22.絶望の
時間にして15分。これまで溜め込んだ鬱憤含めて、今までの欲求を解消するかのように唇を重ねる事15分。
俺の広げた探索網にひっかかる巨大な存在を感知した。
「――ここまでだ」
やんわりとユキを離し、開いた大穴を見上げる。
強大な何かが来る。
これ以上遊んでいるわけにはいかない。
俺が表情を引き締めて空を見上げると、これまで黙って俺とユキの様子を眺めていたオウカがニヤニヤと冷やかしにかかってきた。
「たっぷり15分熱烈なキスシーンを見せつけられた私に対する報酬は?」
「お前も要るか?」
この期に及んで面倒な事を言う彼女にうんざりして、思わずぞんざいにそんな返しをしてしまった。流石に適当過ぎたと視線を彼女へ向けると……湯でも沸かせそうな赤い顔がそこにはあった。
「……そっ、そんな返しが来るとはおも、おもわなかった!」
「お前……」
呆れると同時に、マジかよと呟きたくなる。
「待って! 分かってる、分かってるから何も言わないで!
びっくりしてんの、心臓が! 冗談だとわかってても!」
「……ま、終わったらな」
「終わったら!? 終わったら何かすんの! ねえ、何する気なの!?」
あそこまで顔を真っ赤にされて気付かない奴は居ない。
何というか……どいつもこいつも、何と言うか趣味の悪い奴らだ。
慌てまくるオウカを見て、ユキもまた暖かい視線を送っている。相変わらず表情が変わらないのに器用な事だ。
嫉妬心が無いのは、結びつきがあるからなのだろうか。
些細なことか。
ユキを助け出せたことで、俺の精神は妙に高揚し、そして安定している。
もしかすると、あの長い口付けが一役買っているのかもしれない。
ともあれ――ここからは、遊んでいる余裕はない。
ルナ、アキラはまだ来ない。
こちらから出向くことも考えたが……アレではな。ルナ辺りにバレたらお叱りを受けそうだが、仕方あるまい。
どうせどちらが相手でも俺が叩きのめす予定だったのだ。
片方しか気配が寄ってこないのが幸いだろう。
これなら順番に叩きのめすだけで決着がつく。
「来るのはどうせ竜だろうが」
〈天使〉は最終兵器のようなもの。先ずは手先の竜から来るのが常套句――と、思ったのだが。
その予想はあっさりと裏切られる。
「下がれ、ユキ、オウカ。〈天使〉が来やがった」
鬱陶しいほどの後光を背にしながら、霧をかき分けて現れる〈天使〉
が、その装いはガラリと変わっていた。
シルクのドレスはそのままに、ヴァルキリーを思わせる真紅の甲冑を身に着けている。槍もまた武骨な鉄の槍へと取り替えられ、左手に小盾を持っていた。
完全なる戦闘武装。
一体何が彼女の琴線に触れたのか。心当たりが多すぎる。
「えらいやる気の表れだな」
「貴方を放置することがどれだけ危険であるか、先ほど理解したところです。
一度ならず二度までも彼女を手繰り寄せただけではなく、よもやそれほどに〈魂〉を燃やすことが出来るとは……。
貴方は生きてはいけない。〈魂〉すら残してはおけない。
ここで〈命〉散らし果てて頂きます、イレギュラー」
「そりゃまた過大な評価をありがとうよ」
その一度目を俺は把握していないし、〈魂〉の燃焼に得意、不得意が存在するのだろうか。口ぶりからして、他にもご同類が居ると見ていい。だが、その存在を聞かない以上……この〈天使〉がさらりと始末したか、霧に紛れて隠れたかのどちらかだ。
「ところであのデカいペットはどうしたんだ。
たった一人で来るなんて、殺意が欠けてるんじゃないか?」
「この……っ、ぬけぬけと!
ここに〈領域〉を張ったのは貴方でしょう! 完全武装した私が、弱まりの隙を突いてようやくここまでたどり着いたばかりです!
有象無象はもとより、〈魂〉を得た程度の竜では立ち入る事さえ叶わない!」
「は、〈領域〉?」
心当たりがないのだが……〈領域〉?
〈空人〉が良く張る縄張りのことだとしたら、とんだ勘違いだ。
「待て。俺はそんな物張れるわけが」
「黙りなさい! 貴方は今すぐに殺します!」
目に見えて余裕を喪失した〈天使〉が、発言を遮って槍を向けてくる。
おいおい、急に人間臭くなったと思ったらこれかよ!
