求婚をされた
むかしむかし、ヴァスラ帝国にアリシアという女性の騎士がいました……。
九月七日。
今日、誕生日を迎えた。
四十二度目の、誕生日だ。
全く、嬉しくない。
いつもと同じ、夢を見ていた。
目覚めて、歯磨きをする。そして、シャワーを浴びて、化粧をし、部屋を出る。
宿舎での暮らしも、長すぎてなんとも思わなくなっていた。
だけど、大きな違いが今日、起きるはずだ。
わたしが、四十二歳になったからだ。
護衛騎士は、どんなに優秀でも四十三歳で現場を離れる決まりがある。
わたしの元上司も、四十三歳で仕官学校の校長職へ異動となった。その内示は、一年前にされるのだ。
つまり今日、わたしは異動先を伝えられる。
宿舎から、内宮には庭園を抜ける。
季節の花々を眺めながらの出勤も、あと一年か。
そう思うと、少し寂しく感じるものだ。
「よぉ、アリシア」
元同僚のカイルだ。
「おはよう」
「どうだ、調子は?」
こいつは、会えばいつも同じ質問をしてくる。
「残念ながら、絶好調よ」
「そりゃよかった。晩飯、どうだ? エライザがお前を呼べって」
「行く」
「じゃ、十九時に」
元護衛連隊で現在は軍務庁内勤のカイルは、わたしの親友エライザと結婚して二十年。
夫婦仲は最高で、二人の子供にも恵まれている。
信頼する二人がくっつき、今も幸せそうで嬉しいのだけど、自分を省みると少し寂しい。
騎士として、魔導士として、国に仕えて二十四年。
恋人はいたが別れて……というか捨てられて……それからは忙しさと仕事を理由に、結局は一人のままだ。
ここ十年、相手すらいない。
新入りたちには、『行き遅れ』と陰口をたたかれているに違いない……。
溜め息をついた時、庭園の茂みにしゃがんでいた男性と目があった。
「アリシア、おはよう」
「……おはようございます!」
慌てて挨拶をし、一礼する。
男性――ヴァスラ帝国皇太子レオナルド殿下は、愛犬のフンをスコップで拾ってゴミ袋に入れながら立ち上がった。
わたしは両手を差し出す。
当然、ゴミ袋を預かろうと思ったのだけど、殿下は笑った。
「いや、いいよ。自分で捨てる」
「いえ、わたしのほうで」
「……じゃぁ」
「お預かりします」
フンが入ったゴミ袋をお預かりしますというのもおかしいけれど……それよりも……護衛対象が一人で犬の散歩……夜勤の奴ら、何をやってんだよ! という内面を完璧に隠した。
「殿下、護衛の者たちは?」
「帰らせた」
帰らせた?
思わず、顔をあげて殿下を見てしまった。
輝く笑顔の殿下は、くすりと笑うと足元の犬を見る。
「君がそろそろ出てくる時間だと思ったから、帰らせておいたんだ」
「……それでは、わたしの分隊が引継ぎを受けられません」
「何も問題は起きてないから、大丈夫だよ」
「……そういう問題ではございません」
「アリシアは、真面目だなぁ。それに、君だけに話があったんだ」
笑顔の殿下は、愛犬に「行こう」と声をかけて歩き出す。
慌てて彼の後ろにつくと、肩越しの笑みを向けられた。
「アリシアが俺の担当になってくれて、もう二年だね」
「はい」
「去年の、五ヵ国半島との戦争、君がいなかったらと思うとゾっとするよ」
「主神の加護がございました」
殿下の愛犬――ロイがぴょんぴょんと飛んで走り出した。
「昨日、君の隊が夜勤の隊と交代した後に、ヴィクトルが訪ねて来た」
ヴィクトルとは、護衛連隊の連隊長だ。
彼が殿下を訪ねたのは、きっと私の異動の件だろう。
池から流れ出す小川に、ロイは飛び込むと嬉しそうに吠える。
微笑み眺めていた殿下は、立ち止まると振り返った。
わたしも立ち止まり、恭しく頭をさげる。
「護衛は引退、なんだね?」
殿下の声は、少し緊張しているように聞こえる。
わたしは、一礼し背筋を伸ばした。
「はい……来年には、現場を離れて別の職務に励むことになります」
「そのことなんだけど」
殿下は、わたしから少し視線をそらし、うつむき、頷く。
何だろう?
