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怒る義姉

翌朝、いつもと通りに目を覚まし特にやることがないので昨日渡された書簡にでも目を通そうかとした時にヴァンスが慌ただしく部屋に入ってきた。


「坊ちゃん、イレーヌ様がお越しです」

「こんな早くにか?」

「何やら大層お怒りのご様子で」

「……そう、か」


イレーヌ・シャーレッツオは兄上の妻で、俺にとっては義姉であり、兄上との婚前は近衛騎士として王妃陛下の護衛任務を担っていた先輩騎士とも言える。

正直、シャーレッツオ伯爵家の中で最も怒らせてはならない人物だと思う。

彼女の生家ロレンザ辺境伯家は侯爵家と肩を並べる一族であり、隣国ピグロッグからの侵攻を止める防衛の最重要領地に他ならず前線部隊の駐屯地でもある。

諍いが絶えない地域出身故かロレンザ辺境伯家の人間達は時として怒れる暴君と呼ばれることが間々ある最強の武家だ。

それは女性であっても例外ではなく義姉上もその一人。

普段は優雅で威厳ある振る舞いを心掛けている義姉上も怒ると忽ち気性荒く変貌を遂げて、夫婦喧嘩の時には従者たちが俺や両親の住む本邸に逃げてくるほどだ。

その女性が今、俺のもとに向かっている。

それも近付く足音からして周りの諌める声など聞こえていない状態で……


「クロウゼス!あれはどういうことだ!!」


バンッとけたたましく扉が開かれて、ズカズカと室内に入るなり未だ夜着のままの俺の胸ぐらを掴みあげる義姉上の額には青筋がくっきりと浮かび上がっている。

肋骨の痛みに耐えながらしっかりと彼女と目を合わせれば「ふむ」と声を漏らしてヴァンスが用意した椅子にドレスを気にする素振りもなく座った。


「まずは義姉上、着替えますのでお待ち頂きたいのですが」

「必要ない。肋骨を折った程度とはいえ怪我を負っているんだ。医師がせめて今日一日はベッドから動かんようにと忠告していったぞ」

「そうですか。では、『あれ』とは何のことでしょうか」

「お前の同僚であり、あの阿婆擦れの弟のことだ。急を要する事態にも関わらず姉に侍り、城にさえ赴かないとはホビロン隊ではどんな指導が行われている。マリウスに聞いても言葉を濁して話にならん」


精鋭教育小隊、それは本来ならば将来近衛騎士になることを約束された優秀な者たちを教育する為の隊だ。

当然、近衛騎士だった義姉上も教育隊を経て昇格しているし、兄上も教育隊出身者だ。

ただ、違うのは隊長の方針だろう。

精鋭教育小隊は俺が所属するホビロン隊、義姉上の次兄が隊長を務めるロレンザ隊、その他に2つあり、その内の1つは女性騎士のみが所属している。

入隊審査が最も厳しいのはホビロン隊、訓練が最も厳しいのがロレンザ隊と言われているが各隊の選抜基準や訓練内容は秘匿とされていて俺はホビロン隊以外の訓練を知らない。近衛騎士に昇格した以降は騎士同士でそういった話がされるのかもしれない。

兄上が言葉を濁しているというのだから、ある程度は知っているのだろう。ホビロン隊が明らかに緩いということを。

正直なところ、士官学校時代よりも兄上や義姉上との手合せよりも緩いと言っていい。

ハンネルなんかは音を上げていたし、彼が居ることでホビロン隊への入隊審査が厳しいというのも真実味がない話だといった旨を義姉上に伝えれば彼女は寝台を叩き怒りを顕にした。


「お前はその程度の場所に入って何を学んでいるというんだ?それもケメロイ・ホビロンの率いる隊にも関わらず、たった三日とはいえ今回お前に謹慎処分が下される理由は何だ?昨日の今日での処分決定の早さにも納得がいかない」


