婚約破棄?
カフェのガラス窓に、夕焼けが溶け込んでいた。
赤く、甘く、どこか切ない色。
私は古い木製のトレイに、蜂蜜入りのジャスミンティーと、干しリンゴのスコーンを載せて、カウンターからテーブルへと歩いている最中だった。
そのとき、声が聞こえた。
「……もう無理だよ。結婚なんか、考えられない。」
低く、冷たく、でもどこか疲れた声。
テーブルの向かいに座る少女は、頭を下げたまま、指先を膝丈スカートの端っこをぎゅっと握っていた。
彼女の頬には、小さな赤い斑点——ニキビが、数カ所。
こめかみの辺りには、薄く、でも確かに、茶色のシミが浮かんでいた。
肌の色そのものは明るく、目は綺麗な琥珀色。
でもその瞳は今、自分の顔を映す鏡を恐れていた。
「きみは、商人の娘だろう?お父君の商会の名前を、街中で耳にしない日はないくらいだ。でもその娘が、こんな……見栄えのしない顔で、僕の家に嫁いだら、家の評判がどうなるか、考えたことあるか?」
男性は、スプーンでカチャリと音を立てて、それをカップに立てかけた。
その指はきっちりと整えられた爪、無駄のない筋肉のつき方。
日々の努力がうかがえる。
彼女は、静かに立ち上がった。
何も言わずにバッグを抱え、外へと走っていった。
ドアが開いたとき、風が彼女の髪を揺らした。
その瞬間、私は彼女の頬に、一筋の涙が、光を帯びて落ちるのを見た。
――彼女は、逃げたんじゃない。
ただ、自分の顔を見られたくなかったのだろう。
「……ギルヴェルトさん。」
私は、トレイをカウンターにそっと置き、声をかけた。
彼は、すでに立ち上がっていた。
背中を少し丸めて、その少女の背中を、じっと見ていた。
「追いかけていいですか?」
「ああ。」
彼は一瞬、目を細めた。
私は、深呼吸をした。
スコーンの甘い香りが、鼻の奥に残っていた。
でも今はそれより、彼女の頬の赤み、その下に隠れた小さな傷跡の記憶が、胸を打った。
――あの赤みは、本当に「醜さ」なのか?
あのシミは、本当に「欠陥」なのか?
それとも……ただ、誰かが「そう決めた」だけの、『誤った認識』なのか?
私は、走り出した。
彼女の後ろ姿は、少し先の路地の角で、消えそうになっていた。
「待ってください!」
声をかけた。
彼女は足を止めたけど、決して振り返ろうとしなかった。
私はその背中に、そっと近づいた。
ギルヴェルトさんは、少し離れたところから、静かに見守っていた。
「……あなたのお顔に、魔法をかけてもいいですか?」
彼女はそのとき、初めて振り向いた。
目は腫れていたが、涙はもう止まっていた。
その瞳には、怒りと悲しみ、そして怪訝さが浮かんでいた。
よく考えたら、いきなり変えかけた私って、不審者!?
内心あわあわしながら、彼女の返答を待った。
「……魔法?治癒魔法?それとも、化粧を綺麗にする、見せかけの魔法?」
「違います。」
私は、自分の手を見つめながら、静かに答えた。
「私は、『化粧』も『隠す』ことも、『治す』ことも、できません。
でも……『変える』ことは、できます。」
彼女は、眉をひそめた。
「……変える?」
「はい。あなたの肌が、『なぜ赤いのか』。なぜ、『なぜシミが浮かぶのか』。それは『あなたの性質』かもしれません。でも、絶対に変えられないものでは、ないはずです!
本当に『変わる』のか、ただ『誰かがそう言っていたから』、変えられないと信じていたのか。それを、一緒に確かめてみませんか?」
彼女は、しばらく黙っていた。




