14外から中は見えません。
「懐かしい夢…」
朝の光に目が覚め、起き上がる。
ベッドから降りて窓を開けた。
時刻は6時半。
太陽はまだ薄い橙色の光を散らして、木々の影が伸びている。
朝露で湿った空気に乗って、緑の香りが運ばれてくる。
冷たさに少し、鼻の頭がつんとした。
小鳥がさえずり、遠く空へと飛んでいく。
「お父様はいつ戻られるんだろうね…」呟く言葉は朝の静けさに消えていった。
父の寝室は換気がされておらず、暗がりに向かって声を掛ける日々が繰り返されている。
「失礼致します」ノットとともにマリンの声がした。
「どうぞ入って」
「もう起きてらしたんですね」マリンはカートを押してソファ近くに立ち、紅茶を淹れてくれる。
私は窓を閉めて、クローゼットから制服を取り出した。
白色のワンピースに袖を通し、藤色のリボンを結ぶ。紺色のジャケットを羽織ってから、サファイアが嵌め込まれたネックレスの金具を留めた。
「クラウディア様こちらにいらしてください」マリンは鏡の前でコテを暖める。
言われるがまま、鏡台の前に座った。
「いつもの髪型でよろしいですか?」
「ああ、頼むよ」
メアリはネットに髪を押し込んで隠し、上から銀糸のウィッグを被せる。
器用にコテで縦巻きロールを手直しし、ワックスでしっかり固めていった。
前髪を斜めに流せば、古典的なお嬢さまの完成である。
「行ってくるよ」鏡台から立ち上がり、ブンッと手でロールを払い除けて部屋を出た。
朝日が差し込み、綺麗に掃除された屋敷を歩く。
「ああ、おはよう。セバスチャン」執事のセバスチャンと廊下で出くわし挨拶する。
「おはようございます、お嬢さま」セバスチャンは恭しく礼をした。
「そうだ、悪いんだがセバスチャンにお願いしたい仕事がある」伝えてから、彼を手招きし父の書斎へと向かった。
机の上には積み上がった書状があった。
「時間が許す範囲でいい。この書状に対しすべて断りの手紙を返してくれないかい?」
「私が書いて宜しいのですか?」セバスチャンは僅かに困惑の表情を見せた。
「今までもすべて断っているし、王族及び侯爵家以上の家格の家から来た分については今までのとおり私が書くが、その他についてはお願いしたいんだ…私一人ではもう手が回らない」
「…かしこまりました」セバスチャンはそう承諾してくれた。
「以前より、お嬢さまのお身体を心配しておりました。この老いぼれに出来ることであればなんなりとお申し付けください」初老に差し掛かる彼の目元が優しくシワを刻む。
「ありがとう」
「とんでもございません」
セバスチャンにその場を任せ、書斎を出た。
廊下を進み、父の部屋の前に立つ。
物音はせず、まるで無人の部屋であるように人の気配がない。
意を決して父の部屋をノックするが、変わらず返事はない。
「お父様…クラウディアです。学校がありますから、もう行きますね…いってきます」ドア越しに声をかけてから、部屋に背を向けた。
朝食用のサンドウィッチをマリンから受取り、玄関に停めてある馬車へと乗り込む。
学園までの道を微睡みながら、馬車に揺られた。
新聞を広げて、一通りの記事に目を通していく。ニュースをチェクし終えてから、頭の中で放課後の段取りを組んでいく。
「高齢女性と息子の件は…次の面接まで先送りとして。エリーの父母と乳児の件は嫌な予感がする。本当に問題ないか、私も同行したいところだね…」
祖母の思い過しならいいけれど、本当に養育に不安があるというなら、それも虐待…ネグレクトが疑われる状態なら…決断を迫られることになるだろう。
最悪の事態が浮かび、私は頭を振って思考を霧散させた。
「考えすぎても意味がないね」
気分転換に馬車の小窓から景色を眺めれば、学園に向かう多くの学生が丘を歩いていた。
