85.子守歌
この夜。稜真は瑠璃と念話で話をしていた。
『瑠璃。しばらくそっちには行けそうにないんだ』
もうすぐ雪が降る。
冬の間、アリアは外出禁止を言い渡されているし、従者である稜真が勝手に出歩くのは難しい。
『仕方ないのです。分かって…いますわ…』
瑠璃のその物分かりの良さが切なかった。
『ごめんな、瑠璃だけ連れて来てやれなくて』
自分がお世話になっている立場では、どうしようもない。ただでさえ、きさらを連れて来たばかりなのだ。精霊である瑠璃を、どんな理由を付けて連れて来ればいいのか見当がつかない。
『…主、木の精霊も眠ってしまいましたの。私も春まで眠ろうと思います』
『そう、か…。春になったら、皆で起こしに行くよ。美味しい物をいっぱい持ってね』
『はい! 楽しみにしていますわ。御用があれば呼んで下さいませ。主の声ならば、眠っていても届きます。すぐに…参ります…から』
『ああ。その時は頼むね』
しばらく沈黙が続いた。稜真はなんと言ってやればいいのか分からない。
『……あの、主。わがままを聞いて貰えますか?』
『何かな?』
稜真は優しく問い返した。
『人の子は、眠る時に子守歌を歌って貰えると聞きましたの……。私の為に…主の歌を…聞かせて欲しいのです…』
瑠璃は、稜真が山で歌うのを渋っていたのを知っている。震える声で、躊躇いがちに言った。
歌うのは構わないが、普通に歌って届くだろうか。それとも、今話しているように思念で歌えばいいのだろうか。滅多にない瑠璃の願いだから、叶えてやりたい。
『今話しているみたいに、思念で歌えばいいのかな?』
『はい! 会話も歌も同じですわ。歌って貰えますの!?』
『いいよ。ただ…子守歌かぁ。俺が知っている子守歌は、歌詞を全部知らないんだよね。どうしたものかな』
『あの歌がいいです。私が初めて聞いた主の歌。山で聞いた歌が聞きたいです!』
『あれ、ね。伴奏はないけど、いいかな?』
『はい!』
稜真はベッドに腰かけたまま、思念で歌い始めた。目を閉じて瑠璃を想う。
瑠璃が眠っている間、良い夢が見られるように。
1人にさせている申し訳なさと、自分を思ってくれているありがたさ。
ごめんね、と思う。
せめて夢の中では、寂しい思いをしないようにと、想いを込めて歌った。
歌い終わった稜真は、瑠璃に小さく声をかけた。
『瑠璃?』
『………』
返事はない。稜真は瑠璃のすうすうという寝息を感じる事が出来た。
『お休み』
稜真は静かに、優しく声をかけたのだった。
「──そうだわ。リョウマ君って歌が上手いのね」
「……な、なんの事…でしょう?」
厨房を手伝っていた稜真は、エルシーに突然そう言われ、しどろもどろになった。料理長は食材を取りに地下へ降りていたので、聞かれなかったのは幸いである。
「ごめんなさいね。昨日お部屋の前を通ったら、聞こえて来たの。悪いなと思ったのだけど、つい聞き惚れてしまったわ」
「俺…声に出していましたか?」
「ええ」
アリアや魔獣達に聞かれるのと違い、エルシーに聞かれたのは堪らなく恥ずかしい。初めは声を出してなかった筈なのに、いつから声を出していたのだろう。
「リョウマ君ったら、顔真っ赤よ? 大丈夫?」
しかも、いつもアリアに対して思っていた事を、言われてしまう始末である。
「廊下に聞こえる程…だったんですよね…?」
「あら、そんなに大きな声じゃなかったのよ。口ずさんでいる程度だったと思うわ。とても小さな声なのに、不思議と響いて聞こえて来たの。優しくて暖かい歌だったわ」
不安げな稜真を見て、エルシーはくすっと笑った。
「心配しなくても、私しか聞いてないわ。気持ちのいい歌のお陰かしら、昨日はよく眠れたのよ。また聞かせて欲しいわ」
「……勘弁して下さい。それと、歌の事は内緒にして貰えませんか?」
「残念だけど仕方ないわね」
「よろしくお願いします」
厨房の手伝いを続けていた稜真は、アリアから呼び出され部屋へ向かった。
部屋にはお目付け役のそらもいる。
「稜真見て。大分形になって来たの!」
アリアはそう言って、ハンカチの刺繍を見せてくれた。