「『この手に』――」
反射的に〈アイ〉を召喚しようとして――神速の突きを回避するために、その場を飛びのいた。
遠くに飛んでいたと思ったら羽根を畳んで俺の前に降り立っている。
瞬間移動したとしか思えない速度。
「ヒュゥ――!」
美しい造詣の唇から漏れ出す吐息は、死神の鎌。
ひたすら速い、というのはかえってデメリットであるという常識を捨て置いた槍さばき。
速度を上げれば練度が下がるのは常人の言い訳。なら、速度・威力・精度・五感、全てを〈魔力〉で押し上げて足並みを揃えればいい。それで"最強"の攻守は成り立つ。彼女はそれを体現していた。
剣で受け、流し、距離を取るも地を往く〈天使〉の猛攻は遠のいてくれない。
踏み込ませず、離さない。
彼女は人間としての極地に立っている。
「空はいいの、〈天使〉サマ!」
「貴方がそれによって殺せるならばそうしましょう!」
つまり、彼女は地においてこそ"私"を殺しうると考えている。
決してそれは誤りではない。
彼女の〈魔力〉は最高級、その扱いは最上とくれば、何より優る戦士であろう。その術式もまた精錬されており、〈魔法〉の撃ち合いにおいても必勝に違いない。もし常人ならば、飛行した上空からの〈魔法〉を絨毯爆撃の如く撃ちこめばいいと考える。
それこそ罠。
今や私のコンディションは最高潮。
スイッチが落ちた直後、燃焼を終わらせた後ではないのだ。
この〈天使〉はまず間違いなく竜との戦闘を見ていた。
つまり、『此処は私の世界』を知っている。
アレは設定値が四方であるが、上空に関しては制限が無い。
それは"アイ"が『高空の相手と戦闘することは無い』として特に制御しなかった結果だが……少なくとも地上100mなら有効射程。空を往く〈天使〉の足元にさえ転がり込めば、『此処は私の世界』で堕天よろしく叩き落とせるのだ。
もしかするとその能力から私が〈領域〉を展開出来ると勘違いしているのかもしれない。見当違いなのだが。
それを訂正してやる時間は無いし、それより先にこの〈天使〉を堕としてやるのが先だろう。
「地にあれば私を倒せる、と思うのも勘違いだよ!」
手にした剣は不完全ながら完全なる聖剣。
最強の名を得るに足らないのは使い手が居ない故に。
私と言う不完全な使い手であっても、その能力は常識の物差しよりは更に長い!
「く……っ!」
〈天使〉が顔を歪める。
つかず、離れず。絶妙な槍の達人の領域にあるのが〈天使〉であるならば。
何もかもを踏み潰し、"最狂"の座をモノにしたこの私は〈破壊神〉である。
「フ……フフ……アハハハハハハハ!!!」
燃焼効率は最高潮。
〈魂〉を燃やす心臓は過去かつてないほどに稼働し、全身に血をブン回す。
〈天使〉恐るるに足らず。決して天上の相手ではない。
むしろ最高の好敵手であったか。
この私が過去最高のスペックを発揮した現状でイーブン。かつての巨竜でさえ私が勝っていた。
事ここに至り、あらゆる意味で最高潮を迎えている。
「笑っている、余裕が……貴方に、おありですか!」
顔を歪め、目にも留まらぬ攻防を交わしながら器用に吼える。
彼女には見えているのか。私の〈魂〉の残高が。
「この戦闘、1秒伸びるだけで貴方の〈魂〉は悲鳴を上げている!
ここまで戦闘が続いたことは無かったでしょう、貴方には!」
知ったような口を利く。
叫んだ隙に槍を払いのけると、懐に飛び込んで剣を一閃する。
すかさず差し込まれる盾。
あの小ささでは"受ける"のではなく"流す"のが普通だろうに、有り得ない程強固に受け止められた。
盾を用いて剣を弾かれ、また開く間合い。
「私と貴方、その戦闘力は同じ。
その事実――脅威に値します。が、その代償は高すぎる。
私は即座に〈魔力〉が回復し消費するものが無いのに対し、貴方は刻一刻と〈魂〉を削っていく」
「えらく薀蓄垂れるじゃない、〈天使〉サマ。イーブンに持ち込んで打ち合い続ければいつか勝てるなんて本当に思っているの?」
「ええ。貴方の"戦闘狂い"は理解出来ました。
恐らく、このまま打ち合えば消耗しきる前にどこかで私が斬り捨てられるでしょう。そんなヴィジョンが確かに見える」
「なのに余裕ね、君」
「それはそうです。私は〈天使〉という絶対者。貴方のような地を這う愚者に負ける道理は在りません」
繰り返される打ち合いの間に精神を持ち直していた。
澄ました顔が取り戻されている。
それとも、絶対者と言い切る程の勝機を見たか。
私も一旦引いて様子を見るか。
その思考は湧いてこない。
否。湧いた瞬間に私は負けるだろう確信がある。だからそもそも"考えない"。
この当方有利に見える状況は、私が私であるが故に見える錯覚だ。