彼は、まっすぐにわたしを見た。
「実は、お願いがある。聞いてくれるか?」
「はい、もちろんでございます。何なりと」
「俺の妻に、なってほしい」
……え?
「え?」
思わず、声が出ていた。
殿下は、少し照れた表情でわたしを見ている。
「殿下……お熱がおありですか?」
「……いや、平熱……のはずだ」
「医師を呼びます。お部屋へ」
これはいかん。
あの殿下が、おかしなことを言っている。
まず部屋にお戻りになっていただき、それから侍女に医師の手配を依頼して――。
「アリシア」
呼び止められ、振り向いた。
「はい」
「俺は、健康だ。何も問題がない」
では、朝からお酒を飲まれて? いけない。侍女に殿下がいくらお酒を希望したとしても、朝からはダメだと強く言っておかねば!
「殿下、では酔いがさめるまで、しばらくお休みに――」
「アリシア」
殿下の両手が、わたしの両手を握る。
「アリシア、本心だ。酔ってもいない。ずっと隣にいてほしいんだ」
「……」
わたしは、よっぽど間の抜けた顔をしたのだろう。
殿下が、失笑する。
「くくく……ひどいな。俺はそんなに信用ないか?」
「……いえ、殿下の他に、お仕えしたいと思う御方はおりません」
「お仕えね……アリシア、じゃ、こう言おう。俺の妻になることを命じる」
「……は……い?」
「お願いじゃなく、命令することにした。まさか、背く気か?」
「殿下……あの、どこぞの姫君への求愛の練習相手になら、そう仰ってくださればいたしますので」
殿下は首を左右に振って、わたしの手を握ったまま、優しい口調で言う。
「アリシアに、言っている……じゃない。命じている」
「……あの、わたしは四十二歳です」
「そうだな」
「……あの、わたしは騎士ですが平民出です」
「そうだな」
「……殿下、大丈夫ですか? もしや何かの呪いに――」
解除しないと――と慌てて魔法を発動する直前、殿下が笑う。
「大丈夫。呪いでも高熱でもない。酔ってもいない。健康で、素面で命じる。アリシア、俺の妻になれ。命令だ」
……え?
わたしは、思考停止になってしまった。
-・- アリシア -・-
皇太子殿下の執務室。
次々と運ばれる決済書類を、殿下はしっかりと目を通し、ダメなものはダメと言い、認めたものは署名をしていく。
お仕事の合間に、侍女のイリーナが飲み物を運んで来て、殿下へとお出しした。
緑茶を飲んだ殿下は、壁時計を眺めてイリーナに言う。
「アリシアと大事な話がある。出て行ってくれ」
「はい、殿下」
イリーナが完璧な一礼とともに、室を辞した。
殿下が、わたしを手招く。
わたしは、執務机の横に直立した。
「は!」
「……アリシア、返事を聞かせてくれ」
朝、わたしは全く答えられず、殿下は来客時間が迫ったということで、あやふやなまま応接の間へと移動していた。そして、隣国の使者と話を終えて、業務がひと段落した今、わたしは再び、殿下に例の件を持ち出された……。
あの……本気なんですか?
いくらでも美女を選び放題の殿下が、どうしてこんなわたしを?
戦うことしか、能がないというのに……。
ていうか、そもそも二十もわたしが年上なんですが?
「殿下……わかりません。帝国……いや北方大陸全体をみても、殿下ほどに容姿と知性に恵まれた男性はいらっしゃいません。臣はそのような方にお仕えできて、心から誇らしく感じております」
「……アリシア、堅苦しくおだてて話を逸らそうとしてもダメだよ」
だめか!
