23
「聖女様は世界を救った、ってところ教えて!」
「いいよ」
僕はそれから、たびたび聖なる国について想像を膨らませるような喋り方をし、聴衆を惹きつけるだけ惹きつけてから、ぱん!と両手を叩いてニヤリと口角を上げる。
「でも、もう子供は寝る時間だよ」
呆気にとられた顔を眺める僕の表情は、さぞ悪どいものだろう。
「えー!」
「またぁ!?」
当然ながら、盛大に文句を言われた。
特に聖女様関連はもったいぶった喋り方をしたものだから余計に不満をぶつけられたが、飄々と躱す僕はニコニコな笑みを絶やさなかった。
「眠いでしょ?」
「眠くない!」
「きっと眠いよ」
「アリスは?」
「うん眠い」
「それじゃしゃーないや」
「アリスのせいだからね!」
「はいはい」
宛がわれたベッドで健やかな寝息をたててしまう速さには微笑ましいものがある。思わずくすりと笑い、僕もまた布団の中へ。しばらくそうして、暗闇に目を凝らしてベッドに横たわっていると、もぞり、と頭上のラビトが動いた。
――――そのような日毎夜毎を、繰り返し行った。
子供は現金なもので、代わりとばかりに勇者冒険譚を紡げばあっさり夢中になった。
嗜好として単純な物語のほうが好みだったってことなんだろう。聖女様が記憶の彼方でたゆたう。たおやかな腕を伸ばし、誰かを誘っているがその手を掴んだのはラビトだけ。
(そう、聖女様派には昨日の続きが聞けなくなって不評なわけで、)
昨日と同じく聖女様関連を期待させて続きをぶつ切りにした後、からりと手の平返しで心躍るペトラの嵐や、勇者関連の話に変更してやったら子供たちは熱中し、ラビトは顔を背ける。手足をのびのびと床につけて伸ばしたり、僕のベッドや向かいのベッドを占拠したりと率直な子供たちと和気藹々。青々と茂るこれからの末来を彷彿とさせるような輝きの瞳を僕に注ぐ彼ら、勇ましき英雄譚は喝采し、砂漠の国の夜の深まり具合や、特有の虫が空を覆って黒々としてしまう恐ろしい害虫の話はきゃーと叫ぶも、砂漠の船が崖を飛び降りて海辺を走る光景をつぶさに語れば、まるで別世界を目にしているがごとく膝を揺すったり、足踏みをしたりして大いに喜んでくれた。
(ついでに、文字も覚えてくれたら)
そう思い、室内であれば木板に彫り込んで順繰りに見せ合って書き順を覚えるようにと言い聞かせたり、外であれば地面に綴り、アリス先生と呼ばれたり。本当、司祭様に嫌がられることを率先してやっている僕。
年長たちの一部は僕のやり方をあまり好ましく思っていないようだったけれども、率先しておチビを初めとして子供たちの面倒をみているという恰好になるので、あまり小言をいうことはなかった。
――――さて、僕の疑似餌はいつ喰いつかれるか。
楽しみであり、怖いことでもあった。
だが、一番恐ろしいことはいつまでたっても昇華されない、この気持ち。
(僕のせいで傷ついてしまったというのなら、)
このままじゃ、僕は前を向くことができない。できないんだ、僕は。
(あるいは、我儘なんだろうか?)