友人達と話しながら歩く様子は楽しげで、軽やかな笑顔が溢れている。
学園の門のが徐々に近づき、手前で馬車は停車した。
「ありがとう」従者に礼を言ってから、扉の枠に手を掛けて降り立つ。
門をくぐり玄関口へと向かう。いつもは2階へと向かう階段を登りきり、3階で廊下の右手へと折れれば、1年生が在籍する教室にたどり着く。
「アイリス様の無事を確認したい…」
昨日の件が気になっていた。
新聞に記事は載っていなかったため、バルトは問題なく帰宅できたと考えていいだろうが、平民であるアイリスならば記事にはすぐに載らない可能性もある。
教室後方の扉に手を掛け、中を覗いてみるが姿は見えない。
「クラウディア様?」急に後ろから声がして振り返る。涼やかな微笑みを浮かべたメアリが立っていた。
「おはようございます、メアリ様」
「お会いできて嬉しいです。なにか御用でしたか?」メアリは玲瓏な声で問うてくる。
「アイリス様の様子が知りたくてね。まだ登校してないかい?」
「そうですね…いつも朝早くから登校される方なのですが、今日は少し遅いですね」メアリは顎に手を当てて、考えるように小首を傾げる。
「中に入りませんか?」メアリの提案に頷き、1年生の教室へ足を踏み入れれば空気が凍り、静けさが降りた。
「…私ってそんなに怖いかい?」恐る恐るメアリに訊ねる。
「え?そうですね…クラウディア様は目つきが悪い…いえ、鋭くいらっしゃいますから」
「メアリまで私のことバカにしだしたね?」嘆きたくなる思いで額を抑えていると、メアリが急に剣幕を変えて身を乗り出した。
「わたくし以外にも仲の良い方がいらっしゃるのですか?」両肩を掴まれ、メアリの綺麗な顔が迫る。
「…いや、ほら。私にも友人はいるよ?」メアリの鬼気迫る様子に尋問を受けている気分になってきた。
「酷いですわ!わたくしというものがありながら!」メアリは袖で目元を拭う素振りをみせる。
「え!?待って、落ち着いて!ね?」私はオタオタと宥めようとするが、これではヘタレ男のような有様だ。
「クラウディア様…」メアリは私の腕を引いて、胸元に飛び込んできた。
「え?メアリ…?」困惑しながら、彼女を抱きとめる。
「今しばらくこのままで」メアリが耳元に口を寄せ、小声で呟いた。
私はされるがまま、棒立ちで彼女が落ち着くのを待った。
正直…ふくよかなお胸が当たってつらい。
そうか、おっぱいとは柔らかいのもなのか…と、自分の胸板に虚しくなりながらも、その弾力を味わった。
メアリの髪から石けんの香りが漂う。
女の子って、柔らかくていい香りがするのかもしれない。
私は硬くて無臭だけれども。
「…なんだか校庭の方が騒がしくないかい?」
「なんの騒ぎでしょう?」
黄色い声に混じって、悲痛な叫びのようなものも聞こえてきた。
不審に思い、窓辺へと向かう。
窓ガラス越しに校庭を見遣る。
「……どこのラブロマンスだい?」
窓から見えた景色は、そう表現する以外に適切な言葉が見つからないようなものだった。
片足に包帯を巻き松葉杖をつくアイリスを、バルトがエスコートして門からの道を歩いていた。
楽しげに談笑する様子は微笑ましく、バルトからも時折、笑顔が伺える。
その周囲で女生徒たちはムンクの叫びを実演していた。
「これはあんまりです!」メアリは嘆かわしいと言わんばかりに眉間に皺を寄せている。
「いいんじゃないかい?2人とも楽しそうだしね」
メアリの綺麗な顔が再び眼前まで迫る。
だから、距離感が近いよ…。
「クラウディア様は無頓着であられます!」メアリは力強く言い切った。
「ありゃ、そうかい?」肩を竦めておどけてみせる。
「もうっ!もっと『くぅ〜なんなのあの小娘〜』とかないんですか!?」メアリが泣き真似をしながら説明を始めた。
