27<季節の狂い>
孤児院の女の子が危惧した通り、野菜や小麦が容易に手に入らなくなった。価格が急浮上したのだ。ジャガイモのお蔭で僕たち孤児たちは生き延びることができたけれども(同じ味でつまらない、という感想は予想通りだが、)食べるものがなくなった他の孤児院では餓死者が出るほどの季節であった。
狙い澄ましたかのような風害、収穫時期に発生した大いなる自然災害は小麦畑を根本からなぎ倒し、長らく続く降雨は未だにぽつ、ぽつと灰色の雲間から糸を垂らしている。細くとも決して途切れることない毎日の雨は、しとしととアーディ王国中どこでも降り続き、実る前の畑作地帯をびしょ濡れにした。
冠水被害は大いに農家を困らせ、せっかくの轍も水たまりが常体化、緑が育つ前に草木が枯れ、その餌を食べる家畜が死に絶える。檻は空になり、死んだ羊は死の鳥どもの餌になった。
――――のちの世に記されることになるが、
(季節の狂い)
アーディ王国にとって大いなる試練の幕開けであった。
「飢えて死ぬこともなく、朝昼晩と食べることができる。
それもこれも聖女様のたゆまぬ優しさのお蔭だ、感謝せよ」
微笑みの聖女様の前で大いに両手を広げ、偉そうに宣う司祭様。
素直な孤児たちはハーイと返事をするが、僕は同意しない。
一番偉いのは商人のおじさんだって分かっているからだ。
口の端をにやっと上げて、
「聖女様の信徒として当たり前だろ~?」
笑ってるのは間違いない。胡散臭い。
(はあ)
ため息つきたくなるけど……言動はどうあれ、明らかに袖の下を気にする聖職者よりかは真っ当な人だけども、何故にここまで融通してくれるんだろうか。食糧が少ない今なら、どこだって高く売りとばせるはずだ。商人ならば商売を優先的に行うのが商売人の商売であるところ。富を増やすのが商売だと思う、それなのにきちんと食料を納めてくれるのだ、最初に提示した適正価格のままで。正味な話甚だ疑問だけれど、大人ならではの事情でもあるんだろう。本人の自己申告通り、聖女様への敬愛によるものかもしれないし。これ以上考えても分からないものは分からない。
(……きっと、子供である僕には把握しきれない)
どんな理由であれ、誠実な商売のお蔭でこの孤児院では幸いにして餓死者が出ないのはありがたいことだ。ガキンチョ呼ばわりするけれど。
だのに、当教会の司祭様ときたら。
聖国本国でもそれなりの立場にあるはずなのに、商人のおじさんに比べるとどうもパッとしない。
「聖女様への敬虔なる信者だからこそ、
我々は食べることができるのだ。
まったく……お前たち、誰のおかげで食べていけると思っている?
ラビトを見習え」
これだもの。
僕たち孤児は、言われるまでもなく協力して生きている。
畑作をしたし花だって育てて刈り取ったし、薪も背負って小さな子だって手伝ってくれた。掃除洗濯食事でさえ孤児たち全員で協力して、孤児院のみならず教会だって毎日掃除を行い清潔さを保っている。作物高騰の影響によって寄付金の量は少なくなってしまって司祭様は良い顔しなくなったけれども、それでも見知らぬ大人たちの邪魔をせず。言外に孤児だからと馬鹿にされようが甘んじてきたし、怪我をしても僕たちの間で世話をし、熱を出したら用意した薬箱でめいめいに治してきた。不足はないように、ちゃんとやってきた。出来る範囲で、粛々と。
(……それなのに、努力が足りないってさ)
司祭様が褒めていた小太りの少年、(祈りの姿勢ばかり見せているけれど、)どうも以前よりも痩せているように思える。
王都で暴動が起きた、という話を小耳に挟んだのはそれからのこと。
ここ孤児院は王都からだいぶ離れているものだから、ほぼ他人事だ。影響がないとはいえないが、皆、へー、と声に出すだけで終わりだ。王都のある方角を眺めるだけが精いっぱい。孤児院から出ることができるのは、司祭様からの許可、あるいは孤児院から自立する時だけだ。
教会のほっそりとした屋根を叩く雨音。
朝から万事、その調子である。変化のない雨模様は教会の周囲に水たまりを幾つも形成した。決して氷にならない水色の水滴の集まりは、ここが温かな気候であると改めて僕に知らしめる。
今日もまた天候が優れないとため息をつきながら、外仕事が十分にできないと孤児同士言い合いながらも掃除をし始める。ラビトも率先してやっている、聖女様の像を。もはや誰も何も言うまい、という空気を醸成していっているあたり、皆諦めているようだった。専用の掃除道具まであるし。司祭様は余計なところにお金を使う。
ただ、僕には気がかりなことがある。ここ最近考えること。
床をはき清めていた箒を休め、教会の窓を伝う雨だれをぼーっと見上げる。
