26<王太子殿下の執政、下>
便箋を丁寧に折り畳みながら、居た堪れない思いに駆られた。同郷の里山さんに会いたい、と思う。ここまで内心を暴露してくれたのだ、それなりに真摯な態度で示したい。
(……だが、)
逸る心はあるものの、しかし、軍人、騎士としての自分が、落ち着け、と囁いている。
問題が幾つかある、のを頭の片隅で算出したからだ。これは、ぶっちゃけ王太子殿下であられるリヒター殿下のお力がなければ解決できない。私自身を餌にする行為は金環国ですでにやってしまっている。そのため殿下から譲歩をいただくには、別のやり方で説得せねばならない。
「……殿下、この手紙は私宛に来たものです。
以降は私が管理、受け取ってよろしいでしょうか?」
赤毛の王太子殿下に目を向ければ彼はさらりと、いとも簡単に是とした。
「良い。
元よりリディに渡すつもりであったゆえ」
執務机の引き出しに準備しておきながら平然と返してくる殿下に、私の眉間がじわりとうずく。
(抑えろ、私)
三塁満塁ホームランでもかっ飛ばせたらさぞ気持ち良いだろうが、こんなところで盗塁しても望む展開にはならない。
(騎士団長たる者がなんてザマだ)
後手後手に回っているではないか。
見事に私は殿下によって踊らされている。
(まあ、かなり前からその傾向はあったがな……)
金環国でもやられっぱなしであったし、若者に負けるのは世の常という訳か。
伸びた桃色の髪を束ね、控えめに微笑む少年の姿が目裏に浮かぶ。彼はいつまでたっても少女めいた顔立ちのままでいて、背は伸びたようだがそれでも撫でやすい位置にある丸い頭が柔らかく、目の色も赤味がかっていることから密かに兎の人間バージョンだと思っている。可愛い鳥獣戯画よりも自己主張をせず、慎み深い。
(そも、アリスに手紙について教えてもらった時点で、
中身の把握に努めるべきであった)
判断を誤った。
検閲に時間はかかるのは承知していたが、このリヒター殿下のご様子だと明らかに目的が違う。
「その日本語の文字は、なかなかに難解だなリディ」
艶めいた唇を指でなぞるようにして喋る殿下は、無駄な色気を醸し出す。
「……母音と子音。
日本語は話す言葉よりも文字の多様さには目を瞠る。
複雑怪奇な言語が多く、共通項はあるが読み取るのが殊更に難しい。
ふ、暗号にも使えそうな言葉よな」
私は無言で、口端を上げて揶揄してくるリヒター殿下を見下ろす。
執務椅子に座したままの彼は、私が不敬な態度をとっているにも関わらず、むしろ愉快そうに私の様子をその双眸を輝かせてまで楽しんでいた。年上かつ、生まれたての頃からの側近である私を想像以上に転がすことができて面白いのかもしれん。厄介な。
ふと視界の隅に青い光が見えたため、何事と思い襟元を確かめると私に下賜された国宝サファイアの砌がうっすらと青光りを纏って自己主張をしていた。
お前の行動、その全ては監視しているという証だ。
(――――まったく……)
かさつく唇を舐め、呆れたようにリヒター殿下の悪戯を睨みつける。念押ししなくても分かっている。宝石部分のサファイアは淡い青光りを明滅せずにうっすらと輝くばかりであったが、軽く撫でてやれば満足げに収縮して元の宝石の色合いに戻る。
殿下と目を合わせてやれば、彼は私の意図を理解したのであろう、それはそれはもう柔らかく笑みを浮かべた。
「…………さて、私はどう答えれば良いのでしょう。
リヒター殿下。我が君」
「熟知しているはずだ、リディ」
「何を仰せか」
あえて不躾な物言いをぶつけるや、殿下はくつくつと肩を揺らして、その美貌を崩すことなく言葉を吐いた。
「俺の望むことをすれば良いだけのこと。
ただそれだけの単純明快な事柄だぞ、リディ?
君は、雨が降ろうと矢が降ろうとも、
そのことだけはゆめゆめ忘れなければ良い」
「殿下」
「たったそれだけのことだというに、
何故に悩む必要がある?
