46<アリスの夜>
僕が借りている部屋は国に仕える者専用の宿舎である。
帰宅し、部屋に明かりが灯ると全体像が見えてくる。
室内はしっかりと整理整頓がされてある。生活用品は必要な物だけが用意されてあって使い勝手が良い。休みとはいえあちこちを歩き回ってくたびれた僕は、さっさと着替えてベッドへと潜り込む。ふかふかのベッドだ。
――――孤児院時代の、自分の部屋さえ存在しなかった昔と比べるとずいぶんと裕福になったものである。家具でさえも、それこそ人から譲られたものだというのに自分の使える場所があるというだけで、まさしく自分が認められたかのような、なんとも面はゆい気持ちになる。服だってそうだ。選べるという特典は大きいし、お金でさえ好きなように貯めておいたり使ったりできるのだ。お給料を貰い、一番最初にしたことは買い食いだった。貴族だとはしたない、とされる行為だが、そんなことさえできなかった孤児だった自分はなんと貧しい暮らしをして生きてきたのだろうと、なんともいえない気持ちになる。
(当たり前、当然の生活、か)
環境。
休暇に入る前に読まされたというよりも回された文章を脳裏に蘇らせてしまい、眉間が痒くなってきた。仕事をし始めると、本当に仕事のことばかりが頭の片隅に居座るようになる。リディ様があんなにも仕事人間だったとは、王城に働くようにならなければ分からなかったことだが、しかし、本当の仕事人間というものはああいう風に職場に寝泊まりするほどの人物になるということである。リディ様はよく、御自身のことを「しゃちく」などと冗談めかしておっしゃられていたが、まったく良くわからない謎かけのようで僕が不思議そうに貰った甘味を両手でつまんでいると、彼はいつものように頬を緩ませ、いや、なんでもないとおっしゃる。
たまにリディ様はそういった言動をなさる。
僕はこうして時間ができると、そういったことに頭を使う。
そう、総じて僕は大事な人のためにこうした生き方を選んだのだ。
趣味もなく、特技も無い。
あるとすれば、この人に好かれる顔と文字を書いて読むことができる頭脳。文官仕事に必要そうな学びと、それと金髪碧眼の騎士様への思うこと。失った家族や故郷。現在と過去。
ただそれだけ。
(あとたまに、無鉄砲って言われるかも)
でもあの時は、孤児院を出て食料調達に出かけた際には手紙を……(あぁ、でも無謀だったかも)思い至る。結局あれは僕の心を込めたもの、ではあったが、リディ様にとっては遺書のように受け止められた。まぁ実際にそうだったからなんともいいようのないことだが、リディ様は当時の僕のような子供が惨い仕打ちを受けるとか、食べ物が食べられなくなるとか、そういった理不尽さを酷く嫌っていたようだ。疎んでいた、といったほうがより正確か。
アーディ王国ではさほど子供の優劣をすることはない。ないが、身分の差は明確にある。存在する。
孤児はそのうちの最底辺。老人は知恵がある。働く手がある。足腰が弱ると駄目かもしれないが、家族に見守られる。だが、孤児は。
手癖の悪い孤児もいる。
僕がいた孤児院は比較的安心しきれる場所である。子供を売りとばすこともせず、食べ物を与えないという仕打ちをしないからだ。その代わり仕事はしっかりと与えられ、司祭様は己の領分を犯すことを嫌うが、まあそれなりの食事と服を渡す。激務ではないがそれなりに疲れはする日々を送る。
(本当は、あの司祭様の仕事こそ、
僕たち孤児が奪えたら)
教会、聖なる国に属する聖職者だけの秘伝であった。
だから、紫の花を育てることは孤児たちにさせたが、そのやり方は口頭であったし、肝心の精製技術は教えられなかった。あの精製方法を知ることができれば、僕だって一人親方できたかもしれない。
(でもやっぱり無理かも)
仕事をするにも場所がいる。
金だっているのだ。売るには相手が必要であり、コネもたまにいる。
顔で魅了するのもいいが、僕のような孤児には後ろ盾がいる。リディ様だ。
(てなると、やっぱりできたかも?)
