76.安静中…?
3日目。どうにも暇をもて余した稜真は、朝食を持ってきたエルシーにお願いをした。
「エルシーさん。これくらいの大きさの籠と布と綿が欲しいのですが、用意して貰えませんか? 外出が出来るなら、自分で買いに行きたいのですけど…」
「リョウマ君は、外出禁止です。私が外に買い物に行くついでに、買って来てあげますよ。何に使うのかしら?」
「そらのベッドを作ろうかと思いまして。買って来て貰えるのなら、裁縫セットも欲しいです」
「裁縫セットね。そうね、お嬢様は絶対に持ち歩かないから、リョウマ君が1つ持っていてもいいわね」
そらの大きさを計り、籠の大きさと布の色を決めた。エルシーはちょうど、午前中に買い物に行く用事があるので、その時に買って来ると言う。
『ねー、あるじー。そらの、ベッド?』
「うん。そらは止まり木で寝るよりも、クッションで寝るのが嬉しそうに思えたからね。どちらでも眠れるように、ベッドを作ろうと思ったんだよ」
『あるじ、つくる?』
「そうだよ」
『うれし。そら、うれし! たのしみ』
そらはパタパタと、小さな部屋の中を飛び回った。
エルシーは要望通りの品々を購入してくれ、稜真は代金を支払い、早速針に糸を通す。
その日の夕方、稜真の部屋にアリアがやって来た。
一向に上達しない刺繍に疲れ、稜真に癒されに来たのである。
「…稜真…何してるの?」
「そらのベッドを作っているんだよ」
稜真は淡い緑色の布で、クッションを作っていた。今は綿を詰め終えた所だ。アリアと話しながら、詰め口のかがり縫いを始める。
「うう~っ! 稜真、前にボタンつけくらいしか出来ないって言ってたくせに、私よりも裁縫できるじゃないの~。縫い目が綺麗だよぉ」
アリアは縫い目が綺麗と言うが、稜真としてはそれ程ではないと思うのだ。
例えば、エルシーと比べると真っ直ぐに縫えていないし、縫い目も揃っていない。だが、ほつれないようにしっかりと縫う事は出来ている。
「これくらいは、小学校の家庭科でやったからさ。難しい物は作れないぞ?」
「それも出来ないんだな…私は…」
まず、どうやったら真っすぐに縫えるのかが分からない。刺繍の時間は苦痛でならず、アリアは疲れていた。
稜真は長細いクッションが、内側にぐるりと糸で縫いつけてある籠を取り出した。そして、今仕上がったクッションを籠の底に敷く。裁縫と言うよりも工作感覚で作っていた為、使い心地が心配だ。
「おいで、そら。試してくれる?」
そらが早速、自分のベッドに入った。
『あるじー、これ、ふかふか。きもち、いい! そらの、ベッド。うれしー!』
そらは嬉しそうに、体をクッションに擦りつける。
アリアはそらの可愛さに少し癒されたが、それよりも稜真の裁縫の腕に戦々恐々としている。
(刺繍やりたいって言い出したら、どうしよう…)
勝てる気がしないアリアであった。
4日目。今日もアリアは、嫌々母に刺繍を習っている。そこへエルシーがやって来た。
「奥様失礼いたします」
「あら、エルシー。どうかしたのかしら?」
クラウディアは、おっとりと言った。
「アリアお嬢様に、ご相談したい事がございまして」
それを聞いて、ひと休み出来ると表情の明るくなったアリアは、刺繍から顔を上げた。お陰で刺繍がエルシーの目に入った。
「奥様…先は長そうですね…」
「そうなの。でも冬は長いですからね。ひと冬あれば、なんとか人並みになれるのではないかしら?」
「え? お母様。私、ひと冬ずっと刺繍ですか」
「安心してアリア。ずっと刺繍ばかりではないわ。他にも覚えねばならない事が満載ですもの。お母様と一緒に頑張りましょうね」
「ううっ、お母様。それ、ちっとも安心できません…」
また表情の曇ったアリアに、エルシーは言った。
「お嬢様。リョウマ君を大人しくさせる方法、何か思いつきませんか?」
「どうしたの?」
「どうにも、じっとしているのが落ち着かないみたいで。何かやらかしそうでハラハラします。まるでお嬢様を見ているみたいです」
「あら、それは大変ね」
クラウディアは言った。
「私みたいって、ひどい…。でも、昨日はお裁縫してたものね。あのままにしとくと、お裁縫極めそうで怖いしなぁ。何か方法……」
アリアは考え込んだ。
稜真はため息をついた。
この世界に来てから、ずっと忙しく動いていたせいか、何もしていないのが落ち着かない。いっそアリアと一緒に、刺繍を教わるのはどうだろうか等と考えていた。
