41<ラナン・レイ>
ラナン・レイ。
独りぼっちの子供に同情し、上官の命とはいえ親身に孤児院まで送り届けてくれた若手騎士である。性格は朗らかで、にかっと笑うと白い歯が覗く。小麦色に焼けた肌と茶色の短髪は、より彼が活発な印象を強める。兄弟が多くいるという青年の僕を見る目は完全なる兄目線である。
貴族位ではない。
漁業を生業とする実家に生まれ、子供時分から銛で魚を突くのが得意だと豪語する庶民出。アーディ王国騎士団の門戸を叩いたのも、出自からして食い扶持目当であったそうである。
僕が無事だったことを大いに喜んでくれた彼と、様々なことに話が及んだ。
「きっとアリス、お前のことが心配だったんだろうなあ」
サトゥーン副団長、手紙読んで目の色変えて大慌てで急行してたもんな、なんて裏事情は耳にこそばゆい。槍を余裕の得物として扱う彼は、孤児である僕が教会の敷地内から勝手に抜け出て危険な目に遭っていたところ、副団長であるリディ様に助けられた……その経緯を知っていた。
居座りが悪いというか、申し訳のないことだった。
話を進めるたびに、ぐりぐりとまた彼も僕の頭をぐしゃぐしゃにしてくる。
(僕の頭って、そんなに撫でやすいんだろうか?)
リディ様の手の平の温かみとは違う形は、なんとも不思議な心地だ。
「食料は騎士団がたんと抱えてるから提供したんだが、
食べたか?」
「食べました」
「美味かったか?」
「はい。ありがとうございます、
美味しかったです」
頷きつつ……、ついつい、僕の視線もお兄さんの向こう側にある教会の、それも礼拝堂のほうに意識が向いてしまうのだが、金髪碧眼の騎士様の気配はみじんも感じられない。
孤児院と違い、教会内部には微笑の聖女様が佇む礼拝堂と、懺悔室とは名ばかりの懲罰部屋、それと司祭様が住む小部屋ぐらいしかない。
もちろん教会にも出口はあるので、リディ様が急に用事が出来たとばかりに出て行った可能性は捨てきれないが、慌ててかのお方の後ろをついていった僕の耳には開閉音は届かなかった。(あの扉、蝶番の音が五月蠅いんだよね)だから、まだ室内にいるはずである。
この教会内部のどこかに。
(リディ様、どこに……)
疲れ切っていて、長椅子に寝そべっているんだろうか?
にしては食べ物を粗末に扱うような人ではないと、僕は睨んでいる。
リディ様はそれを分かっていて行為に及んだ。あえて、といってもいいのかもしれない。食事中に立ち上がることだって庶民にとっても行儀の良いことではない。貴族の立場を持つ、騎士様ならばなおさら。
なら、その真意は?
薄暗い闇に沈みこんでいる礼拝堂への出入口が見え隠れするが、この若手騎士は門番の役割をしているようで正直なところ僕は戸惑っている。
かといって押し退ける訳にもいかず、奥を覗き込みたくても見ることが叶わない。
本当にこのままでは、騎士様との触れ合いが叶わない。当分お会いになることはできなくなる可能性がある。せめてリディ様の様子だけでも。話だけでも。ちょっとだけでも。
我儘かもしれない。
けれど、あの騎士様が拒絶するような素振りはなさらない。そんな確信があった。
……この僕を、あんなにも大事にしてくれたんだもの。
わざわざ、騎士たちを引きつれて。
会えないなら、せめてどこへ向かわれたのか。
(確かめよう)
僕は思い切って、ラナン・レイに副団長であるリディ様の所在を尋ねようと端緒を、
「此処にいたのか」
ドキり、
としたが足音からして目的の人物ではなくてがっかりだ。
暗がりからカンテラ片手に、ぼんやりとした影を纏う一人の騎士が現る。
「おう、どうした?」
「どうしたも、こうしたもない」
若手騎士であるラナン・レイの知り合いらしい。
灯りによって明るみになった範囲でさえ分かる、これまた整った顔を持つ色男な騎士だった。
「我らが主が大いに暴れた。
まったく、明朝一番に出立せねばならんというに」
呆れの入った、しかめっ面をしている。
良く見れば彼もまた目の下に隈がある。
頬もこけていて、色男がやや台無しだ。
「そら、始まった」
色男が言うや、暗闇の向こう側から。
何か、が倒れる音がした。
(え?)
びくりと肩を揺らした僕がいるあたりにまで、そのぶち当たった壁と床の振動が伝わってくる。
(これは何の音?)
若手騎士の二人の肩越しに見据えるがまったくもってどこが発生源なのか。
目を凝らしたが、さっぱり分からなかった。
「おーおー」
ラナン・レイの囃し立てる声を追うようにして籠る、誰かの罵る、やや甲高い声。
どこぞの部屋で誰かが暴れているのだけは把握できる。
息が詰まる。床を凝視するも、覚えのある声は夢の世界の時よりもさらに不愉快なほどに僕の体中をぞぞぞと鳥肌まみれにさせた。
「お盛んなことで」
「元気だ、と言い換えたほうがいいぞ」
「それもそうだな」
まるで他人事のように、二人の若手騎士は言い合っていた。
意志疎通はできるようで、目と目を合わせるだけで互いの言いたい意味合いは分かっているようだった。
「どうする?