聖なる国は存在しなくなった。
あるのは骸のようになってしまった聖職者たちの残骸と、彼らがそれでも信仰する聖女様の末裔のこと。
(ホント、馬鹿みたいだよね)
聖女様の血筋の方は、ちっとも聖女様の血をまるで引いていないかのような振る舞いをしてなさってくれたというのに。心底、僕はあの信仰者たちのことについてはなんとも言いようのない心の冷えってものを覚える。軽蔑までに至らないのは、やっぱり僕が孤児院育ちだからってことがあるのかも。
(そう考えると、僕って実に小生意気で、小賢しい子供だったな)
まさしく、あの二人の若手騎士、いや。
今は立派に役職持ちになった騎士たちのお蔭だともいえよう。
当時は悪口にしか聞こえなかったが、ある種、僕の本質を突いていた。
――――僕は確かにズルい人間だ。
こうして豊かな生活を、食いっぱぐれのない、いや、むしろ普通は入れない貴族の後ろ盾のない人間が入り込む隙のない王城へと勤めることができ、この人からしてみると優れている顔であるところの面立ちを少しばかり頭を使ってゆるゆると頬を緩めて微笑して小首をかしげてみせやれば、大体においての人間関係はすみやかに円滑になった。髪を伸ばし始めたのもそのためだ。周りの人間は皆貴族たちばかりだから、挨拶をしてやるところっと態度をたちどころに変えてしまう。(そろそろ年齢というものを考えるべき仕草だけども)でも重点的に、わざとらしい拙い挨拶でも彼ら目上の人間たちは僕に対し友好的になってくれる。孤児という育ちは何をどうしようにも消せない。蔑む彼らには反吐が出るが、仕方なし。サトゥーン伯爵家のコネを大いに使って国に仕える文官の下っ端役人には成れたのだ、これからはさらに上を目指し、いや、リディ様のお傍に居られるような地位を得なければならない。
(リディ様のお役に立ちたいし)
だからこそ、武官ではなく、あえて文官の道を選んだのである。
出向していたという伝説の女傑、がリディ様の副官であるらしいのだ、僕だって負けていられない。
それに僕は気が長い。
ある程度の計算はしている。リディ様がてんてんこまいなのは、書類仕事だ。すなわち、書類仕事に強い人間が欲しいとなる。騎士の世界は貴族の影響も強いが、それなりの実力がなければ務まらない。
僕は腕っぷしが強いとはいえない。だからこそ文官からの出向を目指したい。
(僕が女であったのならなあ)
話は早いのに。
嘆息する。こういう眠る前のひととき、僕はいつもリディ様のお姿を思い浮かべる。
僕が持つリディ様への想い、というものは強い。
愛、というか。敬愛には違いない。
大事な人だし。家族のような、それでいて、くすぐったい何か。
常に光っていて大事な珠のようなお方で、逆に僕はリディ様のように男らしくない。細っこい。何の役に立つのかという程度の人間で特技もない。せめて僕の性別が逆であったのなら、と思わんでもなかったがでもかえって僕が男で良かったのかもしれなかった。リディ様は真面目なお方だ。孤児の僕には愛人という方法もあるにはあっただろうが、男である。王太子との噂は煙のようにあちこちで撒き散らされるものの、リディ様のご様子を鑑みるにそういった性癖はなさそうだったから覚悟はしていたが、それでも傍にいられる可能性のひとつが潰えた気がして、それはそれで複雑な気持ちになった。
リディール・レイ・サトゥーンという男は、人の心の機微に聡いが、案外と疎い部分がある。
それは僕のような人間、身近にいる者でなければ気付きづらいところだ。
(リディ様って、好意に疎いよね)
顔立ちは悪くない、むしろ伯爵家嫡男としてそれなりにモテている。
なのに人っ子ひとりお相手がいないのは不思議なことである。
……まぁそれなりの目算というか、理由は分かるが。
赤毛の王太子。
最近では、妙に彼の視線が付きまとう。
僕の動きに勘が働いた、のかもしれない。リディ様ばかり直視していたせいで。
遠方だったし、他にも人がいたというのによくぞ見分けられるものだ。
大半の人間はあの王太子に着目する。アーディの人間ならばなおさらに。大部分の人間から送られる視線から、僕だけの変な視線の行き方に違和感を覚えたんだろう。
横になったベッド上でぐるりと反転し、眠る姿勢をごろりと逆にする。
「困ったなあ」
嫉妬、というか、憎まれるような視線の送り方ではなかったが、あの美しい顔を真顔にして見据えてくるのは不気味だ。こちとらただの下っ端文官だというのに。第一、まだリディ様のお傍にいられるような地位についていないのに、虫を払うように片手でいなくなれと示されては参る。
はあ、とまた眉間が痒くなってきた。むずむずとする。
ごしごしと仕方なく二の腕で痒みを伸ばしてやってから、今後、どうやってあのリディ様のお傍にいられるように頑張るか。
王太子の、騎士様への振り回し方へ仄かな怒りを感じつつも、明日、丘の上へ向かうためにも早々と眠りにつくことにした。