考えながら、その手は休みなく動いている。余った布と綿で、自分用のクッションを作っているのだ。
余り布だけでは布が足りなかったので、エルシーに頼んで端切れを貰った。それを小さく四角く切りそろえ、繋ぎ合わせて大きな布にしている。いわゆるパッチワークである。経験はなかったが、知識として知っていたのでやってみたのだ。
昨日よりも縫い目が整って来ている。
(パッチワークって……。どうしよう。稜真の女子力がどんどん上がっていく…)
稜真の部屋を訪れたアリアは焦りを覚えた。このままでは自分の立つ瀬がない。結局、いい方法が思いつかなかったアリアは、伯爵に相談に行った。
「──お父様、稜真を休ませる方法、何か思い付きませんか? エルシーによると、2日目に腹筋したそうです。今はお裁縫しているのですけど、その内鍛練でも始めそうで…」
「リョウマは何をやっておるのだ…。お前が大人しくしていれば良いと思っていたが、まさかリョウマの方が大人しくしていないとはな」
「私はちゃんと、大人しくしていますよ? 刺繍だって頑張っていますもの」
アリアはそこで言葉を切った。
裁縫を極められては困るという気持ちが大きかったのは事実だが、めまいの事を聞いてから、稜真が心配でならない。
「……あのね、お父様。稜真、ひどい怪我だったのよ。もう駄目かと思ったの。それなのに私…その後に…もっと無理させちゃった…」
アリアは、未だに稜真が倒れた時の姿が目に浮かぶ。夜中に夢を見て、飛び起きた事もあった。伯爵を前に気が緩んだのか、涙が止まらなくなる。
「アリアヴィーテ…」
伯爵はアリアを抱き上げて、椅子に座った。その背中を、とん…、とん…、と優しく叩いてやる。
「うう…お父様ぁ……」
「そうだな。ただ休めと言って聞かないのであれば、体を使わず、頭だけを使わせれば良いのではないか? 書類の手伝い。料理の手伝い。今は冬になる前に保存食の仕込みで、料理長も大忙しだ。忙しすぎる所にやるのは、少し問題があるか……。まあ良い。何かやらせておけば、鍛錬など始めないだろうよ」
「お父様、さすがです!」
アリアはようやく泣き止み、キラキラとした目で伯爵を見上げた。
ちなみにパッチワークのクッションは、夕方には完成した。
5日目。稜真は伯爵に呼び出された。
「まだ1週間たってはおらんが、お前はやる事がないと困ると聞いた」
執務室には書類の山が出来ている。処理の手伝いをしろと言うのだ。
稜真に書類仕事の経験はない。自分に出来るのか不安だが、1枚1枚確実に仕上げて行こうと決めた。部屋でボケッとしているより、やる事があるのはありがたい。
そらはどうしても稜真から離れようとしなかったので、執務室に止まり木を持ち込ませて貰った。仕事の間中、静かに、心配そうに稜真を見ていた。
「──ふむ。今日はここまでだ」
「はい。それでは失礼します」
稜真は止まり木を持ち、そらと共に執務室から出て行った。
「オズワルド。駄目だな…」
伯爵は稜真の手がけた書類を見て、ため息をつく。
「そうでございますね。手早くはないですが、計算は完璧、まとめる力もある。ただ、性格なのでしょう。根を詰めすぎる。夢の中でも書類整理をやりそうですね。あれではとてもとても、休まりません」
「真面目なのも良し悪しだな。やはり厨房の手伝いが良かろう」
「はい。明日は料理長に任せましょう」
『あるじー、つかれた? だいじょぶ?』
そらが心配している。
「少し疲れたかな。でも座っていたんだから、大丈夫だよ」
6日目。稜真が目覚めたのは、いつもよりも遅い時間だった。夢の中で仕事の続きをやっていたせいか、眠った気がしない。
(しまった、寝過ごした!)
慌てて起き上がり、ベッドから降りようとしたら、目がくらんだ。床に膝をつき、目を閉じて治まるのを待つ。
『あるじ!』
目を開けると、心配そうに見上げているそらと目があった。
「もう大丈夫。急に動くと駄目みたいだな…。情けないよ」
「リョウマ。今日は厨房の手伝いに回って下さい」
執務室に着くとオズワルドに言われた。
「え…。昨日の続きはよろしいのでしょうか?」
(もしかして俺、戦力外通告された?)
「何を考えたのか分かりますが、違いますよ。厨房の手が足りなさ過ぎて、料理長からあなたを貸して欲しいと頼まれたのです。冬に入れば、いくらでも書類仕事は出来ます。──そう言えばあなたには、まだまだ勉強が必要でしたね」
「うっ…」
「ともかく今日は厨房です。頼みましたよ」
稜真は、一礼して厨房へ向かった。