殿下は微笑み、わたしを手招く。
一礼し、数歩近づいた後、直立した。
「どうして、わからない?」
困ったような表情で、見上げるような視線で見つめられるとさすがに照れる。
こんな美男子に、そんな見つめられることに慣れておりませんので……。
視線を逸らしたわたしだが、殿下は覗き込んできた。
「アリシア、何をそんなに疑う? 俺を嘘つきだと思っているのかい?」
「とんでもございません」
「俺は、冗談で人の気持ちを弄んで楽しむ男だと思っているのかな?」
「そのようなことをなさる御方ではないと、臣にはわかっております」
「では、どうして命令を拒む?」
……命令するようなことじゃないでしょとは、言えない。
というより、殿下に何があったのか?
「殿下、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「昨夜、不審なる者が殿下を――」
「来ちゃいないよ、もう……異常はなかったと言っただろ?」
「……失礼いたしました。殿下、ではどうしてですか? 何がおありに?」
「……」
殿下がじっと見つめてきたから、わたしはその視線から逃れるように顔を伏せた。
「実は、ずっとアリシアのことが好きだった」
わたしの困惑を無視して、殿下は続ける。
「真面目で、控えめで……判断に迷ったことがあった時は相談すると、的確に助言をしてくれた。そして、危ない時は何度も助けてくれた……俺も武芸の心得があるけど、アリシアのほうがよっぽど強い。俺は……君ほどに誠実で、頼れて……きれいな人を知らない」
……もしかして視力が?
「殿下、現実的なお話をしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「視力の検査を――」
「だから、健康だよ。ここから壁時計もしっかりと見えている」
わたしは、壁時計を見た。
「殿下、今は何時でしょうか?」
「……午後一時過ぎ」
「安心しました」
よかった……視力は悪くない……じゃぁない!
「で……殿下……殿下……」
「なんだい?」
「殿下、あの……本当に、本気で、本心で、わわわわたしに、つつつつ妻になれと仰っておられるのですか?」
殿下は、にっこりとした。
「やっとわかってもらえたね? そう。いや、違う。命じている。拒否したら、命令違反だぞ、アリシア」
「ちょ……ちょちょちょちょちょちょっとお待ちください」
わたしは胸を押さえて、思考をめぐらす。
本気で?
まずい。
許されない。
とんでもない。
とんでもないことだ。
断ろう……いや、わたしが断るのはおかしい。
殿下のご命令を、断るなんてとんでもない!
ご命令を撤回していただかないと!
どうやって?
ああ、主神よ、わたしを助けて!
「アリシア、大丈夫か?」
「は……ははははい! 大丈夫です……殿下、どうかお願いいたします。どうか、殿下にふさわしい姫君をお迎えなさってくださいますよう!」
「だから、君を迎えたい」
ああ! だからそうじゃない!
姫君をって言ってんでしょうよ!
ダメだ……殿下にそんな口はきけない。
どうしたら?
「アリシア、まさか命令拒否か?」
「……とんでもございません」
殿下はそこで、苦笑する。
「ま、命令だって言うのは君が信じなかったからだ……命令は撤回しよう……このとおり、俺は本気だ。だから、改めて本気で考えてほしい」
「……考える? ですか?」
「そう。俺の妻になってもいいか、ちゃんと考えて答えを出してほしい。もちろん、俺はなってほしいが、主神に祈って待つことにしよう」
卑怯な……そういう言い方は卑怯です。
まったくその気がなかったわたしが、ここにきて意識してしまう!
だめだめだめだめ……四十二歳の戦闘特化女が、乙女みたいなことを妄想するなと自省して、動揺を隠す一礼で応えた。
「では、しっかりと受け止め、考えさせていただきます」
「よろしく頼む」
諦めていただく理由を、作るしかない。