そして、視点を下げてやれば窓辺に映る自分の顔。騎士様にお会いした頃より僅かばかり成長した子供が、味気ない瞳ばかりを写し取って僕を見返している。大人に近づきつつある、僕の姿かたち。騎士様の背を追い越せるだろうか。そんな期待と、ちょっとした心配。王都の方角を見据えるたびに思うこと。
(騎士様、どうなさっているんだろう)
それである。
近衛、という王族にもっとも近い立場で副団長という地位は、この問題にまったく関係ないと言い切れない。季節の狂いの影響は大きく、食糧問題は相変わらずの尾を引いているそうで。王都から離れているここでも分かるほどだ、商人のおじさんもあまり良い顔はしていなかったし、救済日にやってくる大人たちも食べ物の値段急騰にばかり噂していてせっかくのお祈りも形無し(焦っても仕方ない、)でも僕だけ心配してる、騎士様のこと。リディ様のこと。けどもふと腑に落ちないことがある。どうして僕ばかりがあれこれと気を利かせたい、って思うんだろう。何もできなくて足踏みばかりしてしまうから、居座りが悪い。何か手助けをしたいと願うけれども、僕は彼の傍にいないし。子供だ。雑用さえできない、何も出来ないでいるただの孤児。
こんな時、僕は大人であったのなら。
どうするんだろう。どうやって、何を成すんだろうか。
(恩人のために、僕は)
騎士様は、僕が貴族に仕えるのを望んでいないようだった。
「色々と覚えろ、って」
たくさん、学んだら。
僕は騎士様のために、何か出来るんだろうか。
立派な大人、になるためにはどうすればいいんだろう。地位や立場、環境が必要なんだろうか? (けど、そんなもの孤児たる僕には過ぎたるもので、)もっといえば何もない。奪われ、失ってしまった農村の子供。こうして窓を鏡の代わりに見据えてみるけれども、少しばかり瞳が大きくて赤茶けた目をしているだけの餓鬼だ。あの商人のおじさんに言われるまでもなく、僕は良くわかっている。図星だから嫌なんだ。ちんちくりんで、チビで餓鬼。言われるまでもないことだった。
騎士様を満足できる寵童、とやらになれるかどうかさえ微妙だ。そこまで可愛らしい顔をしているつもりはなし、そも、そんな会話さえできないほどに金髪碧眼の騎士様とお会いする機会さえなかった。お菓子をたまさかに送ってくれるのだけが楽しみの。そう、騎士様は定期的に送って下さるのだった。こんな食糧高騰の時期にどこから、と思わなくもないが、貴族という立場があるから、どこからか調達しておられるのだろう。もしかして他の孤児院にも送っているのだろうか、ずるい。でもきっと皆、誰もが生きることに必死で。そんな悠長な考えはない。僕だけだ、そんな情け。
ぐるぐる、ぐるぐる。
悩ましい僕の脳内。
得られるものが少ないのなら、その範囲で生きねばならない。当たり前のこと。
(他の孤児院、孤児が売り払われたり……、
いくら騎士様が貴族のお立場を持っていたとしても、
難しい、って。あの人、マジョラムさんも言っていたな……)
人の良さそうな騎士様だもの、僕がわざわざ考慮しなくても考え及んではいるはずだ。
そうだ、僕がわざわざ悩まなくっても。騎士様は相当苦悩なされている。
問題は、僕が恩人の彼を助けられない、甘んじて子供でいなければならない現状だ。
ちり、と胸を焼くものがある。
会いたい、と同時にこみ上げてくるもの。それは胸糞悪いもので、恐ろしい美しさを持つあのクソ餓鬼の顔だ。同じ役立たずの餓鬼でも、あの子供はきっと騎士様の傍にいる。果たして何の役に立っているんだろうな、あの子。騎士様の足を引っ張っていそうだ。それでいてとんでもない我儘と聞く。
(あの子供は、夢の世界でさえ僕と騎士様の思い出を汚した。
……本当、嫌になる)
同じ子供のくせに、騎士様の邪魔ばかりしているんだろう、今も。
(本当、偉い貴族の子供だからって、腹立たしい)
だから守られている。騎士様の傍にいるんだ。
煮えくり返るのは僕のほうだ。せっかく構ってもらえていた、夢とはいえ久しぶりの人肌、その温かみがあっさりと消えてしまった。目が覚めたときのあの衝撃。たとえ夢幻だとしても、手放したくなかったのに。微睡みたかったのに酷い文句を言われ、騎士様の背中から離れなかった赤毛の子。
ぱっと振り返れば、聖女様の像はあの顔である。あの美しい顔で微笑している。
――――僕の唇の端がぴくぴくと痙攣する。
「……アリス?」
「ラビト、祈っていい?」
「あ、あぁうん、いいけど珍し……」
僕はなんだかムカムカとしてきた気持ちをそのままに、聖女様の像から降り立って仕事をやり遂げた感のあるラビトに箒を押し退け、腰を折り、祈りの印を捧げた。
あの赤毛の子が騎士様の傍からいなくなりますように、と。




