行ってらっしゃい
草の匂いを間近に嗅いで目が覚める。
途端に左腕と右足に激痛が走った。くそ、アイツらはと周囲を見渡せば、同じように転がっている隊員達が視界に入る。歯を食いしばって顔を上げ、皆が生きているか確認する。
「ぐ、くそ、いてえ……」
死んだ方がマシだって程の痛みが襲って来て、他の奴を確認している余裕が無くなった。魔物にやられるとこんなに痛いのかと、自分の身体で思い知った。
くそ、冗談じゃねえ、こんな所でくたばって堪るか。
「が、ぐうっ」
痛みを堪える為に歯を食いしばるが、唸り声しかでやしねえ。
隊員達が集まって何か言っている声が聞こえるが、言葉が聞き取れねえ。
痛い、痛い、痛い、痛いと、ただそれだけが頭の中で暴れ回る。
痛みに我を失いそうになっていた時。
「ガルグさん!」
その声のお蔭で留まれた。
ああ、ここは治癒所か。ならもう、大丈夫だ。
安堵した時、意識を奪われ、痛みで意識が戻ればまた意識を奪われ。何度それが繰り返されたのか、焼けつくような痛みと朦朧とした意識の中、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をしたリットを見た気がした。
これが最後だとしたら、どこまでも残念な奴だと思いながら意識を失った。
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ガルグ隊長はすっかり忘れてるみたいだけど、私が子供の頃、ガルグ隊長とは一度会った事がある。住んでた町の近くにあるリリムの森にいるアーカーを討伐に来た時の事だ。
まだ十歳だった私が店番をしていた時、第二騎士隊の新人さんだったガルグさんが回復剤を買いに来た。
元々注文を貰ってた物だったから、店の奥から箱に入っていた回復剤を出した。小さな私が運んでいたのを見て、偉いなと褒めて頭を撫でてくれた人。
王都の騎士は皆、偉そうで怖い人だと思っていたけど、ガルグさんはそう言う所が全然なくて、町の皆にも愛想が良かった。
リリムの森に討伐に行く人達の見送りに出たのは初めてで、いっぱいいる騎士の中からガルグさんを見付けるのは、小さな私には至難の業だった。だけど、列の後ろの方にいたガルグさんを見付け、必死に声を張り上げて手を振ったら、気付いてくれたガルグさんも笑って手を振ってくれた。
五日経って戻って来た時に、町の人達と一緒に出迎えたんだけど、皆、疲弊しきって表情を失くしてた。ガルグさんも笑ってくれなくなってて、結局それっきり。
今なら、何人かが討伐中に亡くなったのだと解るけど、あの頃は幼なかったから、その急な変化が寂しかった。
祖父から父へ、父から私へと受け継いだ高薬草と完全回復草の栽培に力を注ぎ、それを元に薬剤を作り出す事に成功して。
これでガルグさんがまた、笑ってくれる気がした。
高回復剤と完全回復剤を浄化剤とセットにして冒険者ギルドで売り出した。最初は訝しんで買って貰えなかったけど、ある日突然、売り切れ続出になり、入って来るお金の多さににんまりしていたら、王都から騎士がやって来た。
表向きはとても丁寧に、けれど有無を言う時間も与えられずに王都へと連れていかれ、豪華な部屋に監禁されて。
私を連れて来た騎士は、私の薬草畑から薬草達を持って来ていた。
ご丁寧に、家の中を漁って色々持ち出してくれた事に、怒れば良いのか呆れれば良いのか判らず、とにかく言われた通りに動くしかなかった。
高回復剤と完全回復剤を作り出し、必ず浄化剤を使ってから飲ませるよう伝えた所、魔物で実験でもしたのかそれとも、実地検分となったのかはわからない。
解らないけど、国王の弟だと言うヴァミエール公爵がやって来て、両親が亡くなっているなら家の養女にならないかと言って来た。
別に親だと思わなくて良い、ただ、これだけの物を守るには必要だからと、そう言われればそうなのかと納得するしかなかった。