「ふふっ、それは楽しそうだね」つい笑みが零れた。
「また適当に流すんですから!」メアリも楽し気に、ころころと笑う。
始業前の教室は生徒達の談笑で賑わっていた。
長閑だと、安堵から息を吐いたとき。
しん、と。
急に辺りが静まり返った。
ドアの方を振り返れば、そこにはアイリスとバルトが立っている。
バルトはこちらに気付いたのか、すぐに視線を逸らした。
バルトはアイリスの手を取ったまま、席まで移動する。心配そうにアイリスの顔を覗き込むと、アイリスは恥ずかしそうに俯いた。
バルトはその様子を愛しそうに見つめている。
「…わたくし怒りでどうにかなりそうですわ」メアリは拳をわなわなと震わせている。
「メアリ…気にしない方がいい」メアリの拳を両手で包み込み、ゆっくりと言い聞かせる。
「兎に角…バルト様もアイリス様も無事なようだから、私はこれで失礼するよ」メアリに小声で耳打ちし、教室のドアへと向かった。
「おい!あんたはなにも思わないのか?」バルトの声に視線を遣れば、こちらを侮蔑の表情で睨む姿があった。
「大変申し訳ございませんが、私には見当がつきません」
バルトがなぜ声を掛けてきたか、まるで心当たりがない。
「しらばっくれるのか?あんたは本当に…」バルトは忌々しげに言葉を押し殺す。
黙したままバルトの言葉の続きを待った。
「なぜ昨日の晩…馬車でアイリスを突き飛ばした?」バルトは淡々と問うてくる。
「この場ではお答えしかねます」
その問いに答えれば、国王陛下だけならず、バルトの身すら危うくなる可能性がある。
「アイリスはあんたに馬車に乗らないか、聞いただけだったろう?それなのに、あんたが突き飛ばしたからアイリスは怪我を負った」バルトはなおも非難を続けた。
「…バルト様には聞こえませんでしたか?」発砲前に馬車の扉を閉めたため、目視できなかったというならわかるが、1発といえど、銃の発砲音が聞こえなかったのだろうか。
「聞こえない?それこそ、あんたにはアイリスの悲鳴が聞こえなかったのか?」
「……。」悲鳴で掻き消される程度の音ではなかったが、それだけ彼がアイリスを心配し、焦っていたということなのかもしれない。
「あんたが馬車で突き飛ばしたからアイリスは見ての通り…医師は捻挫といっていたが」バルトは悲しげに包帯で巻かれたアイリスの足首見る。
「左様でございますか…」
被弾を避けるためとはいえ…アイリスを馬車の奥へ押しやり、乱暴に扉を閉めたことは間違いない事実。
「加減ができず、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げると、バルトはそれ以上の追及をやめた。
「バルト…私は大丈夫よ。心配してくださり、ありがとうございます。クラウディアもきっと、私がバルトと仲良くしていたから…その…寂しかったのかも。婚約者なのよね?」アイリスは気遣わしげに、バルトの肩に手を置いた。
「アイリス…」バルトは愛おしそうに手を重ねる。
おい、婚約者とわかっていて目の前でイチャつくその態度の方がどうかしてるんじゃないかい?
呆れで言葉も出ないとはこのことだろう。
「それにほら!クラウディア…私気にしてないから!だから、これからも仲良くしましょうね?」アイリスは相も変わらず、トンチンカンだった。
口を開こうとするも、校庭からのドスが聞いた叫び声に遮られた。
「クラウディア・エリウス様はいらっしゃいますかあ"あ"あ"あ"あ"あ"ーーーーーー!」
「あたしよーーーー!エリーよおおおおーーーー!!!!!」
「って、…エリーかい…」聞き覚えのある低音と、僅かに混じるオネエ言葉は間違いない。
しかし、学園まで来るなんて余程の事態だろうか?
