第一章 可愛いだけのお人形
王城の会議室には、朝からずっと重苦しい空気が満ちていた。
私、セラフィーナ・ローズベルクは、婚約者であるアルドリック殿下の隣に座り、居並ぶ大臣たちの顔を静かに見渡す。
今年で十八歳になったけれど、私の顔立ちはいまだに十五、六歳ほどにしか見えないらしい。
淡いピンク色のロングヘアと、翡翠色の丸い瞳。
身長も伸びず同年代と比べてもひと際その小柄な体は目立つ。
それでいて胸のふくらみは他の令嬢を大きく上回るほど成長し内心では
「胸じゃなくて身長も欲しかったな」
という思いを抱かずにはいられなかった。
そして声も高くそして可愛らしく、幼い印象を与えるのだと、昔から周りに言われ続けてきた。
けれど、外見と中身はまるで違う。
父からは幼い頃より、領地経営、会計、外交、そして法律や魔法理論までを徹底的に叩き込まれてきた。
公爵家の娘として、いつか役に立つ日が来ると信じて、私は誰よりも努力を重ねてきたつもりだ。
王国広しといえど、十八歳で領地経営を一人で回せる令嬢は、私の他にはいないと父は誇らしげに言う。
その言葉が嬉しい反面、周囲からの評価はいつも「可愛い令嬢」止まりだった。
今朝も、屋敷を出る前に父の書斎に立ち寄った。
机の上には、今日の会議で使う資料が山のように積まれている。
「セラフィーナ、今日の資料は完璧だ」
「胸を張って発言してきなさい」
私は静かに頷いた。
「はい、お父様」
「必ず、王国のためになる提案をしてまいります」
父は満足そうに微笑んだあと、少しだけ表情を曇らせた。
「ただ、殿下の機嫌を損ねぬよう、言葉には気をつけるのだぞ」
その言葉の意味は、私にもよく分かっていた。
アルドリック殿下は、私が正しいことを言うたびに機嫌を悪くする。
けれど、間違ったことを黙って見過ごすことは、公爵家の娘として、そして婚約者として、決してできないことだった。
馬車に揺られながら、王城へ向かう。
今日の議題は、ここ数ヶ月続いている税収の減少についてだった。
資料をめくる音だけが響き、誰も原因を口にしようとしない。
大臣の一人が眉間に皺を寄せながら呟く。
「地方からの税収がまた落ちております」
「しかし、原因がどうにも掴めません」
別の大臣も困惑した様子で言葉を続けた。
「商会からの報告も要領を得ず、対策の立てようがございません」
私は手元の資料に目を落とした。
先週から独自に調べていた内容と、今の状況がぴたりと重なる。
このまま黙っていれば、来年にはもっと大きな問題になる。
父からはいつも「必要な時は声を上げなさい」と教えられてきた。
けれど、この場で私が口を開けば、周囲がどう思うかは分かりきっている。
それでも、国のためにならないことを見過ごすわけにはいかない。
私はそっと手を挙げた。
「恐れながら、発言をお許しいただけますでしょうか」
一瞬、会議室の空気が揺れる。
私に向けられる視線には、驚きとわずかな戸惑いが混じっていた。
年配の大臣の一人が、疑わしげに眉を上げる。
「セラフィーナ嬢が、この件について何かご存じなのですかな」
私は臆することなく、まっすぐに彼を見つめ返した。
「独自に調査を進めておりました」
「よろしければ、その内容をお話しさせていただけますでしょうか」
老宰相が小さく頷いた。
「セラフィーナ嬢、どうぞ」
私は用意していた資料を静かに広げた。
「先日施行された新税制についてですが、このままでは地方の商会が国外へ流出する恐れがございます」
大臣たちがざわつく。
私は続けて、他国との税率を比較した表を示した。
「隣国と比べて、こちらの税率は一割以上高くなっております」
「このままでは、五年以内に主要な商会の三割ほどが拠点を移す可能性がございます」
「そうなれば、税収はさらに落ち込み、来年には地方の食糧供給にも支障が出るでしょう」
