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十、ここは魔の館

これまで名前のみだった彼も登場されます。

 メレはソファーに突っぷした。

 貴族の優雅さ? 構っていられない。埃っぽかったはずのクッションはノネットによって掃除されていた。

 凝り固まった肩を揉み解し紅茶で喉を潤す。


「情報収集に過敏になり過ぎたかしら。……いいえ、知って損はないことよ! 魔法だけに頼っていては二の舞」


 ただ、メレにも想定外だった。

 名前、爵位はもちろんのこと。趣味から好きな食べ物、家族構成が書き記されていた。それも一人一人によって書かれている内容は詳しいものから曖昧な記述まで。つまり本当に彼が知り得ていることを余すことなく書き記してくれたということになる。

 当然ながら読む方も大変だ。


「この量を一人で……。まあ、ラーシェルがいれば簡単なことね」


 有能なランプだけに口惜しい。


「この量は読めないと思った? それとも読ませて考える時間を削る作戦かしら。いずれにしろ甘いわね! 見なさい一日で読み終えてやったわ!」


 誰も見ていないけれど。本来の勝負とはまったく関係のない勝負が始まっていたことをオルフェは知る由もない。


 恐るべき読書スピードと暗記能力によって出席者の情報を丸暗記したはいいが、問題はここからだ。既に外は闇色に染まっていた。遠くの方が明るいのはランタンだろう。


「さて、何をしてくれようかしら」


「あの、メレ様。余興をするんですよね? 別のことが起きそうでちょっと怖いんですけど」


「何を想像しているの、決まっているでしょう。勝たなければランプを取り戻せないのよ。観客を楽しませてこその勝利、だったわね」


 不穏な想像力を働かせた使い魔を諌め本題に移る。


「クラッシック、バレエ、オペラ、観劇、絵画……貴族というものは見事に芸術好きが揃っているのね。趣味は芸術鑑賞、この一言に尽きるわ」


「そういうメレ様だってどれもかじってますよね」


「嗜みですもの。どれもそれなりの形にはなるけれど……」


 それなりで勝てる相手ではない。


「わたくし自身が芸を披露するというルールはなかった。そしてわたくしの人脈なら劇場満員チケット即日完売レベルの著名人を招くことも可能。とはいえ……」


「明後日、ですもんね」


「そうなのよね……」


 これが一年も前に決められた日取りであれば容易かった。けれど明後日、されど明後日。彼らも自分の仕事で手いっぱいだ。

 代替案とばかりにノネットが手を上げる。


「定番ですが、楽器の演奏なんてどうです?」


 メレが演奏してはどうかという提案だった。


「そうね……」


 メレがそれなりと評価した自身の腕前は客観的に評価してもコンクール入賞レベル。披露するには申し分ないが、オルフェに勝てるかという点で判断すれば不安は残る。


「彼は何をするつもりかしら?」


「練習らしき姿は鏡に映っていないよ」


 相談役として顔を突き合わせていたカガミが答える。


「そうね。彼は愚かではないもの」


 その程度の相手なら今頃苦戦していない。カガミの存在はとっくに知れ渡っているはず。なにせカガミとオルフェは精霊友。


「わたくしが人間の世界でも著名であれば話は簡単だったかしら。『賢者の瞳』は繁盛しているけれど……そうではなくて、たとえば有名女優とか」


「魔女で商会オーナーで有名女優って、本当だったらスペック高すぎですって。でも、だったら魔法でなんとかなりませんか?」


 ノネットの案に異を唱えたのはまたしてもカガミである。


「一体どんな魔法を使うんだい?」


「それは……」


 魔法は明確なイメージを持って行使するものだ。ただ勝負に勝ちたいと願って解決するものではない。


「魔法……。そう、わたくしはただの商会オーナーで魔女……」


 ノネットの言葉を繰り返してみれば、この肩書だけで十分すぎたとメレは笑む。


「そうよ、わたくしには魔法がある。不足は魔法で補えばいい」


「メレ様?」


「ええ本当に、趣味が多くて欲張りなことね。でももっと欲張りなのはわたくしよ。いっそ全部ひっくるめてやりましょう。さあ、本気で勝ちに行くわよ!」


 やるべきことが決まったのなら不安を抱いている暇はない。


「カガミはこれから指示する映像を見せて。ノネットは当日のドレスを、コーディネートは任せるわ。必要ならブラン家に戻っても構わないし、カガミも好きに使いなさい。わたくしの魅力を最大限に発揮するものを用意しておいて。あとはタキシードも一着、わたくしの隣に相応しいものを頼むわ」