彼は誰より私に"学生らしい"生活を望んでくれていた。
嫌な予感に背すじを冷たい汗が伝う。
廊下に向いていた足を反転させ、窓側へと駆けた。
「クラウディア様!?」
メアリが叫びにも近い驚きの声を上げるが、無視して通り抜けた。
窓の外には開けた芝の校庭、障害となる木々や遮るものはない。
勢いそのまま窓枠に手を付き、開け放たれた窓の外へと体を放り出した。
浮遊感と共に落下する。
はためくスカートとか、そんなものは気にしていられなかった。
着地点を確認し、膝のクッションを使って地に降りる。
「え!?クロード様…!?」エリーがぎょっとしてこちらを見ていた。
「クラウディアだよ、エリー」スカートを払いながら、そう訂正した。
ズレてしまったカツラの位置を修正する。
「…あの、3階から降ってきませんでしたかあ?」
「ん?ああ、良い子は真似しないようにね。思ったより膝が痛くなる」
「当たり前ですよお…」エリーは呆れたと言わんばかりに溜息をついた。
「で?どうしたんだい?急いでるんだろ。歩きながら聞くから、とにかく行こう」立ち尽くすエリーを置いて、校門へと足早に移動を開始する。
「それが…以前、祖母から通報のあった父母と乳児の御家族について報告したじゃないですかあ」
「ああ、いたね」
「父親が錯乱し…母親を殴ったために騎士団へ通報が入り、父親はそのまま精神科病棟へ入院に至りました。母親も検査のため脳外を受診し、今は帰宅したようですが…父親も数日で退院を見込んでいます」
「なにがあったんだい、この数日に…」事態の深刻さに頭が痛くなった。
「それと母親ですが…精神的に不安定なところがあって。元々、育児も含めて家事や身の回りのことはすべて父親が行っていたようです」
「…まだ0歳児だったね、夜泣きもある。育児のストレスもあるだろうが…見過ごせない状況だね」
エリーとともに停めていた馬車に乗り込む。
急ぎ走らせれば、数分で住宅街に入った。
狭い路地に馬車では入れないため、空き地に馬車を待機させてもらう。
「時間がかかるから、遅いようなら先に帰っていていいよ」従者にそう伝え、馬車から降りた。
家々の横を通り抜け、エリーに続いて目的の住居へと向かった。
そこは古くからある住居のようで、壁や屋根の色はくすみ、所々が剥がれ落ちていた。
ギシギシと音が鳴る階段を登り、チャイムのない扉をノックする。
「ごめんください、国より派遣されて参りました。エリーです」エリーが先にそう声をかけた。
ガチャリ、数cmほど僅かに開いたドアの隙間から女性が不審げにこちらを覗く。
「国って…何のご用ですか?」
「旦那様の件で、騎士団より様子を見るよう連絡がありました。生活のご様子をお聞かせ願えませんか?」私は努めて優しく話しかける。
「……。」女性はなおも信用ならないのか、ドアの前で逡巡してから、意を決したようにゆっくりと扉を開けた。
「ありがとうございます」母親を安心させたくて、微笑みかけながら礼を伝えた。
招かれるまま、母親の後に続いて室内へと入る。
狭くはあるが異臭や排泄物等の臭いはない。洗濯物が溜まっていたり、茶碗が積み上がっているようだが、ここ数日分といった程度であった。
「話ってなんですか?」
布団に寝かしつけている赤子を見れば、痣等はなく、すやすやと寝息を立てていた。
「お父様が入院されたと伺っておりますが、お母様はどこかお体に痛みや不調はありませんか?」エリーは母親に尋ねる。
「大丈夫です、この子も元気ですし」母親はそう言って、赤子の体をさすった。
「お困り事があれば、相談に乗りたいと思っています」エリーは優しく言葉を続ける。
「必要ありません、お引き取り下さい」母親は一切を拒否するように、エリーを睨めつけた。




