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(嫌な夢を見た)
あの赤毛の子の。
寝起きは最悪である。半分身を起こしたまま、片手で前髪をいじる。窓辺からの光を頼りに凝視してみれば、ああ、ちゃんと綺麗にした髪だ、この孤児院の良いところはいつだって井戸の水を使えることだった。それでいて比較的温暖な気候。いつだって清潔でいられる気温は、幸せなことだった。僕の村はやや北東に近い国境沿いのためか冷えるときはとてつもなく冷え、水たまりが凍って小さな水泡や輪がそのままの形で白く濁った形で時が止まる。そんな日は、友達や兄弟と割って歩く。それがたまらなく楽しい。笑いながら、ばしゃりと割れた氷を飲みこむ水音が面白くて、靴を濡らし、散々に歩き回ったものだった。無論、はしゃげばはしゃぐほどに靴の中に水が入り込んでぐしゃぐしゃになり、家の中をそれでいざ進めば両親には叱られもしたけれど、最後には苦笑して頭を撫でられる。僕からしてみたら、彼らは皆立派な手を持っていた。苦労を知っている温かみを持つ手。その大人の手が、次第に騎士様の指と重なる。
けど、此処じゃ違う。駄目なんだ、甘えなんて許されない。
(……分かってる)
だから、騎士様の夢を見たんだろうか? 見て、しまったんだろうか。
風邪を引き、寝込んだ時以来、あれからお会いしていない。だから、思い出してしまったんだろうか。目元を擦ると乾いた涙の跡があった。ぱりぱりと捲れ落ちる水たまりのような形跡。薄氷よりもそれはきっとしょっぱい。
「ふー……」
嘆息する。
枕やベッド下に隠してある手紙やインクの類が気になってしまうけれど、用事がない。夢にみたせいか、会いたくて、会いたくてたまらない衝動がこみ上げてくる。たとえそれが過去の辛い体験の繰り返しだったとしても久しぶりの騎士様だった、もう少し夢中になって甘えたら良かった。あの質感は夢の中とはいえ、本物の人肌を感じた。だからか余計に寂しさが募る。追憶でしかなかったが、夢から醒めれば現実を噛み締めるしかなく、お蔭で強烈な寂しさが心中を支配する。
そっとベッドから降り立ち、立ち上がり、上段ベッドの主がいるかどうか探るために背伸びして顔を覗けばやっぱりラビトはいなかった。
(礼拝堂か……)
なんだか面白くないけれど。でも、ある意味では羨ましい、ともいえる。なんせ、あそこまで熱心に何かを信じられるなんて、よっぽどラビトにとって聖女様とは頼りがいのある女であるらしい。僕にとっては木偶の棒で、ちっとも役に立たない信仰の君主だけど、ラビトにとっては毎日会える聖女様だ。それが偶像だったとしても、彼にとっては喜びなんだろう……辛辣なのは自覚している。
(だって、あの眼差し、横顔……)
あれに良く似た赤毛の美しい子供の言動、理由。その意味が気がかりだった。
「だって、あの子は……」
ずっと、僕を睨んでいたんだもの。
彼は高貴な身分の子息らしい振る舞いばかりして、決して僕に対し話しかけようとはせず。金髪碧眼の騎士とばかり、口開いていたのだから。
「アリス?」
何ぼーっとしてんの、と背を叩かれる。
「ほら、まだ皮むき終わってないわよ」
土から生まれるイモの面倒なところはそれだ。
(……僕の村じゃ、外に干して乾燥させて、焼いて食べたりしてたんだけどな)
両親はよく寒暖の差を利用したジャガイモ保存食を作っていたが、僕はあまり家の仕事を手伝っていなかったのでどうやって保存食を作ればいいかこれが分からない。母さんの手作りシチューの件といい、失ったものの代償があまりにも大きくて身が竦むばかりだ。
今朝がたの夢見の悪さもあってか、ついついぼんやりとしてしまう。
(ううん、今は手を休めている場合じゃない)
成長期を多く抱える孤児院である。ジャガイモの山を積まねば。子供たちが腹を空かせて待っている。
気持ち切り替え、土の付着して乾いてしまったイモを片手で持つ。