先ほど疑わしげな顔をしていた大臣が、資料を覗き込んで息を呑む。
「これは……見事な分析だ」
「まさか、ここまで詳細に調べ上げているとは」
会議室が静まり返る。
誰も反論しない。
それどころか、老宰相が深く頷きながら私を見つめていた。
「さすがローズベルク公爵家のお嬢様だ」
「ここまで先を読んでおられたとは」
その言葉に、他の大臣たちも次々と同意の声を上げていく。
けれど、隣に座るアルドリック殿下の表情だけが、目に見えて曇っていた。
私はその変化に気づいていたけれど、あえて何も言わなかった。
彼が私より目立つことを嫌うのは、今に始まったことではない。
それでも、国のためになるならばと、私は説明を続けることにした。
「対策といたしましては、商会への優遇措置を段階的に導入することをご提案いたします」
具体的な数値を挙げながら説明を終えると、会議室には拍手にも似た静けさが広がった。
誰も口を開かないまま、しばらく時間だけが過ぎていく。
やがて宰相が満足そうに議事を締めくくった。
「本日はここまでとしよう」
「セラフィーナ嬢の案を元に、詳細を詰めることとする」
会議が終わり、大臣たちが次々と部屋を出ていく。
私も静かに席を立とうとしたとき、アルドリック殿下が小さく舌打ちをするのが聞こえた。
振り返ると、彼はすぐに視線を逸らしてしまう。
「殿下、何か……」
「いや、何でもない」
短く言い残し、彼は足早に会議室を出ていってしまった。
何も言われなかったけれど、その態度が全てを物語っていた。
また、彼の機嫌を損ねてしまったのだろうか。
けれど、私は間違ったことを言ったつもりはない。
むしろ、これは婚約者として当然の務めだと思っている。
廊下に出ると、少し離れた場所から楽しげな声が聞こえてきた。
若い令嬢たちが数人集まって、談笑している。
「セラフィーナ様って、本当にお可愛らしいですわね」
「まるでお人形のよう」
「あの淡い髪色、羨ましいですわ」
その言葉には悪意はない。
むしろ好意的なものだと分かっている。
けれど、少し先の柱の陰から、別の声が聞こえてきた。
今度は若い貴族の男性たちの声だった。
「見た目は子供みたいなのに、あの説教くさい話し方はどうにかならないのか」
「可愛い顔であんなことを言われると、正直腹が立つな」
「王太子殿下もお可哀想に」
その言葉が、胸の奥に静かに刺さっていく。
私は足を止めることなく、そのまま歩き続けた。
表情を変えないようにするのは、もうずいぶん昔から慣れている。
幼い頃から、ずっとこうだった。
夜、自室に戻ってから、幼い頃の記憶がふと蘇る。
六歳の頃、初めて父の書斎で領地の帳簿を見せてもらった日のことだ。
数字の並びを必死に覚えようとする私を見て、父は静かに笑っていた。
「セラフィーナ、覚えが早いな」
「お前ならきっと、立派な領主になれる」
その言葉が、幼い私の誇りだった。
けれど、屋敷を出れば必ず誰かがこう言う。
「セラフィーナ様は本当にお可愛らしいこと」
「まるで小さな妖精のよう」
可愛いという言葉は、決して嫌いではない。
けれど、それしか言われないことが、少しずつ心を削っていった。
アルドリック殿下との婚約は、私が十歳の頃に両家の合意によって決まった。
初めて顔を合わせた日、幼い彼は照れながらこう言ってくれた。
「セラフィーナは、僕の婚約者になるんだね」
「よろしく」
その頃の彼は、まだ素直で優しかった。
王太子として期待され、完璧な王子であることを求められ続ける中で、少しずつ彼の中の何かが変わっていったのだと思う。
女性は男を立てる存在であるべきだという考えを、いつからか強く持つようになった。
私が正しいことを口にするたびに、彼のプライドは静かに傷ついていくのだろう。
