9速着替えは日常茶飯事です。
学園の玄関を抜け、あらかじめ呼んでおいた馬車に乗り込む。
「遅れてすまない、出してくれ」従者にそう伝え、ドアを閉めると共にカーテンを引いた。
紺色のジャケットを脱ぎ、リボンタイワンピースを下から一気に脱ぎ捨てる。
手早く白色のワイシャツに袖を通し、ボタンをつけていく。ズボンに履き替え、ベルトを締めた。
ゴムで髪を括り上げ、ポニーテールをつくる。ワックスを手に取り、前髪をオールバックにかき上げる。編み上げブーツの紐を締め上げていき、普段の慣れた姿をつくった。
しばらく馬車に揺られれば、見知った城内の敷地についていた。
馬車から降り立ち、城内へと入った。
大理石の廊下は相変わらず、どこも荘厳な造りだ。
「ラングストン卿、お疲れ様です」見知った赤髪が目に入り挨拶する。
「お疲れ様です、エリウス公」緩いウェーブのかかったロングヘアは妹とよく似ていた。
そのまま二人並び、廊下を進む。
「妹さんのこと聞きましたよ。カロリング学園に通い始めたんですね」優しげな笑顔とともに訊ねられた。
「ええ、ラングストン男爵令嬢とも仲良くさせていただいているようです」
「ルミルダとですか?あの子なかなか頑固なところがあるから…どうぞ、これからもよろしくお伝えください」眉根を下げながら、彼は頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお伝えください」私も合わせて頭を下げる。
お辞儀をしあう形となり、どちらともなく笑みが零れた。
赤髪は後ろが寝癖のまま飛び跳ね、ふわふわとして雰囲気が彼からはあふれ出ている。
「エリウス公はこれから仕事ですか?」
「ええ、しばらく所用で外していたものですから」
「そうでしたか、議会も冬まで予定されていませんし、たまにはお休みするのもいいですよ」
「そうですね」
「ええ、肩の力を抜かないと潰れてしまいます」ラングストン男爵は目を細め、どこか遠くを見つめる。
「ラングストン卿…?」
「ああ、いえ。全然お休みしない友人がいたもので、少し喝でも入れてやろうか考えていただけです」そう言って、困ったように頭の後ろを掻いた。
「ラングストン卿も少しお休みした方がいいですよ、いつもお忙しそうにしてらっしゃいますし」そう声を掛けると、彼は少し目を見開いてから嬉しそうに、ありがとうございますと言った。
「では、私はここで失礼しますね」ラングストン男爵は道を逸れ、廊下を進んでいく。寝癖が付いた後ろ髪がふよふよと浮いていた。
逆方向に廊下を進み執務室へと向かう。
強風に木々が激しく揺れていた。
曇天の空はほの暗く垂れ込んでいる。
「お疲れ」扉を開けて声を掛け、デスクへと向かった。
私のデスクではエリーが書類に目を通し、判を押してくれていた。
「代決をありがとう、エリー。あとは私がやるよ」声を掛ければ、エリーは席を立つ。
「ふふっ、お疲れ様です。学園生活はいかがですかぁ?」
「お陰様でとても楽しいよ。友人もできたしね」
「懐かしいですねぇ、クロード様はここにいて大丈夫なんですかぁ?今日は学園お休みというわけではないでしょう?」
「ん?今日の授業はもう終わっているよ。それに、本当は学園に通う必要はないくらいなんだよ」
「試験だけ受かれば卒業できるって思ってますかぁ?」じと目でエリーはこちらを見てくる。
「…いや、まあ…こっちが忙しくなったら考えようかと」
「いけませんよ!クロード様が一通りの教養を身に着けてらっしゃるのは知っていますが、学生生活とはそれだけがすべてではありませんよう!」エリーは握りこぶしをつくり、力説を始める。
「わかったよ、大丈夫だから。それより、何か報告事項はあるかい?」話題を変えて、話を逸らした。
「ほんとにわかっているんですかあ?まあいいです。報告は2件、1件目は教会で暮らしている30代男性を引き取りたいという母親からの相談と2件目は乳幼児の養育が十分に行えるか不安という女性…第三者からの通報です」
「第三者って…その子の父母からですらないのかい」嫌な予感しかしない。
「父親側の母、つまり子からすれば祖母にあたる方からの通報です」
「で、1件目だけど…どうして男性は教会にいるんだい?」
「母親から聞いた話では男性の知能指数は概ねIQ20以下と医師から過去に診断されたそうです。」
「母親は引き取ってどうするんだい?」
「自宅で一緒に生活をしたいとのことですが、母親はすでに70代前半ですし変形性膝関節症等もありますから…一人で介助は現実的に考えて難しいという教会側の見立てです」
「どこの教会に入っているんだい?」
「場所は…ああ、クロード様が通うカロリング学園のすぐ近くですよ」
「そこなら知り合いがいる」
「前にクロード様が勤めていたのってここでしたっけぇ?」
「そう、サベラさんは頼れる素敵な女性なんだけど…神父のじじいがオヤジギャグ連発してきて疲れるんだよ」思い出しすと溜息が出てきた。悪い人ではないのだけれど、いかんせん面倒くさい。
「明日の午後3時頃に教会で母親と面接を予定していますが、クロード様も同席されますか?」
「そうだね、嫌な予感がするし…顔は見せておこうかな。私は学園からそのまま教会に向かうよ」
「わかりました。子供の方は…まずは父母からも状況を聞いてみます」
「私も同席が必要であれば声をかけてくれていいからね」
「ええ、雲行きが怪しいときはお願いします」
エリーから引き継いだ決裁書類に目を通していき、代決されていない分の書類に判を押していく。
夜も更け込み、時計の針が9時を刺した頃合いで切り上げ帰路についた。