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28<噂>

 その強い祈りは僕の想いと比例し、ことのほか時間がかかった。


 俯いていた顔を正すと、場違いな美女がほほ笑んでいる。(さすがは世界一の美貌を誇る初代聖女様だ、)それはそれはとんでもない御尊顔だ。古めかしいが、頬の滑らかさはさすがは像って感じだし、唇のツンとした有様は清楚なわりに艶めかしく、聖女様のくせしてラビトのような孤児をたらすほどの色気がある。ただし色味はなし。そしてそんな色事なんて影響のない子供である僕の場合、内心で盛大な嘆息だ。

 ぐるぐる。轟轟。非難轟轟。

だからこそなのか、僕は立ち上がるこの瞬間に至るまで気付けなかった。

 傍らで動揺しまくっている少年の存在を。


 「あ、ラビトいたの」

 「い、いたよ……」


 さっきから、もごもごと口を動かして抗議してくるが真正面から見た限りの彼は、どこかすっきりとした顎の線を持っていた。


 「ふぅん」

 「ほら!」


 差し出された箒の、柄の先端をまじまじと見返す。

 (あ、そっか)

 見開く。

 (道理で)

掃除道具、預かって貰ってたんだった。道理で見覚えがある訳だ。それでずっと待っていたわけか。

 (律義だな、ラビト)

 それだけが、以前と変わらない。

瞬きながらも、僕はラビトに謝意を示した。


 「ありがとう、ラビト。

  ごめん」

 「……ん」

 

 素直に返事をするラビト。僕はまじまじとそんなラビトの様子を伺いながらも、ふと周りを見渡せば、礼拝堂内がすっかり静まり返っている。

 僕たち二人しかいないようだった。


 「あれ、みんなは?」

 「移動したよ」


 他の孤児たちは掃除を終え、僕たちは取り残された。出遅れてしまった。(声ぐらいかけてくれたっていいのに、)なんて一瞬思ったけど、そういえば僕が珍妙なことを仕出かしたから。信仰に縋るなんて真似をしたからいなくなったのだろう。変な気の利かし方をしてくれる。司祭様が強制してくる行事以外しなかったくせにね。都合の良いときの聖女頼み。

 (本当、馬鹿みたい)

 聖女様も良い迷惑だろう。

 似てるから、ってただそれだけのことでひとりで盛り上がり、勝手に憎しみを抱かれてさ。

あの赤毛の子にたまたま似通っていたせい、で。

 一歩引いてみれば、それはなんと愚かで意味のない事か。

ふっと、自嘲するかのように僕は自身の口角が上がっているのを知る。すると、まるで悟りを開いたかのように穏やかな心になる。少しだけ、上澄みの怨みが薄れた、というか。

 ……微笑の聖女様の像を改めて見返す。

すっと通った鼻筋、綺麗なお顔立ち。あの我儘な子が成長すれば、そっくりになるかもしれない。となると、あの貴族は成人すると、将来的に絶世の美女、に似た見た目になるのか。男で絶世、っていうのもおかしい話だ、性別が違うというのに。貴族の中の貴族で、金も権力もあって騎士様に守られていられる人生を送っている子供。僕を散々に馬鹿にして。騎士様に、見捨てさせようとした、うん。

 やっぱり苛立ちは僕の腹の奥底に燻っていた。


 「アリス?

  ……どうした、やっぱりおかしいな。

  あんなに聖女様信仰のこと……毛嫌いしてたのに」


 そんな僕の様子を、ラビトは逐一見守っていたものらしい。

まぁ、確かにあんなに意味がないと罵っていた僕が。ただの像に祈りを捧げているなんて、天変地異でも起きたのかとラビトは疑問に思うのも無理はない。


 「……奇跡でも起きた?」


 目を輝かせ、ぽつり、と呟かれるけど。

 (あり得ない)

 否定するため、頭を横に振る。


 「それはないよ、ラビト」

 「えぇ……じゃあ、なんで急に。

  聖女様の思し召しでなければ、一体何が起きたんだよ」

 「それは」


 果たして、告げて良いことなんだろうか。

一瞬逡巡した。

 でも。

 微笑みを返してくれる聖女様の横顔は、いくらなんでも僕にとっての癒しにはならない。

むしろ、嫌悪さえ催す。

 あの赤毛の子と、村の炎、歪な記憶は結びついている。

信仰への尊さ、が僕の中で燃え尽くされようとしている。

助けてくれた騎士様と、助けてくれなかった聖女様。


 「……僕、聖女様のため、じゃなく。

  この国にとってもっとも貴ぶべき立場のお方のために、

  祈りを捧げたんだよ。

  美しい聖女様によく似た赤毛の子供のためにね」

   




