第29話 風景
電車の窓から流れる景色をぼんやりと眺めながら、私はただ静かに息を吐いた。
ネットで偶然見つけた、小さな川沿いの町。
緑色の葉を背景に、川がゆっくりと流れる。少し坂を登れば、高台から街全体を見下ろせる展望台があるらしい。
目的なんて、特になかった。
スローライフを送楽ことには、美しい風景を楽しむのもあるのではないかと感じた。
最近は隼人さんに邪魔(?)されるし。
……そのはずだった。
目的の駅で降りて、案内看板を頼りに坂道を登る。
太陽はじりじりと照りつけていたけれど、川風が思ったよりも涼しくて、髪の隙間をすり抜けていった。
しばらく歩くと視界がひらけ、遠くの山並みと、きらめく水面が目に入った。
展望デッキの端に手すりがあったので、そこに手を置いて、ゆっくりと息を吐く。
なんだか、懐かしい。異世界で見た風景とはまったく違うのに、どこか優しい。
「……綺麗」
無意識に、そうつぶやいていた。
風景も、静けさも、まるで絵画みたいだった。
「――綺麗ですね」
「…え?」
声に驚いて横を向いた。
そこにいたのは、隼人さんだった。
「……は?」
「驚かせてすみません」
どこまでも穏やかな笑み。黒髪が風に揺れて、シャツの襟元が涼しげに揺れている。
「な、なんでここに……?」
「偶然ですよ。なんとなく俺も来てみたいと思って。偶然ですよ。」
「なんとなくって……」
偶然を強調する隼人さん。社長の仕事は忙しくないのかな。
私が目を丸くしている間に、彼は手すりの隣に自然と立って、同じように景色を見下ろしていた。
その横顔は、どこか懐かしく、少し切なげにも見えて――
「少し歩きませんか?」
彼に言われるがまま、私は頷いていた。
日差しを避けるように、川沿いの道を歩く。
途中にあったおしゃれなドリンク屋にふらっと立ち寄ると、隼人さんもついてきた。
二人でフラペチーノを買った。
私はチョコ、隼人さんは抹茶。
「……冷たい」
隼人さんはニコニコして私を見ていた。
どこまでも自然な流れだった。
だけど、それが逆に不思議だった。いつも彼の前では気を張っているつもりだったのに、今日はなぜか気楽だった。
「……こういうの、久しぶりかも」
「こういうの?」
「なにか特別な用事があるわけじゃなくて、ただ風景を見たり、飲んだり、散歩したり……。静かに過ごすだけの時間」
「……いいですね。星羅さんには、そういう時間が必要です」
「ふふ、そうかも」
歩きながら、フラペチーノを飲む私たち。
まるでデートみたいで、ちょっとだけ気まずくなって、視線を逸らした。
……いや、ちがう。これは、ただの偶然だ。
偶然ここに来て、偶然会って、偶然歩いただけ。
□
電車にて。
「同じ方向なので、一緒に帰ります」
と言って、自然に隣に座ってきた隼人さん。
電車が動き出しても、私たちは特に言葉を交わすこともなく、ただ座っていた。
窓の外を見ながら、私はフラペチーノのカップをくるくると指で回していた。
そして思った。
……楽しかった。
ほんの少しの間だったけれど。風景を見て、美味しいものを飲んで、隣に誰かがいて。
それが、心地よかった。
(なぜだろう、普通に楽しんでしまった………!)
電車の揺れに身を任せながら、私はそっと目を閉じた。
今日という日が、どこか遠い夢のように感じられて。
また、こんな時間があってもいいかもしれない――
ほんの少しだけ、そう思った。