静かな波紋
私はマドレーヌと別れて、屋敷へ戻るために坂を上っていた。
港から物を動かしたり、作業する人の声が聞こえてくる。
(……何も起きていない)
坂を上がっていくと、人々の話し声も聞こえてくる。
うまく聞きとれはしなかったけれど。
(怒鳴られもしないし、止められもしない)
前世でも、失敗すれば叱られることはあった。
だから、怒られないことに慣れているわけじゃない。
(なのに……どうして、こんなに落ち着かないのかしら)
上がっていくにつれて、港からの音は小さくなる。
「同じ音なのに……少し、軽い?」
重みが減っているような。
微妙な違いだった。
屋敷へ着く頃には、港町の音はほんのりと。
「やっぱり美味しいわね」
戻ってくると、私は買ってきた魚を焼いてもらって、食べたのだった。
ほくほくしていて、満足するような味。
このマドレーヌ辺境領ならではの食べ方よね。
味を楽しんでいるのもあって、心に感じていた違和感は一時的に打ち消されていた。
「メリッサ様は、この食べ方お好きなんですね」
微笑みながら、そう言葉を出していたセシリア。
「まあね」
私はそうはにかにながら、彼女の言葉を返す。
食べ終わったら、書類を片付けていく。
午前は港町へ遊びに行っていたから、午後は溜まったものを少しずつ片付けていく。
いつになったら完全に片付くのかしらね。
(また、ざわざわしてきた)
書類を片付けていると、さっきの違和感が戻ってきた。
ちょっとだけ落ち着かない、ざわめき。
その違和感を感じながら、夕方になっていく。
窓の外は雲が覆いながらも、雲の切れ間からは橙色を覗かせていた。
「はぁ……」
夕食を食べ終わって、書斎の椅子に座っていた私。
ぼんやりと何をするでもなく、書斎を眺める。
「お疲れではありませんか?」
セシリアが入ってきて、机の上に薬草茶を置いていった。
そして部屋の灯りを調整する。
少しだけ暗めに。
「身体ではないの」
彼女の心配に対して、私はぼんやりと返していく。
「頭も……違う。たぶん、心ね」
ふと帳簿が視界に入ってきた。
でも、私は手を伸ばそうとすらしなかった。
「今日は、開かれないのですね」
その様子を見てセシリアがそう言葉を。
「うん。今日は……”数字の外”を見た気がするから」
私の言葉の後、ほんの少しだけ静寂が流れていった。
「それは、進んだということです」
静寂を破ったのは、返答したセシリアだった。
「戻れないって意味?」
「はい」
私の問いかけに、肯定したセシリア。
表情はそのまま。
「私は……正しいことをしたと思ってる」
そんなセシリアに、ぽつりと本音を漏らした。
私の本音に対して、ただ聞いているセシリア。
「でも、正しかった”だけ”なのかもしれない」
「正しさは、消えません」
彼女は答えていくように、いつもよりとはっきりした声で。
「消えない?」
どういうことなんだろう。
「はい。正しさは残ります。残るからこそ、後で人を追い詰めることもあります」
彼女の言葉に少し驚く私。
「それ、慰めじゃないわよね」
苦笑いしながら、問いかけた。
「慰める段階は、もう過ぎています」
真顔のまま、セシリアは言葉を返したのだった。
セシリアが下がった後、窓辺に立った私。
窓から見える港町の灯りも、少しずつ少なくなっていく。
「農村は、耐えてる。港町は、まだ気づいていない」
それぞれを思い浮かべながら。
「……私だけが、真ん中で立ち止まっている」
両方の中間になるであろう、この場所。
私はここの領主だから。
「だったら次はーー帳簿に書いていないものを、見に行くしかない」
私はちらっと帳簿を見ていった。
一切手は伸ばさず、帳簿は閉じられたままだけど。
「数字じゃなくて……人の判断を」
それから書斎を出ていって、寝室で寝る準備を。
ベッドの横になって、また呟く。
「均さない努力を、正式にした」
間違っていないと思う。
だからこそ。
「じゃあ、その先にある”責任”もーーちゃんと見なきゃ、だめよね」