実のところ、戦闘力は同じという評価から正しくない。
戦闘力が同じであれば精神面で圧倒的優位に立つ私がとうの昔に勝利している。無難に、傷を負わず、正しく戦う〈天使〉は"強い"だけだ。勝利をもぎ取る"強者"ではない。
そんな相手にイーブン。
それはつまり、私の戦闘力が相手に劣っていることに他ならない。
そのくせ消耗度合いはこちらが圧倒的に悪い。
轟々と燃える〈魂〉の在庫は火の車。エンジンを切った後に私が"残る"か非常に怪しくなってきている。
今すぐやめれば助かるだろう。だが〈命〉は無い。
私は、いつ勝てると知れぬ激闘に身を捧げるしか進む道は無いのだ。
「――っはあ!!」
無駄話に付き合っている暇すらない。
これ以上グダグダと引き延ばされる前に、私は飛び込んだ。
「ッシィ……!」
致命傷以外全て諦める他ない。
真に身を削りながら彼女の槍の間合いを切り崩していく。
「実体ではなく〈魔力〉による刃であれば射程を伸ばせるのでしょう。
何故やらないのです?」
鬱陶しい口を閉ざさせるために剣を振るうが、一手足りない。
どうしても届かない。
「分かっていますよ。それでは威力が幾らか落ちる。
私を打倒するには〈魔力障壁〉ごと私を一太刀の元に斬り捨てるしかないと貴方が理解できているからです」
分かっているならば口にする必要はないだろう。
高揚していた気分を害され、段々と表情が険しくなっていく。
一手。本当に一手足りない。
一歩及ばない。
あと一歩で届くと言うのに。
「その執念。その怨念。
恐ろしいと思います。貴方は〈天使〉に届き得る。
その一手を、貴方は死闘の末に必ず到達させる」
甘んじて槍を身に受けるも、盾を突破出来ない。
盾の死角から攻めると、必殺の槍が頭蓋めがけて突き出される。
時間すら彼女の刃。
もう、タイムリミットは残り少ない。
「追いつめられれば追いつめられるほど、貴方はより高まっていく。
私たち"上位"に立つ存在からすればとんだジョーカー。
ですが……」
余裕を見せる〈天使〉。
しかしようやく、ようやく絶対的な隙を捉える。
意図的に生み出されたわけではない。これは完全に思考の外。
これを逃せば次は無い。
ならばここに全てを賭けよう。
保身など捨て置け。私は〈天使〉を叩き堕とす――!
「 『剣魂一擲』――!」
「……ですが、届かなければ意味が無い」
眩しいほどの光の剣を放ち〈天使〉を両断する。
いや――
「な……っ!」
届いて――いない!
あろうことか、このタイミングで……〈天使〉は、空高く舞い上がっていた!
「……これでは致命に至らない」
こちらの一撃は光の剣。間合いは広く、効果は遠くまで及ぶ。
閃光は確かに飛行した〈天使〉へ到達していた。
だが、実体剣ではない攻撃では足りない。
〈天使〉の甲冑は肩から腰まで切り裂かれ、赤い血を傷口から噴き出していた。
だが、それだけ。
必殺にはとうてい及ばず、〈天使〉は今だ健在である。
「貴方の負けです、イレギュラー。
疾く滅びなさい。その〈命〉、すぐさま散らして差し上げます」
「――」
言葉も出ない。
絶望が胸を染め上げる。
駄目だ。勝てない。
心が"折れる"音が聞こえる。
先の一撃は本当に最後の一撃だった。
これ以上〈魂〉を燃やし続けることは出来ない。
仮に燃やしても、〈天使〉を堕とすに足らない。
勝ち筋は全て高く空へ飛び去ってしまった。
「――」
未だ〈魂〉を燃やし続けているからこの絶望がしっかりと俺を締めあげている。
燃え尽きる寸前の蝋燭のように、その絶望ははっきりと大きく燃えた後、静かに煙を立てて消えるのだろう。
ここまで――ここまで来て。
ユキやルナ、オウカを置いて先に去るのか。
あいつらが"俺"抜きでやっていけるのか。
そんなわけがない。
俺が居なければ駄目なんだ。
俺でなければ……。
「――」
剣が自然と降りていく。
地面に触れることで止まった切っ先は、重く、とてもじゃないが持ち上げられない。
あれだけ胸に弾けていた全能感は幻だったのか。
どこまでもいけると――思えていたのは、錯覚だったのか。
「――」
もう、だめだ。
諦めんとする心が、持たない。
あれだけ豪語しておきながら、俺はあいつを救えなかった。
「――」
そうだ。あいつだ。
この無様な姿を、無残な背中を見せつけてしまっているあいつだ。
謝らなければ。
ここで朽ちる俺を笑ってくれと、言わなければ。
踵を返し、後ろを振り向いた。
「――ぁ、あ……」
暖かいものが、胸を満たす。
「ユ、キ……」
俺の胸には。
彼女の右腕が――突き立っていた。
何とか一本。
明日も一日お休みです。