義姉上の言うことは尤もだろう。本来、俺が処罰を受ける対象であること自体おかしいのだ。

何せ隊長も副隊長も不在の任務などありえない事態なのだから。

その上、処分内容が義姉上の耳に入ったのは今朝かもしれないが俺のもとに報告が来たのは昨日帰宅してからほんの数刻経った頃。

見舞いついでにパッセが置いていった情報だ。

まるで最初から用意していたかのような早さで決まったらしく共に動いた騎士たちが口を挟む暇もなかったという。

というかまだ正式に下されていない処分を義姉上はどこから入手したのだろうか。


「ホビロン隊長は訳あって合流が遅れ、俺が代理で指揮権を持ちました。なので、俺が処分を受けるのは妥当であると判断されたのかもしれません」

「そんな訳がないだろう。お前に処分があるのであれば少なくとも上官二名も処分されるのが妥当だ」

「義姉上は既に退役された身です。詳しく話すことは」

「ほう?ならばマリウスと離縁し、再び近衛騎士として返り咲き、性根の腐った者共を叩きのめせば良いか?」

「いえ、その……」

「話す気になったか?私はお前と阿婆擦れの婚約についても詳しく聞いていない。事の次第によってはお前に充分な情報を用意してやることもできるが?」

「情報とは?」

「ハオスワタ侯爵家内部に私の手の及ぶ者が入っている。これは義父上にもマリウスにも伝えていない。全てお前次第だ」


ハオスワタの名にピクリと眉が動く。内部からの情報は喉から手が出る程に欲しいものだ。

それに義姉上を味方につけることが出来れば、もしもの時も動きやすい。

特に、完遂できずフェイブルを連れて逃げることにでもなれば尚更。

暫し悩んでから覚悟を決め、俺は義姉上に今までの経緯を洗いざらい話し、それを聞いた義姉上といえば今まで見たことがないほどの殺気を放っていた。

話せば話すほどにそれは増していき、燃え滾る怒りの限界値を超えた義姉上は一周まわって冷静なように見えるが底知れない冷ややかな殺意が感じ取れる。


「なるほど。分かった」

「あねう」

「王家についても理解した」

「あね」

「お前の手の者に情報を渡すよう指示しておく」

「……お願いします」

「それと、今日からマリウスには本邸に帰るように言っておこう」

「何故ですか?」

「近衛騎士の失態をまだ見習い騎士でしかない者に、それも兄が近衛騎士である者に全て背負わせ、更には愛する者を奪う蛮行があったにも関わらず、ただ見守れと?ふざけるな。ヴァンス、マリウスに言っておけ。クロウゼスとフェイブル嬢の婚約が再び成るまで帰ってくることは許さないと」

「……畏まりました」

「クロウゼス、もし必要なものがあればすぐに言いなさい。可愛い義弟のためだ。私が与えられるものであれば用意しよう」


そう言って退室して行く義姉上の紫の瞳は完全に据わっていた。おそらく今、兄上に会おうものなら何故国王を諌めなかったのかと殴りかかっているのではないかと思う。

ホッと息を吐いて控えていたヴァンスに目を向ければ、彼は硬直したように佇んでいる。

余程恐ろしかったのだろう。

と言うのも、ヴァンスは義姉上と兄上の婚約が成ってからというもの鍛錬に付き合わされることが多かったのだ。

それ故か二人の夫婦喧嘩の仲裁も毎度体を張ってヴァンスが止めている訳で、誰よりも彼女の恐ろしさを身をもって理解している。

我が国唯一の王子の師匠にもなっている兄上と女性騎士歴代最強とまで称された義姉上の夫婦喧嘩の仲裁など命がいくつあっても足りないだろうなと思いながら「大丈夫か?」と声を掛ければ、引き攣った笑顔で「はい」と言って動き出した。


夕刻、俺のもとを訪れた兄上に愚痴を聞かされたのは言うまでもなく、それでも兄上は協力することにおいては快く了承してくれた。

いや、そもそも協力するつもりでいたのだろう。

どうにか俺が動きやすくなるよう頭を悩ましていたのかもしれない。

だが、近衛騎士団も騎士団もハオスワタの手が及ぶ者が多くいるため迂闊な行動は取れないはずだ。

部屋を後にする際に「ショモナーに関してはあちらに非がある。クロウがどのような判断で王都に向かわせたにしろ謹慎以上の処分は不当と判断されているから安心しろ。これから得る功績を踏まえれば些末なことだ。それと謹慎処分に関しては三日後に正式に下される予定だから、それまでに負傷休暇ついでに必要なことは片付けておくといい」と言い残し去っていった。


寝台に横になったまま、ゆっくりと目を閉じる。

敵がどれほど膨大なのかは分からないが、味方は思ったよりも多い。

特に近衛騎士の上位者やキエナやエルゴ、それに義姉上のような高位貴族の出自を持つ者もいる。

決してハオスワタに対抗できないような勢力ではないのだと思い、少しだけ安堵した。

次第に薬が効き、眠気が押し寄せ久しぶりに悪夢のない眠りに落ちていった。

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