十二、魔女の舞台
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アンコールの嵐が過ぎればラーシェルは想像通りの歓声を浴びている。講演の予定はないのかと質問攻めだ。
誰もがこの後に控えている余興の存在を忘れている。勝つためには会場の空気を塗り替え、これ以上を手に入れなければならない。
(ならいっそ、これをひっくるめて注目を浴びてやるわ!)
脚本を変更すべくラーシェルへと近付く。
「おや」
メレに気付いたラーシェルは一瞬だけ驚きを露わにし、すぐに見惚れるような笑顔で固めた。
「とても素晴らしい演奏でしたわ。今宵の注目、全て貴方に奪われてしまいましたわね」
「まさか、私などには勿体ない言葉でございます」
白々しいことこの上ない。
「ご謙遜を。演奏だけでなくお心も素晴らしい方ですのね。わたくし感服致しております。それを見込んでご相談、いえお願いがございますの」
「と申されますと、何かお困りでいらっしゃいますか?」
とてもそんな風には見えないと言うラーシェルだが。
オルフェは見守るだけで会話を止めようとはしない。
「この度の演奏、とても素晴らしいものでしたわ。ですがそのせいで……わたくしの手配していたヴァイオリニストが逃げてしまいましたの。いわく『あんな人間離れした演奏の後に弾け? 冗談、自殺行為だろ!』と涙目で逃げられてしまって……」
メレの発言に観客たちも激しく同意する。アレの後で演奏とか勘弁願いたい。
手配したヴァイオリニスト? そんなものいない。最初からメレが弾くつもりでいた。
「それはお気の毒です」
「図々しいことは承知しています。ですが、よろしければ力を貸していただけないでしょうか。一曲だけで構いません。どうか哀れなわたくしに情けをいただけませんか!」
眉を寄せ悲痛な面持ちでメレは訴える。
「良い女優になれそうですね」
周囲に聞こえないような、とても小さな呟き。もはや唇が動いているだけの領域である。とはいえ唇の動きだけで音声を拾えるメレであった。
「何かおっしゃいまして? 失礼、よく聞こえませんでしたわ。どうでしょう、皆様も今一度お聞きしたくはありませんか?」
呼びかけを合図に拍手が起こる。メレは観客までも味方につけ始めていた。
ラーシェルは指示を仰ごうと主を見やる。
オルフェは頷き、彼らにとってはそれだけで十分なのだろう。選手交代とばかりにオルフェが歩み出る。
「まずは観客を見方につけるか。しかも可哀想なフリに即興コンビときた。観客も大した期待はしていないだろうな。期待の低いスタートとなれば驚きも増す――か?」
負け惜しみのように悔しさ滲む響きではなく、単純に感心しているといった様子で囁かれる。
「貴方ほど捻くれていないの、そこまで計算高くないわ。ただ、ラーシェルまで巻き込んで勝利してやったら誰かさんはすごく悔しがるかと思っただけよ。もう幕が上がるので、失礼させていただくわね」
「幕?」
オルフェの疑問はすぐに解決することになるだろう。ここからは魔女の舞台。メレ自ら構想を練り、脚本を書き、演出し、演じ……大忙しの数分間の始まりだ。
開幕は暗闇から――
突如照明が落ち、会場は騒然とする。あらかじめ決めておいた演出ではあるが、結果的に演奏の興奮を冷ますのにうってつけだ。
一つ、また一つ小さな明かりが灯る。
階段上には仮面をつけた男が一人、影のように映し出された。この闇が演出の一環であることはもう伝わっているだろう。
手には抜き身の剣が一振り、そしてラーシェルの奏でる音楽。
これだけ条件がそろえば敏い者は気付く。
「もしかして『闇と共に生きて』、あの流行りのオペラ?」
囁くように答えが飛び交う。
それは魔に魅入られた少女の美しくも儚い愛の物語。人気小説を原作にしたオペラは剣を手にしたヴァンパイアが少女と出会う場面から始まる。
「私も観たわ! 吸血鬼と人間の禁断の恋、なんて美しいのかしら! 幸運にもチケットが取れて足を運んだけれど、主演のアルベルト様の美声が今も忘れられないほどよ! でも、あの方はどなたなのかしら?」
「存じませんわね。あの方、オペラの真似事でもなさるのかしら……こんなところで?」
「そうよね。ここは劇場でもないし、あの迫力の舞台が観られるわけないもの。アルベルト様ほどの名優が他にいるとも思えないし」
期待から一転、落胆したような反応を見せる。
様々な観客の反応を受けながらメレはキースの初舞台を見守った。
(あなたならやれる。さあ、驚かせてやりなさい!)
