が消し飛んだ。


 詠唱したのは『風の詩』の第三番。浄化の効力を持つ。


「こ……これは……」


 男性が目を丸くして、声を発する。

 これで身体は楽になったはずだ。

 どこから瘴気を連れて来たのはか分からないが、神殿の目と鼻の先で瘴気を連れて歩いている者を見過ごすわけにはいかない。


「女神のご加護がありますように。助けて頂き、ありがとうございました」


 ロゼは手短にお礼を伝えると、重たい身体を神殿の方へと向け、聖女の集団の後を追った。




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