ただただ俺の手をうやうやしく取れば良いだけの人生なのに、
俺の騎士はいつまでたっても生真面目すぎて……ふ、
……、まったく、
愛々しい」
「は?」
「なぁバニュルスの息子よ」
唐突に呼ばれたわりに、きちんと敬礼をする副官補佐レオンハルト。
靴の先までびしっと角度が決まっている。
「は!」
「リディに珍しく誘われ、王都に出かけたのであろう?
どうであった、報告せよ」
「新市街には他国からの者たちが多く押しかけており、
なかなかの雑多ぶりです」
「ほう」
「四方国家すべての人種が入り込んでいると考えてよろしいでしょう。
まるで世界中の金と人間が我らが王都に集まっているかのようです。
ゆえに不特定多数が行き交うこその不安要素ともいうべき、
治安悪化が懸念されます。
事実、スリなどの被害はすでに出ているようです」
花の都の出入口が壊滅的被害を受けたため、新たに設けた出入口である新市街があまりに発展しすぎていて、そういった軽犯罪は日常茶飯事で起きている。別の方面からの報告も上がっているのだろう、殿下は軽く頷いてみせた。
そんな様子に部下であるレオンはほっとした様子で、少しゆっくりとした喋り方で話を続ける。
「宿は足りておらず、不満が続出してもおかしくありません。
届け出のない個人営業の宿が繁盛するほどでして、
不審な人物が侵入しやすい状況になっております。
交易所が移転したことも、原因のひとつかと愚考いたしますが……」
「警ら隊から上がっていたな。人手が足りぬと」
(私たちをじろじろと見ていた、あそこか)
気骨のありそうな隊長であったからなあ。
現場が一番苦労するのは、どこの会社……いや、社会でも同じか。
それから花の都の様子をつぶさに観察していたものらしい部下の報告を聞き続けていた殿下、ときに気になる質問をしつつ長々とそれぞれの対策をする旨を回答し、いつもの定時報告会となった。
日々私が発言している内容でもあったため、なんだかこうして他の人が発言していると新鮮な心地だ。いつもこうであったのなら、私だって毎日殿下に拝謁しなくても良いのに。いや、分かっている。これは私が殿下に対し不遜な態度をとったから、殿下はあえて私の部下にやらせているのだ。現に今の私ではリヒター殿下から情報を引き出そうと言い募るであろう、だから遮るために部下を喋らせている。私が身動きとれないように。
「……で、旧市街では食事処へ行ったそうだな? リディと」
「はっ」
「美味であったか?」
「は、……はい」
「さようか。
で、何を食した?」
(え、それ報告にいる?)
と思ったのは私だけではない。
突然の関係のあるようでなさそうな質問に、さしものレオンハルトもいつもの冷静な口調を崩してまごまごしていたが、さすがは貴族位を持つ男である、伊達に社交界の荒波を泳ぐイケメンではない。
たちまちに立て直し、リヒター殿下の手前、平然とした恰好を取り繕った。
「海産物である昆布を使った料理が出されてまして、
サトゥーン団長が好んで食されてました」
「ほう、海産物」
「たまに珍しい金環国産の酒が入荷するとかで、
喜んでおられました。
あの日はずいぶんと酒を嗜まれておられて」
「リディの行きつけ、穴場よな」
「野菜の煮物、卵は情報部の方が」
「それは良い」
「はっ」
(なに、この座談会)
どちらかというと、昼下がりのOLの雑談っぽい。
ぼさっとしていたが、いかんいかん、と私は気持ちを引き締める。流されていることを自覚する。
「リヒター殿下、」
彼らの話を遮ってしまったが、私にはやらなければならないことがある。今が好機。
殿下の名を呼び、彼らの話を止めた途端。
私は腰にある剣の柄に手をやるが、すぐに物音のする方向に顔を向け、気配を探る。
誰もいないはずのそこに、人がいたからだ。
いつから? 今だ。
意識を研ぎ澄まし、相手の様子を探る。
間違いなく生きている誰かだ。どういうことか。侍女の歩み方ではないし、女官はわざわざ殿下の私室へ入り込む理由はない。そういった秘め事があれば、話は別だが。そんな経緯は私の耳には届いていない。
