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-序章-
その昔、この地には、ひとつの言い伝えがあった。
「香山には入ってはいけない。
香山の香は鬼の匂い。
その誘いに誘われた者は鬼となり、人を喰らう。」
誰が最初に語ったのかは、もう誰も知らない。
ただ、集落の者たちは、香山に近づくことを避け、
霧が立ち込める夜には、窓を閉め、香を焚いた。
香山は静かな山だった。
鳥の声も、虫の音も、風の囁きすら聞こえない。
まるで、何かが息を潜めているような、そんな沈黙があった。
戦時中、この地には、ひとつの“別館”が存在していた。
香山の霧の正体を掴んだ日本軍は、
その地下に牢屋を設け、人体実験を繰り返していた。
霧に触れた者は、やがて“鬼”と化す。
その変化を記録するための部屋は、冷たく、静かだった。
戦後、GHQがこの地に足を踏み入れたとき、
彼らはその異様な構造と空気に言葉を失った。
地下へ通じる部屋は、祈りの場へと作り替えられた。
教会を模したその部屋は、
まるで“何か”を鎮めるために設けられたようだった。
だが、地下は今も残っている。
焼け焦げた壁、歪んだ鉄格子、
そして、青く染まった痕跡――
香山の香は、まだ消えていない。