『ああ、美しき人の子よ』
「え――」
熱狂的な『闇と共に生きて』ファンまでも言葉を失う。
聴き惚れたのだ。
メレの思惑が成功したことはこの反応で十分伝わった。ほとんど人と会話することのないキースの声は澄んでいる。一度声を張れば弱々しさが嘘のように、心地良いほど耳に響くのだ。そもそも演技力は期待していない。暗闇と距離、さらに仮面があれば表情も読めない。彼に期待しているのはその美声、旋律に乗せてしまえば問題ない。
切なげに伸ばされた手。
その先には応えるように相手役の少女が姿を現す。
誰もいなかった場所に忽然と。もちろん魔法を使っているが、人間にしてみればそれだけで驚愕の演出になった。
無論、正体はメレである。同じように仮面で顔を隠し、演目のためにドレスの色も深紅から純白へと塗り替えた。髪色は白から眩しいばかりの金へ。これでオルフェとラーシェル以外に気付かれることはない。
『こんなにも心焼かれる感情に苛まれながら何故! 私の胸は熱くならないのか!』
ラーシェルの名妓に乗せ、キースの演技は白熱する。
燃え盛る感情を表すように剣を振るう。
そんな葛藤など知りもしない少女は優雅に踊り続けていた。
メレの役割はキースの邪魔にならないようサポートし華を添えること。灯りに蝙蝠の影を飛ばし、霧を起こし、代わる代わる照明を当て、さらに少女は踊る。目が回る忙しさとはこのことだ。
愛しあえども結ばれない二人。本来長時間を越える大ロマンスなのだが、今回は良いとろだけを凝縮しているので展開は早い。何より客を飽きさせなかった。
既に物語は終盤を迎えている。
『この身に熱があったなら、この胸に鼓動があったなら……お前と共に生きられただろうか』
ひらりと吸血鬼の胸元から何かが落ちた。それは血に見立てた赤い薔薇。この演出はメレ独自のもので人様の屋敷を血まみれにしないための配慮だが、功を得たのか散りゆく様子が本物のように、いや。本物よりも儚げで印象的だったと後に誰かが語るのを耳にした。
次はまた霧の演出を――
白い霧が視界を悪くすれば、少女は攫われるように消えてしまった。彼女は何処へと観客は探すが、そのうちに吸血鬼の姿も消えていた。
後に残された真っ赤な薔薇だけが二人の愛の行方を知っている。
(それにしても疲れたわ……)
総監督の感想には情緒の欠片もなく、多忙な舞台の閉幕を喜ぶのみ。
メレは魔法でホールに光を戻した。それが演目終了の合図となり、イヴァン低は歓声に包まれる。
女性陣はハンカチを片手に涙を拭い余韻に浸っている。観客の反応を肌で感じ、ようやくメレは肩の力を抜くことが出来た。
素知らぬ顔で観客の背後に回り、思う。何ともご都合主義の甘い話、それがメレの『闇と共に生きて』への感想だ。
この演目に決めたのは巷での人気と、うってつけの演者が傍にいたから。本物が演じていると知ったら観客はどんな反応をしただろう。それはそれで見てみたかったと笑みが零れた。
キースの演技は満点。けれど自分に良い評価はつけられないだろう。
(わたくしには少女の気持ちが理解できないもの)
メレが共感し演じられるのは本来吸血鬼の方だ。彼の台詞は心の奥深くに刺さる。自分が何者なのか、己の存在を思い出せと言われているようで――
(だからこの物語は嫌いよ)
たとえ誘われても見に行くことはないだろう。
「よう、お疲れ」
「え……あ、ああ! ……いたのね」
気付けばオルフェが傍まで来ていた。ここに主演女優がいると知って近づいてくるのは彼だけだ。ちなみに主演男優はメレの足元でぐったりしている。
「まったく、欲張りな女だ」
「なんとでもおっしゃい。全て気持ちのいい称賛に聞こえるわ。さあ、勝者は誰かしら?」
「実に新鮮なアイディアだったよ。劇は劇場で観るものという常識を覆し、企画から演出、主演に至るまで働くとは恐れ入る。ラーシェルに命じて見物していた俺とは違うな」
「何が言いたいの?」
「侮りは捨てよう。俺の負けだ」
これまでの二戦、互いに学ぶものがあった。実に有意義な戦いだったとオルフェは語る。
すなわち戦績は一勝一敗。
「あと一勝で故郷に帰れるのね。二、三日で戻ると告げてきたのに、こんなに長居することになるなんて……」
「旅行なんてそういうもんだろ? 気にすることないぜ」
「いえ、貴方のせいなのだけれど。そもそも旅行に来たわけではないと、しかと心に刻んで三戦目の内容を提示なさい」
「そう焦るな。せめてパーティーを楽しんでくれないか? 主催者からのお願いだ」
「……まあ、それくらいのお願いなら聞いてあげなくもないわね」
華やかな雰囲気に感化されたのか、久しぶりの社交を楽しみたいという気持ちが芽生えていた。