薬草師と言う職業が作られ、私が名誉ある第一号になったのは笑い話だ。
けどきっと、祖父も両親も喜んでくれるだろうと、ありがたくその名を頂いた。
王宮薬草園が与えられ、助手と言う名の監視の人達に囲まれながらも、何とか形にすべく奮闘する。
土を作り、適度な環境を作り上げ、それから漸く種を蒔いた。
広い薬草園の中で管理しやすいよう、効能ごとに植える範囲を決めて世話をし続け、やっと全部の薬草が実ってさてこれからと言う時に義父に呼び出される。
特級ランク指定の魔物が発生し、第二騎士隊が出る事が決定したけど、そこに治癒隊が加わる事、治癒隊の要望があり、私が同行する事は可能かと聞かれた。
正直、薬草園がやっとこれからって時だったから、ここから離れたくないと思ったけど、拒否は出来ないんだろうなと半ば諦めながら了承する。それに、第二騎士隊ならガルグさんがいる。
もう一度会える事を嬉しく思いながら、治癒隊の人達と一緒に移動した。
再び出会えたのは、ガルグさんが酷い怪我を負った人と一緒に治癒所に来た時だった。最初は誰だか分らなかったけど、吐いてしまった治癒隊の人達の代わりに、動ける私が動いた後、ガルグさんに気付いたんだ。
あまりにも顔が怖くなってて気付かなかった。
ガルグさんはあの時、アーカーの討伐から戻って来た時と同じように、口を真っすぐ結んで鋭い目で私を睨むように見て来た。隊員の命が掛かっているのだから、当たり前だ。互いに真剣になって事に当たり、命を繋ぐ事が出来た事にほっと息を吐き出した。
まあ、その後話し掛けても全く思い出して貰えなくて、それはそれで寂しかったけど、今更、覚えてますか何て聞けない。
「……ガルグさん、朝になりましたよ?」
あれからずっと、ガルグさんの寝顔を眺め続けてた。
近所の子達とガルグさんに登ったり、抱き上げてもらったり、振り回して貰ったりした。ポンと軽々と上に投げて貰ったのが楽しかったなあ。
あの頃に比べたらガルグさん、ボロボロのヨレヨレだ。
それだけ、第二騎士隊って所が厳しい所だって良く解る。
優しそうな顔をしてたガルグさんは、会えない間に鋭い顔に変わってた。
けど、ふとした拍子に見せる笑顔がそのままで。変わってない所もあるって判って、嬉しかった。
「おはようございます、リットさん」
「おはようございます、サノエさん」
「……まだ目覚めませんか」
サノエさんに頷いて返し、一度ガルグさんの顔を見てからサノエさんと一緒に治癒所を出た。
「サノエさん、他の人達、戻って来ないね」
「はい。ですが急使も来ていませんから、全滅はしていないでしょう」
「……そっか」
竜がいる方へ顔を向けてから、一度自分のテントに戻り、身綺麗にしてからテントを出る。待っていてくれたサノエさんと歩きながら、薬草畑に行き、今日の分を収穫して調剤用テントへと向かった。
「ガルグ隊長は、意識が戻ったらまた竜の所へ行きますよ」
サノエさんの言葉が突き刺さる。
解ってる、今までだって治した人が直ぐに戻って行くのを見送って来たから。
「大丈夫、解ってる」
「なら良いのですが」
ざわつく胸の中を、深く呼吸をする事で落ち着けた。
「……それ、ガルグ隊長からの贈り物でしょう」
貰った次の日からずっと、私の頭に着いている髪飾りへ視線を向けながら、サノエさんがそう言って来る。こくりと頷けば、サノエさんがクスリと笑った。
「オピスフラウラですよね」
「え、なに?」
「ご存じありませんか?森の中に自生していて、赤く色付いた実がとても美味しそうなんですよ」
「見た事無いなあ」
「そうですか。ところで、オピスフラウラには花言葉がありましてね」
「へえ……」
「花は黄色でとても小さいからか、可憐。美味しそうに見える実は、口に入れるとジャリジャリした触感があるだけの、無味無臭。その見た目と中身の違いからか、小悪魔のような魅力、と」
「…………え、っと、その、どう反応すれば良いのか」
「まあガルグ隊長の事ですから、花言葉なんて知らないでしょうけど」