明日は本気で王都包囲網を蹴散らす予定だ。
良いんだろうか、副団長に任せっきりで。
ここ連日、ずっとお相手なさっているがいくらなんでも……、
……なぁ、どうすべきか、な」
「……気にはなるが、まぁ……、
サトゥーン副団長でなければ、かの方は満足なされないからなあ」
飛び上がるかのように肩が跳ね上がり、ぐっと胸が締め付けられる思いがした。
まるで心臓にナイフにでも突き刺さったかのように、痛みを感じたのだ。
(リディ、様?)
呼吸し忘れた瞬間、閉じた眼の裏に浮かび上がるは赤毛の少年だった。
「下手に突っつくと藪蛇になりかねん」
「仕方ないと捉えるべき、か?」
「お前がしゃしゃり出てもなあ、
相手になってはくださらないだろうさ」
どう考えても奴しかいない。
僕はかっと両目を見開き、ラナン・レイを仰ぎ見た。
すっかり面倒そうに頭の後ろに両手を組み、欠伸さえしていた若手騎士は、ふあっ、と半開きの口のまま僕を見下ろしている。
(祈りの印は、こういう懇願時にも役に立つ)
自身の指と指を絡ませ、高みにいる存在である聖女様へ捧げるかのような上目使いで。
……とても評判がいいんだ、僕の顔は女顔だから。
「あの、
リディ様、どこにいらっしゃるんですか?
僕、まだちゃんとお礼をお伝えしていないんです」
「え! あー……あぁまぁそうなの」
弱弱しい声で問いただせば、ラナン・レイがみるみるうちに態度を変えた。
彼は、僕が襲撃を受けた被害者であるということを気にしていた。
「挨拶だって、まだ……」
「あーと、えーあー、うんアリス、それはな」
濁しているが、やはり騎士だけあってラナン・レイは口が堅いようだ。
茶色の少し伸びた後頭部をがしがしと掻いている。まさしく困り顔だった。
隣にいる色男の騎士が目線で、この子供は? などと若手騎士に訴えている。
副団長の名前を出したのだ、ただの孤児ではないと察したのであろう心得ているものかラナン・レイは気軽に、
「ほら、アリスだよ。
今回の作戦を大いに早めた」
「ああ……、なるほど。
……副団長を後見人にせしめた子供、ね。
ずいぶんと可愛らしい顔をしている」
色男に褒められても嬉しくないのは、彼の視線の中に含むものがあるからなんだろうか。
明らかに僕を軽んじるものを感じ取った僕は味方になりうるラナン・レイの協力という名の止めを仰ごうと、袖口を軽く引っ張る。
「あの、僕……、
僕の、後見人様に」
「ええーと。悪いなぁ、アリス」
それとなくリディ様の所在を尋ねるも、
「副団長はな、まぁ……ちょっとお忙しいんだ」
これである。
予想はしていたが、しかしおめおめとこのまま引き下がれるものか。
「騎士のお兄さん……お願い、お願いします。
僕、リディ様に会いたい。お会いしたいんです」
二人の騎士は、あからさまなため息をついたり、眉尻を下げたり。
「うーん……」
ラナン・レイは唸る。
これ以上の譲歩は引き出せないようだった。
次に、僕は色男の騎士に縋るような視線を送る。
(涙のひとつでも流せば、いや、
ここは癇癪持ちの子供のように振る舞うべきか)
もはやここまで来たら、意地でもここを突破したくなる。
だが、この色男の騎士は不気味なことに僕のこのなりふり構わない姿勢を冷静に見つめていた。
「無理だ。諦めるべきだ、な」
「そんな」
不安になって後ろ足で一歩下がった僕と向き合い、思案しながらも近づいてくる。
そうして腰を折り曲げ、わざわざ僕の為に讒言を。
「……我らが若き主はな、酷く激昂なされておられる。
それもこれも、あの副団長が自覚なく子供を甘やかすのだから、
ある種自業自得というものだ。
……分かるか?」
言っている意味、子供、という示唆。
若手騎士とはいえ大人である騎士から僕は頭上から、威圧的な視線に晒される。
口を閉じる。あまりの不愉快さにじっとりと背中に汗がわく。
「子供は子供らしくしていればいい。
我らが主は未だ幼い部分をお持ちだ。
ずっと傍にいて当たり前だと思っていた人物が、
他の子供に目移りするのを許すと思うか?
ましてや、ある程度の立場と権力をお持ちの主だ、
多少の懲罰は与えるだろう。
それも、連日連夜。
大事な前日であっても、あれほどまでに癇癪をぶつけてくる。
……これ以上、我々の仕事を増やすなよ、
小賢しく小生意気なことを自覚する子供は特に、な」
でも、それでも僕はこの視線を逸らすわけにはいかなかった。
このままでは赤毛の子供に僕のリディ様が盗られてしまう。
二人っきりにさせたくはなかった。
「おい」
ラナン・レイが色男の肩に手を置き、遮ってきた。
「これ以上アリスに余計なことを言って、火に油を注ぐような真似はやめろ」
「だが、な」
「仕方ないだろう、主君は主君で大変だったんだ。
……まぁ、少々、はっちゃけが過ぎる気がしないでもないが」
色男の騎士は言うだけ言って、背中を向ける。
僕の睨みつけは大して効果を発揮できなくなってしまった。
(小賢しい子供の言動はどうでもいい、ということか)
僕の怒りを感じ取ったらしいラナン・レイは苦笑しつつ、また頭を掻き混ぜて労わってきた。
「明日にも我々はここから立つ。
こんな状況も時期に終わりだ。
だからもう少し、我慢してくれよな」