ハンカチには、赤くて丸いものと緑色の植物らしき物が刺繍されている。
「これは、てんとう虫?」
「……バラの花…だもん…」
「…バラ?」
悪いとは思ったが、とてもバラには見えない。アリアはぷくっとふくれた。
「ぶー、頑張ったのに」
「緑色はすぐに植物だって分かったよ。うん。上達しているんじゃないかな」
「本当? すぐに分かった?」
「植物だって分かったから、てんとう虫だと思ったんだよ」
「うう~ん。フォローされた気がしない…。でも、うん! 植物が分かったって事は、上達してるんだよね! よし、頑張るぞ~!」
前向きなアリアだった。
改めてハンカチを見ると、うっすらと下絵の青い線が見える。下絵に添って針を刺せばいいのに、明らかにずれている。
縫い目がガタガタなのは仕方ないとして、ここまで腺からはみ出しているのはどういう訳だろう。
「もしかして、早く縫おうと思ってない?」
「え? だってお母様は、すいすいと縫うんだもん」
「奥様の真似はしなくてもいいよ。上手くなると、自然に早くなる。急がなくて良いから、ひと針ひと針確実に、ゆっくり縫ったらどうかな。奥様は早くと仰っていた?」
「……言われてない。慌てなくていいのですよ、っていつも言われてた」
「下絵があるんだからさ。アリアなら線を狙って針を刺すのは、出来ると思うな」
「そっか…。線を狙って刺す。うん、出来そうな気がする。明日から、そうしてみるね!」
毎日苦手な針仕事を頑張っているアリアをねぎらい、頭を撫でてやる。
「ふへへ」と、突然アリアが思い出し笑いをした。
「昨日、すっごく良い夢見たんだよ。稜真様が歌っている夢なの!」
アリアの部屋と稜真の部屋は、位置も違えば、階も違う。物理的に聞こえる訳がない。──ない筈なのだ。
「山で稜真が歌った歌だったの~」
(……本当に聞こえていた? どんな耳をしているんだよ…)
それはさておき、瑠璃の事はアリアにも話しておかなければいけない。
「……アリア。瑠璃がね。春まで眠るって。木の精霊も眠ってしまって、俺達もしばらく行けないから、ね」
「そうなんだ…。瑠璃…寂しいよね」
自分は稜真と一緒にいられる。その事を、アリアは申し訳なく思った。
「春になったら、美味しい物をたくさん持って、皆で起こしに行くからって約束したんだ。その時は、瑠璃の湖で何日か泊まろう」
「そうだね! い~っぱい瑠璃を可愛がってあげよう!」
「あとこれ。アリアにあげるよ」
稜真は綺麗に包まれた箱を渡す。
「開けていいの?」
「もちろん」
包みを開けると、出て来たのは花や小鳥が浮き彫りにされた可愛らしい小箱だ。アリアが目を輝かせて小箱を開けると、中には白く細いリボンが2本入っていた。
「俺がアリアにあげたリボンはこれに入れて、旦那様に頂いたブローチは箱に戻してたらどうかと思ってね。この木箱は彫られた絵が違うけれど、瑠璃とお揃いにしたんだ。リボンもお揃い。瑠璃、喜んでくれるかなぁ」
「喜ぶに決まってるじゃない。うふふ。私が瑠璃の髪を結んであげようっと」
「…結べるのか?」
「……ちょっと自信ない、かも。稜真で練習させて?」
アリアはピンク色で、縁にレースがついたリボンを手に持った。元々アリアが持っていたリボンだ。
「…何をおかしな事を言っているのかな?」
「ピンクが嫌なら、赤もあるよ!」
「鏡を見ながら、自分の髪で練習して下さい」
早く髪を切ろうと思う稜真である。
翌日、稜真は町へ向かった。今回はアリアも一緒だ。そらはきさらの頭が気に入ったのか、楽しそうに体を揺らしている。
先日の失敗を省みて、稜真はきさらの背に手を置いて、やらかしてもすぐ対処できるようにしている。町の人は特に騒ぐ様子が見られない。伯爵の通達のお陰だろう。
まずはきさらの首輪だ。
「いらっしゃい。出来ているよ」
馬具職人は、赤い首輪を出してくれた。金具も指定通りについている。
「グリフォンにつけてみてくれるかな」
「はい。きさら、じっとしていてね」
「クォン!」
稜真は、ベルト状になった首輪をきさらに付けてやる。太目の赤い首輪は、きさらの白い体に似合っていた。中央の金具にプレートを付ける。