不明瞭な点が多い。
ゆえに、不審者には違いない。
「サトゥーン団長?」
訝しげな様子の部下はすぐに私の視線の先を確認し、そこが王太子の寝室であることに気付いて私同様、警戒をし始めた。殿下を守るためリヒター殿下のお傍へすり寄るが、それは私が突撃する構えをしたからだ。寝室へと続くはずの扉の前にて、攻撃の意志をみせる私と阿吽の呼吸をとろうとしている。
たちまちに緊張に包まれる王太子の執務室。
と、意外な声が背後から放り投げられた。
まるで鶴の一声のように、とんでもなく呑気な声色であった。
「リディ、大丈夫だ」
振り向かずに尋ねる。
「殿下……?」
「そこの部屋には、前々から呼びつけておいた奴がいる」
「奴……?」
顔を顰めそうになる。
もしそれが本当なら、本日午後の書類整理、の他にもなんらかのアポイントをとった奴がいるということになる。私は知らなった。王太子付きの護衛騎士筆頭であるというに。
情報漏れ、をたちまちに懸念したが、どうもそうではなさそうだ。リヒター殿下のこのご様子から察するに。弛緩したが、しかし、相手を確かめるまでは守らねば。
「殿下」
「ふ、あとでお小言は頂戴しよう。
さあ、出てこい。
俺の騎士に、扉ごと叩っ切られたくなければな」
殿下のお召しの声に反応したものか、蝶番の音をゆっくりと軋ませながら開かれていく。
(誰だ?)
リヒター殿下の寝室、となればかなりプライベートに密着した人物となる。
そういった関係者は昨日は特になかったし。見かけたりもしなかった。私が城から引き払ったあたりで、殿下と面会するためにやってきた誰か、ということになる。私の知らない人物と友好関係に結ぶのは殿下の得意事ではあったため、さほどのことではないが、しかし。
(護衛、としては許せることではない)
それである。
ならば主の面倒さを把握に努めねばならないし、厄介なところなれども。それよりも。
出てきた相手、に驚かされる。
「クス、幾久しゅう」
鈴を転がすように爽やかな声で笑いながら、出てきた人物に私は目ん玉を見開いた。
短靴のような短い靴はまるでサンダルのようであったが、それに素足でお城に滞在するなんぞ、よっぽどの者である。女性でさえここまで素足に近い靴は履かない。まるで足音を消すために作られたかのような床と密着する靴を、奴はまず真っ先に私に見せつけてきた。
長衣なのだろうかそれもまたするり、と足の甲に被さるようにして出てきた。
やけに目立つ刺繍がなされている。金と銀の豪奢な色だ。
「なっ」
(奴は)
風が吹いていないというのに流れるような長髪は小麦のようなブロンドヘア、竪琴を掻き鳴らすための細い指は無駄に伸び、クスクスと笑う唇は美しいカーブを描いて声さえも魅力的な声音を放つ。
「貴殿は……詩人」
どうやらレオンハルトは顔を知っているものらしい、奴の職業をわりと正確に当てた。
整った目鼻立ちの正統派の美形といっていい彼は、世界を旅する人であり。緑の瞳は私に似た色合いで、まさしく金髪碧眼の男二人目である。世の女性たちが憧れるであろう容姿を持つ男だ、その甘いマスクはどこにいっても歓迎される。
「おや?
どこかでお会いなさったようで。
目元の涙黒子がセクシーな男に、
わたくしめの顔を覚えていただけるとは。
宮廷に出仕した時でしょうか?」
「いえ、社交界の……」
「ああ! でしたら、わたくしめがこの」
ぽろろん、と王太子の執務室に似つかわしくない音が奏でられる。
「竪琴を演奏した時にでも、この身が紹介されたのでしょう」
「は、まったくその通りです」
クス、と人好きのする笑みを湛えながら、詩人はまたぽろろん、と音を鳴らし、自己紹介をし始めた。
「では、改めまして。
わたくしめは、このアーディ王国の宮廷に出仕する者であり、
演奏家でもあり、詩人でもあり、貴族子弟たちに高度な教育を施す……、」
ぽろろん、ぽろろん、と二重に音が重なる。
にこり、とした笑みはいかにも形作られたものだ。
「アレクサンドル、と申します。
どうぞお見知りおきを」




