春大会 (3)
体育館の入口まで、よろよろと歩いてきた執行部のザクは、ふと自分の行く手を遮る者が居ることに気付いた。
「ザク先輩、顔色が悪いですよ、どうかされましたか?体調が悪いのなら先生を呼んで来ますが?」
割れるように痛い頭を押さえながら見ると、自分に声を掛けてきたのは風紀部のイツキ君だった。心配そうな顔で自分の体調を気遣ってくれる・・・でも、今1番会いたくない者に気遣われて、ザクは泣きそうになった。
自分のせいで笑い者にされるイツキ君を、真っ直ぐ見ることが出来ない。
本来のターゲットはイツキ君だと聞いている。これから自分は、目の前の優しく声を掛けてくれた後輩を、罠にかけ退学させるかケガを負わせるか・・・とにかく傷付けるのは間違いない。
『そんな優しい声で、僕を気遣うのは止めてくれ!僕に、僕なんかに関わらないでくれ!僕を見るな……見ないでくれ』
ザクはとうとう入口でへたり込んでしまった。心のバランスを上手くとることが出来ない上、過呼吸の様になり苦しみ始めてしまった。
「先輩、大丈夫です。ゆっくり長く息を吐いてください。体の力を抜いて、僕が手を強く握っている間は息を吐いて、緩めたら息を吸ってください」
イツキは意識して癒しの能力【金色のオーラ】を発動しながら、左手でザクの手を握り、右手で背中をゆっくりポンポンと叩き、呼吸のリズムを変えていく。
3分くらいすると、呼吸が落ち着いてきた。顔色も良くなって、精神的な苦しみも少しはとれたようだ。
体育館の中では、次の暗号問題を開始するので、一旦整列するように教師が号令を掛け始めている。
『ああぁ、嘘みたいに体が楽になった。それに体が軽い……なんで?』
「先輩、もう大丈夫ですね?さあ行きましょう。次も頑張りましょう!」
そう言うと、イツキは走って仲間の元へと向かった。
ザクは自分のグループに戻ると、まだ自分の手に残るイツキの温もりと、優しく背中を叩いてくれた感触が残っていて、暖かい気持ちになった。
嬉しくて、申し訳なくて泣きそうになる自分を抑えて、今だけ、この暗号問題だけは全力を尽くそうとザクは思った。
『これが終わったら・・・クレタ先輩を助けて、エンター部長かインカ隊長に、全てを正直に打ち明けよう。僕はイツキ君を傷付けたくない!』
【春大会】の課題2は暗号問題で、教師や軍や警備隊が考えた暗号文を解読する。
問題は3題出されて、1つでも解読できたら解答を教師に提出し、解読時間の早さを競うものだが、解読内容がきちんと正しくなければやり直しとなる。
時間が遅くても、内容が正しければ1題に付き20点貰える。但し制限時間は1時間30分なので、その間に3題全てを解ければ60点をゲット出来る。
そして時間の早さに与えられる得点は、1題につき20分以内で解答すれば30点、30分以内で20点、40分以内で10点、50分以内で5点が加点される。
最高点は150点だが、それは3題全てを20分以内に解いた場合にのみ与えられる。
これまで過去20年間の最高得点は125点で、昨年の最高点は105点で、久し振りに100点を越えたらしい。
その100点越えをやってのけたのは、昨年2年生だったエンターと、人数合わせで参加した1年生のヤンと、卒業した先輩だった。
ヤンの父親は軍学校の主任教官だし、エンターの親代わりはエントン秘書官である。小さい頃からゲーム感覚で暗号を解いていたのだから、他の生徒とレベルが違うのは当たり前かもしれない。
「さあ先輩方、ぶっちぎりで勝ちに行きますよ。目標は2題20分以内です。絶対にクレタ先輩をレガート城へ連れて行きましょう」
「「オウ!絶対に連れて行こう!」」
先程とは打って変わって、遣る気満々のイツキたちのグループを見て、ザクは胸を撫で下ろし、ヤマノ組は睨み付けるが、その視線をセティもウナスも見ようとはしなかった。他の学生たちは、憐れみの目で見ているか、楽しそうで良かったと同情の目で見ていた。
ただ答えを文章に書くだけで5分から10分掛かるらしい。と言うことは、解読にかけられる時間は10分足らず。
イツキの作戦は、2題をイツキが解読し読み上げるので、先輩は文章を書き取り走って提出する。残り1題は全員で考えてイツキが書き取り、走って提出するというものだった。
先生方が各グループに、4つに折った課題のプリントを配っていく。
校長のスタートの号令で、一斉に3枚のプリントが開かれた。さあ、暗号を解いて文章に直していくぞと、張り切って問題を見る。が、何故だか全員プリントを床に置いたまま、微動だにしない。
1枚目のプリントには、レガート語のアルファベットが、無造作に並べられている。
2枚目のプリントには、数字の羅列が並び、所々にアルファベットが混じっていて、幾つか丸で囲んであった。
3枚目のプリントは、記号や数字、簡単な木や川や花等の絵が描かれていた。そして正解を7文字で答えよと書いてあった。
全員の動きが止まったのは、3枚目のプリントのせいだった。