サノエさんがクスクス笑いながらそう言う。
まあうん、確かにガルグさんが知ってるとは思えないね。
「リットさん。知らないのにそれを選んだって所が、とても良いと思ったんですよ」
「え……、え?」
「何と言えばいいのか。ガルグ隊長は本能で正解を選んでいる気がしますよ」
クスクス笑うサノエさんはそう言って、摘んで来た高薬草と完全回復草を受け取った後、カルガさんとシダさんに声を掛けてから私を追い出した。
なんだか、とても恥ずかしい事を言われた気がして、一歩足を動かすたびに赤くなって行く頬を隠す為、急いで治癒所に飛び込んだ。カルガさんとシダさんが何も言わずにいてくれる事がありがたい。
治癒所の中には、ガルグさんと一緒に運ばれてきた人達もいる。
闇ブレスにやられたと聞いているから、目が覚めたらもう一度高回復剤を飲ませる予定だ。きちんと食事をして、回復剤を飲めば……。
そこで、まだ目が覚めないガルグさんの顔を見下ろした。
もう一度回復剤を飲めばまた、竜との戦いに戻って行く。
またブレスにやられるかもしれない、そんな戦いに。
「……それ、似合ってるな」
新しく生やしたガルグさんの身体を診ていた時、そんな言葉で顔を上げた。
閉じられていた瞼が開いていて、茶色の瞳が私の頭に着けてある髪飾りを映していた。
「ガルグ、さん……」
「どれぐらい寝てた?アイツらは無事か?」
「きょ、今日はガルグさんが運ばれて来た翌日です。一緒に運ばれて来た人はまだ目が覚めていません」
「解った」
そう言うと身体を起こし、ベッドから降りてしまう。
「……さすがだな、全然違和感がねえ」
行ってしまう。
また、戦いに行ってしまうのだ。
「やっぱすげえなお前」
ニカッと笑いながら褒められたけど、嬉しくない。
「初めて会った時はこんな小っさかったくせになあ」
「……覚えていて、くれたんですか」
「涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔見て思い出した。ビエーユの町の薬剤屋の娘だろ?」
「ガルグさん……」
笑いながらガルグさんが言う事には、初めて出会ったあの時は、ガルグさんが第二騎士隊に配属されて初の討伐任務だったらしい。あの時に同期の何人かがいなくなったと、遠い目をして語る。
「泣くな、リット。大丈夫だ、お前のとこに竜が来る事はねえからな」
「な、泣いてないです……、いつまでも全裸で語ってるガルグさんが恥ずかしいだけですよ」
「……バ、テメエ、先に言えよっ!」
慌てて股間を隠すガルグさんを見ながら、流れ出てた涙を拭きながら笑った。
「食事をしたら高回復剤を飲んで下さい」
「数あんのか?」
「あります」
「じゃあ貰うわ」
着替えたガルグさんに高回復剤を渡し、治癒所で見送った。
残った人達が目覚めた時、同じように送り出す為に。
「行ってらっしゃい、ガルグさん!」
「おう!」
手を振る私に、拳を突き上げて返事をしたガルグさんが竜との戦いへと向かう頃、残っていた人達も次々と目覚めた。
闇ブレスが襲って来た時、ガルグさんが全員をその範囲から蹴り出したり投げ飛ばしたりしたらしい。やっぱりガルグさんは、猛獣みたいな人だ。
「それで、隊長は何処に」
「食事をして戻るそうです」
笑いながらそう答えれば、全員があたふたと着替えをして出て行った。
回復剤を持たせ、食事の後必ず飲むようにと言い含める。
「ありがとうございました!」
そう言ってお辞儀をして行く第二騎士隊の人達を見送り、カルガさんとシダさんと一緒に薬草畑へ戻る。
「皆のお蔭で、お礼を言われたよ。ありがとうって」
薬草達にそう伝えれば、嬉しそうに葉を揺らす。
元気になってくれて嬉しい。嬉しいけど悲しい。
私が作り出したのは、もう一度死地に向かわせる物だったって、やっと理解出来た。
私はただ、誰かを失うぐらいなら、新しい身体で助かって欲しいって、そう思っただけなんだ。