「苦しくない?」
『大丈夫!』
馬具職人にきさらの言葉は分からなくても、反応で苦しくないと分かったのだろう。ほっとした顔をしている。
「こちらが手綱です。この金具で首輪の横に繋げられます」
稜真は、渡された金具付きの革紐を首輪に付けてみる。
「うん。問題なさそうです。ありがとうございます」
代金は金貨1枚だった。
「高くて申し訳ないです。1度作ったから、次はもう少し安く出来ます」
試行錯誤に少々時間と材料がかかり、値段が上がってしまったらしい。稜真は予備の首輪と手綱を注文した。特に急がないので、春になる頃に取りに来ると伝える。
「分かりました。色は同じ色でいいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします」
馬具屋を出るとギルド方面へ向かう。今度は木刀とアリアの大剣を受け取るためだ。
「きさら、似合ってるよ。可愛い!」
「クォルルゥ!」
アリアに誉められ、きさらは自慢げに胸を張っていた。稜真はしっかりと手綱を握っている。
木刀も仕上がっていた。こちらも試行錯誤してくれたらしく、木の種類やバランスを変えた物が何本か用意されている。稜真は順に手に取って試す。
その中の1本が、特に重さとバランスが良い。
「それが良さそうだな」
「はい。使いやすいです」
「それなら、次からはその仕様で作る」
銀貨5枚だった。首輪と同じく、今回は高いが次からは安くなるそうだ。他の木刀も引き取ろうとしたが、断られる。失敗作を客に渡すわけにはいかない、と。
ともあれ、これでスタンリーと刀での鍛錬が出来る。予備を注文して屋敷へと戻った。
稜真の日課は厨房で料理の手伝い。そらはアリアのお目付け役だ。
そして夜になると、そらは稜真に子守歌をおねだりする。
『あるじー。そら、こもりうた、ききたいのー』と、可愛らしくおねだりされては断れない。短い歌で満足してくれるので、童謡を歌っている。
そらは稜真が作ったベッドで眠る。いそいそとベッドに入ったそらの背を、ゆっくり撫でながら歌ってやると、すぐに眠ってしまうのだ。
今日もアリアは、母クラウディアの部屋で刺繍を教わる。
ゆっくりと丁寧に、線を狙って刺す。
稜真に言われた事を心掛けたら、糸がからまる事も少なくなった。時間は今までの何倍もかかるが、目に見えて上達していると自分でも感じられた。
クラウディアも、アリアの姿勢が変わった事を嬉しく思っているようだ。
「クールル、クールル、クルルゥルルゥルルー」
そらが楽しそうに歌い始めた。
「あら? そらちゃん、まるで歌っているみたいね。上手だわ」
クラウディアが面白そうに言った。クラウディアには鳴き声でも、アリアには歌として聞こえる。
(へ? どうしてそらが『ぞうさん』知ってるの…?)
今日のノルマが終わり、厨房に突進したアリアは稜真を捕まえて倉庫に移動した。
「稜真。そらが『ぞうさん』歌ってたんだけど、どうして?」
「……そら、アリアには内緒だよって言ったのに」
『そら、おねえちゃに、いってない、よ? うたった、だけ……だめ?』
せっかく覚えた歌を歌いたかったのだろう。そんなそらを責められない。
「駄目じゃないよ。歌を覚えて…えらいね」
『そら、ほかにも、うたえる! さーいたー、さーいたー』
「………稜真?」
アリアがジトッと見つめてくる。
稜真はやむを得ず説明した。瑠璃に子守歌をせがまれた事を。それを聞いていたそらにも、歌ってとおねだりされたのだと。
「俺は子守唄を知らないから、童謡を歌ったんだよ…」
「稜真様の童謡!? そんなの聞いた事ないよぉ。いいなぁ、そら! 私も聞きた~い!!」
アリアはおもむろに両手を組み合わせて、うるうると稜真を身上げた。
「稜真様の童謡…聞きたいですぅ…」
おねだりされてもその手は食わない。
「あれは子守歌だったから、寝る時にしか歌いません」
「それじゃ、私にも子守歌!」
「アリアの枕元に行く訳にはいかないでしょ…」
「うわ~ん。聞きたいよぉ!」
「無理」
アリアの叫びをよそに、そらは覚えた童謡を楽しげに口ずさんでいた。