普段から粗食気味ではあったにせよ、こんなに大量のジャガイモをたくさん食せとばかりにいっぱい購入してしまった手前、司祭様としてもちゃんと消費するようにと明言されていたため、僕も皮むき要員として手伝う羽目になっている。なんせパンの粉と違い、ジャガイモは皮を剥かねばならない。幼い子供はパンをこねるのに手伝ってくれて和気藹々としていたが、さすがに皮むきばかりは年長の仕事だ。刃物を扱える年齢の孤児たる年長組はぶうぶう文句を言いつつも、手間はかかるが黒パンよりはマシだと、前よりもたくさん咀嚼できることに喜んでいる様子ではあった。とにかく黒いパンは固くて、歯の未だ生え揃わない子供たちには不満気味ではあったし、茹でて柔らかいジャガイモはホクホクとしていて非常に食べやすい。ついでに美味しい。ほのかな甘さに、すっかり孤児院の英雄的存在となったのも無理はない。飽きるにはもう少し時間がかかりそうだ、と僕は故郷の味を再び会いまみれることになったコロコロとした凸凹ジャガイモを手の内に転がしながら考える。リンゴもそうだけど、ジャガイモも僕にとって馴染み深い食べ物だったから、飽きる過程もなんとはなしに予想できた。
……けれど、大いに疑問はある。
(あのおじさん……)
商人のことだ。
いくら見返りがあるとはいえ、今年はどうも食料が不足しがちだという話を聞いた。天気の悪さは前にも聞いたし、実際に強い風は吹いていた。根本から倒れ、収穫の少なくなった小麦の代わりにイモが使われているのはそのためなんだろうと思っていたのだけれど、しかし。
いいんだろうか、こんなにも腹いっぱいジャガイモを食べてしまって。
そう、風が吹けば雨が降る。
僕の懸念は、ある意味的を得ていた。
大いなる雨。作物にとっては生命線で、必要な水分。命の水。
しかし、何事にも限度というものがあって。せっせせっせとおじさんが商人らしく、ジャガイモを孤児院に搬入してくれている昼の時間にも、降雨は止まなかった。
「王都だけじゃねぇーな。
あちこちで、アーディ王国全域で、大雨が降りまくってんだよ坊主」
「……坊主じゃない」
じゃあ餓鬼だな、ははは、と笑うおじさん。
商人らしい抜け目のない顔で、曇りっぱなしの天を見上げる。腰に手を当て、ふてぶてしい態度と腹を抱え、じとーっと。
「ふん、まったく。
こんな時期に限って、まあったくよぉ……、
お天道様が不機嫌にならなくてもいいのによぉ」
どこか、恨みがましい声で呟いていた。
「ジャガイモが濡れるから?」
「まぁー……な。それもあるが、
根腐れしちまうからなあ」
「根腐れ?」
「枯れてしまうんだよ、根が。
野菜が育たなくなっちまう。
……それだけじゃねぇ、
羊が食べる餌もなくなっちまうのかもしれねぇし、
水はけの悪い土地は酷いことに」
ぶつぶつととめどなくあふれ出てくる、口について出てくるそれらは、僕の不安を煽るだけ煽ってくれたものである。
「んじゃあな、アリス。餓鬼ども」
からっぽの荷車を引いて、慌ただしく王都へと帰っていった。
教会の窓からも分かるほどに、大粒の雨が建物を打ちつけている。ラベンダーの育成状況も、どうも悪いようである。手間をかけねばならない植物だというのに、司祭様も歯がゆそうにしている。うろうろと礼拝堂の中を歩き回っていて邪魔くさい。
「ねぇ、アリスー」
「ん?」
「もし、この大雨が降り続いちゃうと、
おイモさんも食べられなくなる?」
のんびりとした口調の女の子に、おっとりと問われた。
「そうだね……」
ジャガイモの土の下から掘り出すという特徴からして、染みるほどに降り続くと辛いかもしれない、と僕は思ったけれど。ゆるく首を横に振り、
「大丈夫、だよ。きっと。
だって、寒いところでも平気な食べ物だもん、
ちょっとぐらいなら平気だよ」
「そう、かなー」
「うん。
……それより、他の野菜のほうが心配だよ、
こんなに降り続くと……」
女の子も分かっていたようで肯首した。
「わたしたち、食べていけるかなぁ……」