これまでの暗号問題に絵が描かれていたことはなく、また、文章に訳すのではなく、正解を答えるという問題を、誰も見たことがなかったのだ。イツキ以外は・・・
イツキは3枚目のプリントを見てニヤリと笑うと、すらすらと解答を書き解答用紙を伏せた。
「さあ先輩、あと2題です。行きますよ。先輩方は1枚目をお願いします。僕は2枚目を遣りますので、解ったら言いますので書記をお願いします。先輩方も1枚目が解ったら、そちらを遣ってください。僕は自分で記入しますから」
イツキはそう言いながら2枚目の解読を始めた。実は1枚目は直ぐに解っていたのだが、先輩方に任せてみようと思い作戦を変更した。
イツキは2枚目のプリントの数字の羅列から、1と3だけを選んで三角で囲み、アルファベットだけを書き抜き作業を始めた。15分が経過した頃、イツキは暗号を解き20文字の文章を完成させた。
先輩方を見ると、解読の仕方は解ったようだが、文字の並べ方が分からないようで、導き出した文字の組合せに悪戦苦闘していた。
「出来たぞー!」と叫びながらインカ先輩のグループが、1枚のプリントを持って先生の元へ走っていく。
プリントを精査した先生が、チリンチリンとベルを鳴らした。正解だったようだ。
ベルの音を聞いて「もう出来たのかよ」とか「嘘だろう」とか「あと少しだー」とか、あちらこちらから声が上がる。
「先輩、先に提出して来ますね。頑張ってください」
イツキは18分が経過したところで立ち上がった。会場内を見ると、同じように先生の元へ走り出そうとしている学生がいた。ブルーニのグループのRである。
先を越された形になったが、受付の先生は5人居るので、20分以内に受付に辿り着けば問題はない。
ヤマノ組Rのプリントを精査した先生が、チリンチリンとベルを鳴らした。ベルの音を聞いたブルーニ親衛隊の皆さんから拍手が起こる。Rの勝ち誇った顔がイツキの方を見て、どうせ正解など出来ないだろうと、バカにした視線を向けてきた。
イツキは先生がプリントを精査している間、特別サービスをして、ゆっくりメガネを外し受付の机の上に置くと、前髪を整えて極上の笑顔をRに向けた。
そして、当然のことながらチリンチリン、チリンチリンと2度ベルが鳴った。
『何故2回?』と、ベルの音を聞いた学生たちが受付の方を見ると、メガネを外し極上の笑顔で微笑むイツキが立っていた。
「ギャー!」とイツキ親衛隊3年の先輩が叫んだのは無視して、イツキは余裕の表情でセティ先輩とウナス先輩に手を振った。イツキ親衛隊は、もちろん割れんばかりの拍手をしてくれた。
ただ皆は、1年生のイツキがプリントを提出したので、先生がおまけで2回ベルを鳴らしたのだろうと勘違いし、2枚プリントを提出したと気付いていなかった。
イツキはメガネを掛け直すと、ブルーニの方を見てニヤリと笑っておいた。
「20分経過だ!これより10分間は、得点が20点になる。気合いを入れろ!」
1年の学年主任ダリル教授が、大声で檄を飛ばした。
受付では、イツキのプリントを確認するように、5人の先生方が集まっていた。そして、まさかの2枚提出という信じられない出来事に、目を丸くする先生も居れば、ただ頷く先生も居た。
しかも、1番簡単な問題は提出されていなかったのだ。イツキより先に2つのグループが提出したのは、1番簡単な1枚目のプリントだった。
イツキが先輩の元に戻ると、半分程文章が完成していた。イツキは敢えて手は貸さず見守ることにした。
8つのグループが、受付に提出していく中、残り時間1分のところでウナス先輩が立ち上がった。しかし先輩はベルを鳴らすことができなかった。
「30分経過だ!時間も大事だが正解させることが重要だ!」
ダリル教授は焦る学生たちに、落ち着いて問題を解くよう注意した。
ウナス先輩は完璧だと思っていたプリントを見て、呆然としていた。直ぐ様セティ先輩がプリントを奪い確認する。すると、最後の文章の単語が、1つ記入漏れであることが判明し、直ぐに書き直して受付に走って行った。
〈〈 チリンチリン 〉〉今度は間違いなくベルが鳴った。
「イ、イツキ君・・・僕たち130点だよね?」(セティ)
「シーッ!静かに先輩、皆は僕が1枚しか提出していないと思っています」
「それじゃあ、全員が終わってから万歳しようか」(ウナス)
「そうですね先輩。では僕が解いた暗号の解説でもしましょう」
イツキたちはヒソヒソと囁き合いながら、受付から1番遠い体育館の角に静かに移動した。
その頃教員室では、【春大会】課題1の100問試験の採点が、5人の先生によって行われていた。
グループの数は52である。1人の先生が約10枚の解答用紙を採点するのだが、文学部顧問でありミノス出身のフルム先生40歳は、10枚目の解答用紙を採点しようとして、ポトリとペンを床に落としてしまった。
そしてガタンと立ち上がり、椅子まで引き倒して「何だこれはー!」と叫んでいた。
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