 テキパキと指示を飛ばす。進む道が決まったのなら全力を尽くすだけだ。


「イエス、メレ様! でもタキシード、ですか?」


「ええ。さっそくパートナーを叩き起こしてくるわ」


 おそらく大仕事になるであろう厄介な家主に悪態をつく。ようやくノネットは誰のためのタキシードであるか理解する。


「でもキース様、寝てるんじゃ」


「寝ていない時間を探すほうが大変よ。直射日光作戦でいく」


 彼は訪ねてこのかた部屋から一歩も外へ出ていない。安穏と眠りに着いている。メレの任務は彼の眠りを妨げることにある。


「……メレ様、ファイトです」


 確かにと、一瞬だけ優しさを見せたノネットもすぐに掌を返した。


 誰も見ていないのをいいことにメレは廊下を大股で歩く。淑やかに振る舞ってやろうという気持ちすらおこらない。


「キース! キース・ナイトベレア!」


 これだけ騒がしくしておきながら一向に出向こうとしない住人に腹が立ち始めていた。あの中は防音も完璧か。せめてものたしなみにノックはしたが、返事があるなど期待はせず躊躇いもなく私室へ踏み込んだ。


「キース、いい加減になさい!」


 標的の名を呼んでカーテンを引く。これで出てきてくれればいいのに、そう楽な相手ではない。

 部屋の中心に忽然と置かれている黒い棺、ようするに棺桶。その蓋を力任せに持ち上げてやる。部屋は埃っぽいというのに棺桶だけは艶が良く、まるで鏡のようだ。


「え……」


 その中で眠りについていた人物と目が合う。起き抜けに何が起こったのか、赤い瞳は把握しきれていない様子だ。


「ぎゃああああああ!」


 一拍置いて事態を悟る。日光を浴びせられたキースは顔を覆い悶え苦しんだ。


「と、溶けるううううう」


 絶叫しながら足元の方に丸まっていた毛布を手繰り寄せるが、メレも負けじと毛布を引っ張った。


「何を言っているの、溶けるわけがないでしょう。このわたくしが体質を改善してやったのに、寝ぼけるのも大概になさい!」


 必死の叫びにもメレは冷静そのものだ。


 ようやく光になれたころ、毛布の下から赤い瞳がちらりと顔を出す。


「へ? ええ? メ、メレディアナ、なんで……これ夢?」


 ぼそぼそと歯切れが悪く、あれだけ絶叫しておきながら別人のようだ。


「夢に見るほど焦がれてくれてありがとう。良かったわね、これは現実よ」


「へっ?」


「随分前からお邪魔しているわ。とっとと起きなさい。そしてわたくしに協力するの」


「は、え? えっと……」


 矢継ぎ早に告げられキースは目を白黒させている。

 ここでようやく家主は来訪者の訪れを知った。数日勝手に滞在されておきながら家主に見つからないのも考えものだが、ここで責めても意味はない。

 新鮮な空気を吸うため窓を開けたメレはそのまま窓辺を陣取って宣告する。


「明後日パーティーに出席するのだけれど、貴方にも手伝ってもらいたいの」


「え、なんで?」


「わたくしの友人の中で顔と声が一番良いのは誰? それはあなたよ、キース」


「そんなの、知らない。俺は、ここで静かにしていたい……」


 率直に褒めているにもかかわらずキースは震えている。隙あらば棺に戻ろうとするのを押し止めるのはなかなかに大変だ。ならばここで止めの一言。


「その静かな生活はわたくしの恩恵ということを忘れてはいけないわ」


「う、ううっ……」


 半泣きのキースはなおも棺桶から出ようとしない。こちらが酷いことをしているような気分にさせられるが情けはかけられない。心を鬼にする道を選んだ。


「さあ、しゃんとなさい! まったく、最近の吸血鬼はサディスティックにドが付くほどの鬼畜使用が流行りだというのに貴方ときたら、キャラ変更を要求すると何度言わせるの?」


「そ、そんなぁ……」


「キースなんて素敵な名前が泣いているわ」


「別に、いいよ、それでも。なんなら改名だってする。……生まれ変わったら棺の妖精になりたい。俺のことは棺の精と呼んで」


「呼ぶわけないでしょう、恥ずかしい。使い魔にもごめんだわ」


 律義に想像してから貶し、とにかくとメレは続けた。


「今回は事情が違うの。普段優しいわたくしも心を鬼にせざるを得ないほどに……。なにしろ相手が相手、万全の態勢で挑まなくてはいけない。貴方にも事情を話しておくけれど」


 魔法のランプを奪われてしまったこと、あの憎たらしい伯爵のこと、ランプ争奪三本勝負について手早く事情を話した。

 やがて全ての話を聞き終えた頃、キースは迷いなく言った。


「あのね、メレディアナ。それは君の不手際で、俺には関係ない」


「そう。ならわたくしも関係のない屋敷のカーテンなんて燃やしてしまおうかしら。ついでに棺は回収業者に割安で引き渡す。ああ、わたくしが破壊しても良いわね。得意だから! そのつもりで」


「ごめんなさい」


 キースは猫背をさらに丸めて小さくなった。早急に謝罪するのは自らの運命を受け入れたということになる。ずるずると引き伸ばしても不利が覆ることはないと察したのだろう。懸命な姿にメレはかざしていた手を下ろす。いつでも炎の魔法を行使する体制は整えていた。人目さえなければメレもやりたい放題である。


「わかればよろしい。大丈夫、貴方ならできるわ」


 笑顔で手を差し伸べるも、キースにとって絶望宣告でしかなかった。

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