 王都の暴動はあっさりと収束したようだけれど、今度は四方国家がきな臭いという。

娼婦の姉、を持つおっとりな妹、孤児院の年長組女性たる彼女はこれまた本人の性格がよく表れたのんびりとした間延び口調で僕に話をしてくれる。


 「だってぇ、あ~、本当、嫌になるよねぇ」

 「へえ」


 僕は肯首しながら、刈り取った短い草を束ねる。

今年は大雨があまりにも降り続いたため、家畜の餌が高騰していた。教会回りの緑もややその気はあったものの、草の出だしが少しだけ良かったため、それなりに売れる金額になりそうだった。

 乾かした葉っぱに鼻を擦られ、くしゃみをする。


 「ふふ、アリス。

  最近は風邪っぴきにならないね」

 「うん。少しは丈夫になったかも」

 「そうだね~」


 良かったね~と言われ、同意する。

 (確かに、村に居た時よりも頑丈になったかも)

 逆に言えば、そうならなければ集団墓地に投入されるだけである。

むず、と鼻筋を撫でながら、ぼうっと空の色と、大地の茶を眺めた。

 

 妹を心配する、このおっとり子の姉さん曰く、暴動の首謀者が処刑されて王都では息苦しい空気が漂っているとか。所詮は貴族の振る舞い、でしかないと僕は思ったけれど、王都の民はそれどころではないだろうな、と思う。食べ物の値段が駆け上がるだけ駆け上がり、餓死者が出ているという始末なんだもの。貴族だけが満足するほど得ることができる、なんて。

 かといって、王都の民が王都以外で暮らしていけるかというと、そんなことはなく。

 

 ――――今日もまた、雨がぽつぽつと、僕の頭に落ちてくる。


 「……アリス」


 あまりにも無慈悲で、冷たい粒。

天からの贈り物はまたアーディ王国にとんでもない災いを振り撒こうとしていると今後の末来が容易に想像でき、怪訝にも顔を顰めてしまった。


 「司祭様」

 

 呼ばれた先には、聖なる国の聖職者と、その老年の聖女様信仰者ならではの衣の後方から、ラビトが、なんだかその身を小さくしながら僕の方をちらちらと不安そうに見つめている。


 「……何ですか?」


 司祭様はなんだかご機嫌のご様子。

不気味だ、と思いながらも僕は訊ねずにいられなかった。


 「お前はそう、アリス、だったな」

 「え、はい」

 「……そして、あのアーディの騎士、

  に拾われた孤児」


 老年の司祭は、袖口から飛び出た手、皺のついた指をおどけた様子で回している。

  

 「リディール・レイ・サトゥーン、

  近衛騎士団の副団長、に助けられたんだったな」

 「は、ええと、はい。

  その通りです」


 (何をいまさら)

 まるで確かめるかのような発言。

僕は良くわからなくても、事実だし、それにそれは司祭様も承知していることだというのに、何故こうして聞いてくるのか理解できず、でも本当のことだし、と、首を縦に振る。


 「うむ。だろう、だろう……」


 (何だろう。怖い……)

 得体のしれない生き物を眺める気持ちになった。

老年の、この司祭は見目はいつもと変わらない。普段着の聖職者の衣を纏っているし、変わり映えはしないはずである。それなのに、どうして僕はなんでかこんな、恐怖を感じるんだろうか。

 (どうして、だろ)


 「あの騎士の傍らに、赤毛の子がいる、と」

 「は、い」


 すると、どうだ。

老年の司祭の目に、恐ろしい何かの孕んだ輝きを見た。

 ぞく、と僕の背に鳥肌が一筋駆け上がった。


 「とても美しい、聖女様に似た子供、だと聞いた。

  本当か? アリス」


 (う……)

 僕は思わず、一歩後退りをしてしまう。

途端、にい、と唇の端を大いに上げていく老年の男に僕は怯えた。

 司祭様は、俯き加減に肩を震わせる。


 「く、くく……、

  その様子だと、ラビトの言う通りであったようだ。

  ははは……、

  聖女様の! 

  ふふふ……くふ……、

  そうだな、やはりお生まれになられていたのだ!」


 ばっと勢いよく顔も両手も天に差し出し、大喜びでいる。

一体何が起きたのか。僕は良くわからなくて、呆然と立ち尽くしたまま。

 そしてそれは、ラビトも同様だった。


 「噂は所詮噂だとばかり、だが、真実であったようだ! 

  嗚呼、これは良い日取りだ! 嗚呼、素晴らしい!」


 冷ややかな雨足に打たれてもなお、司祭様は喜びの声を上げている。上げ続けていた。


 「素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい!」


まるで、頑是ない子供のように。

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