終章
雑踏が奏でる音楽が耳に心地良いと思った。子供が親に甘える声、恋人たちの甘い語らい、行き交う人々の靴音が伴奏を添える。人々が、生きている。イルミネーションよりも輝く笑顔を見て、琉歌もまた満足そうに笑っていた。
「ふふ」
流されるように街灯の下を歩いていた。これだけの人がいるというのに、琉歌に気を留める者は一人もいない。だが、それで良かった。僅かに感じる人の体温が、自分が此処にいるということを感じさせてくれていた。
「いい時代になったもんだ」
琉歌の言う通りだった。岩石で出来た怪物も、噴煙を巻き上げるロボットも、絶望に至る病すらも、もう何処にも存在していない。人々の顔にあるのは、ただ安らぎの一色だった。
「うん?」
その安穏な雑音の中で、不釣り合いな殺気に最初に気付いたのは琉歌だった。脂のこびり付いた長髪、乱れた衣服。虚ろな視線は虚空を彷徨い、狂気を孕んだ殺意を隠そうともしない。だが、その殺意は琉歌に向けられたものではなかった。
「がぁぁッ!」
男が懐から取り出したのは顔の長さほどもある刃物だった。錆び付いた刃が街灯を浴びて鈍く光る。振り被ったその腕、きっと相手は誰でも良かったのだろう。たまたま眼に付いた誰かで。
「……ッ!」
刃の光が幼い顔を照らした。その少年が、自分に訪れた災厄に気付くよりも刃を振り下ろす方が速かった。動くことの叶わない小さな生命、直線を描く刃。刹那の後にどうなるか、火を見るより明らかだった。だが、しかし。
「陽電子砲ッ!」
街灯よりも、刃よりも眩い輝きが街を支配した。男の顔が驚愕に染まる。少年の顔が瞬きに染まる。琉歌の手から放たれた閃光は少年の生命を狙う刃だけを溶かしてしまっていた。
「たあッ!」
人の群れの中から一羽の白鳥が飛び立つ。そこにいた全ての人々にはそう見えていた。刃を握り締めていたハズの、その男にさえも。
「刃物は良くないなぁ」
音も無く男の後ろに降り立った琉歌は、その首筋を優しく撫でるように打つ。膝から崩れ落ち、そのまま男は起き上がることは無かった。
「大丈夫かい、ぼうや?」
「あ……うん」
「そっか、よかった」
呆然としたままの少年。琉歌はにっこりとした笑顔で少年の頭を撫で付ける。その感触に、不思議な懐かしさがあった。ずっと、ずっと昔に触れ合った、あの記憶……。
「そうか、そうなんだね……」
「え?」
「いや、こっちの話さ」
そう、かつて同じ時間を過ごした少年。愛し、肌身を合わせた想い人。その僅かな面影が少年に合った。あの人たちから続く生命が、この世界に息づいている。それだけで満足だった。
「さて、次はどこ行こうかね」
誰に言うでもない、傍から見ればただの独り言だ。だが、そうではない。内なる、もう一人の自分に語り掛けていた。答えは、無い。だが、それでいい。それが良かった。自分は一人ではない、そう思えるぬくもりがある。
「ま、どこでもいっか」
琉歌の身体が人混みへと消えた。琉歌はこれからも歩き続けるだろう。もしも、死ぬことがあるのならそのときまで歩みを止めることはない。この星の、明日のために、そのときが来るまで歩き続けるのだろう。