分かってはいても、間違いを黙って見過ごすことだけは、どうしてもできなかった。
家庭教師たちも、最初は私を見くびっていた。
小さな子供に難しい話が分かるはずがないと、誰もが思っていたのだろう。
けれど、どれほど難解な課題を出されても、私は必ず期限までに仕上げてきた。
それでも、周囲の評価が変わることはほとんどなかった。
努力の成果を、誰も見てくれない。
能力を、誰も認めてくれない。
せめて仕事の結果だけでも、正しく評価してほしい。
ただそれだけを、ずっと願い続けてきた。
窓の外を見ると、夕暮れの空が淡い橙色に染まっている。
今日の会議での発言は、間違いなく国のためになるはずだ。
けれど、アルドリック殿下の顔を思い出すと、小さな不安が胸をよぎる。
彼はまた、私を疎ましく思っただろうか。
婚約者として、彼の隣に立つことを許されているのは、公爵家の娘だからに過ぎないのかもしれない。
そんな考えが、頭の中を離れなかった。
侍女のマリーが紅茶を運んできた。
「お嬢様、お顔の色が優れないようですが」
「大丈夫よ、少し疲れただけ」
私は微笑んで見せたけれど、マリーは心配そうな顔を崩さなかった。
「無理だけは、なさいませんように」
彼女には、いつも何かを見透かされている気がする。
それでも、今はまだ、誰かに弱さを見せるわけにはいかない。
公爵家の娘として、そして王太子の婚約者として、弱さを見せることは許されない立場だと思っていた。
立ち上がり、部屋の隅に置かれた姿見の前に立つ。
映っているのは、百五十三センチほどの小柄な身体と、あどけなさの残る顔立ちだった。
けれど、装いを整えれば、大人びた体つきであることも分かってしまう。
その不釣り合いさが、私を余計にややこしい存在にしているのかもしれない。
幼く見える顔と、成熟した身体と、大人以上に鍛えてきた知識。
どれもが本当の私なのに、周囲は見た目だけを切り取って語ろうとする。
鏡の中の自分に向かって、私は小さく呟いた。
「もう少しだけ、大人びて見えたなら」
「殿下も、少しは違う目で見てくださったのかしら」
答えの出ない問いを胸にしまい、私は姿見から視線を外した。
考えても仕方のないことだと分かっている。
それでも、こうして一人になった夜だけは、弱音を吐くことを自分に許していた。
窓の外では、王都の灯りが少しずつ灯り始めていた。
明日もまた、同じような一日が続くのだろう。
それでも私は、自分にできることを続けるしかない。
たとえ誰にも認められなくても、この国のために働くことだけは、誰にも譲れない誇りだった。
机に向かい、明日の会議に向けた資料をもう一度見直す。
アルドリック殿下が作った慈善事業の予算案には、いくつもの無駄があった。
このままでは、来月の支援活動にも支障が出てしまう。
明日こそは、彼にきちんと伝えなければならない。
そう心に決めながら、私はペンを走らせ続けた。
ペン先の音だけが、静かな部屋に響く。
時折、蝋燭の炎が揺れて、壁に映る影が揺らめいた。
どれほど疲れていても、この作業を止めるわけにはいかない。
私が投げ出せば、困るのは領地の民であり、そして王国そのものだからだ。
可愛いとしか言われなくても構わない。
けれど、仕事の手だけは、決して抜かないと心に誓っていた。
それが、公爵家の娘として、そして一人の人間としての、私なりの矜持だった。
深夜近くになって、ようやく資料をまとめ終える。
明日の会議に向けて、これで準備は万全のはずだ。
ペンを置き、椅子の背にもたれかかると、どっと疲れが押し寄せてきた。
それでも、心のどこかは満たされている。
誰にも褒められなくても、自分の仕事に納得できることが、今の私を支えている唯一の拠り所だった。
そのときの私は、まだ知らなかった。
この静かな日々が、もうすぐ終わりを迎えることを。