両目を閉じ、今日も寝物語を思う存分喋ってやったと心地よい疲れに身を任す。
たちまちに、暗闇が僕を引きずり込んだ。落ちる先は夢の海辺。
「アリス」
(さあ、僕の成果がやって来た)
瞼を開けば、前よりも血色のやや悪いラビトがいる。
彼の背景にある壁際、まだ時刻は早いようだと、窓辺の差し込む光の具合からして察する。
起床時間にしては早すぎた。身を起こし、ラビトを不思議そうに見やれば。
「……最近、この時間に聖女様にお祈りを捧げてるんだ」
「え」
まさかそこまで熱心に信仰に目覚めていたとは。いや、縋っていたとは。
「朝は誰もいないから」
先ほど、お祈りは済ませてきたという、こんな誰もが寝静まっている早朝も早朝に。
(悪化してる……)
瞬いてラビトの真顔を見据える。
彼は少し、痩せたのかもしれない。顔色も悪かった。
「話、ある」
朝昼晩と聖女様に祈りを捧げている、のはまあ分かってはいたことだ。
(けど、)
問題なのはその異常性だ。
思わず僕は、ごくりと唾を嚥下した。
ラビトに気付かれるだろうか、僕のこの二の腕が鳥肌たっているってこと。
「ついてきて、アリス」
目元にくまを作っているラビトを見やりながら、僕はうん、と頷いた。
布団をさっとめくり上げ、上着を引っかける。周りの子たちは未だ深い眠りの底だ。起こしては駄目だと思い、そろりと足を動かす。靴を履けば、ぎしり、と床が軋む。
(それに、せっかくのご招待だ。行かない訳には)
(蒔いた種だもの、拾わなきゃ)
ラビトのきっぱりとした足取りからして、孤児院から礼拝堂へとつながる道を過ぎ、外へと進むようだった。朝の起き抜けだからかよろよろとした歩みだったけれど、必死にラビトの後ろをついていく。
重たい両扉をラビトが開く。
たちまちに、僕の頬を、ひんやりとした空気が撫でて包む。前髪も、さらりと湿り気を帯びた。ふー、と息を吐けば、白い息は……やっぱり出ない程度の気温だったけれど、それなりの寒さだ。
朝露を踏みしめて進めば、遥かな山脈から光が差し込んできた。
聖なる国との国境にあるところからの直射日光である。
は、とさらに吐息を零しながら、そろりとあの境を見詰める。
(僕の村があった場所……)
ちょっとだけ薄目になる。橙色で温かな輝き。
(……どんな嫌なことがあっても、朝は毎日やってくる)
それがどれだけ分かちがたい、辛い事実が待ち構えていても。
ちゃんと次の日はやってくるのだから朝というものは面倒に思っているのは、僕みたいに後ろ暗くて、厄介で意固地な人間ぐらいだと思う。遅刻したって誰も文句は言わないだろうに。
「アリス。
お前って意地悪な奴だな」
「えっ」
開口一番、これである。
鳩が豆を喰らったかのように、びっくりした。
「い、意地悪って」
「オレがどれだけ、聖女様を大事にしてるかってこと。
分かってるくせして、本当にお前って酷い奴だ」
「ら、ラビト」
「オレの想いが聖女様への気持ちが分からないでもないくせに。
どうして、お前は他人の気持ちをそう、ないがしろにする?
アリス、オレは聖女様のことを話題にされるたびに悲しかったよ。
まるで聖女様が雑に、玩具みたいに扱われたようで」
「な! 僕は、そんなつもりは」
「オレにはそう聞こえた。
ちゃんと聖女様を伝えないアリスの話し方、かなり陰険だ。
皆、アリスの話を楽しんでいるのに、
中途半端に聖女様を餌にぶら下げて最後まで伝えない。
皆、聖女様のことを良くわからないままにいつの間にか勇者様を称えている」
どうやら勘付かれていたようだった。
僕が聖女様をネタにして、ラビトの気を惹こうとしていたこと。
ぎり、と唇を噛む。
そう、今僕を支配しているのは、この分からず屋への怒りだ。
(どうして、分かってくれないの?)
そればかりが頭の中を埋め尽くしていく。
「……事実でしょ。
聖女様はまるで死後も、
すべての人間を救っているみたいに言われてるけどさ、
そんなことあり得ないでしょ。
だって、現実じゃ世の中どこにだって惨いことが転がっている。
どうして聖女様は助けてくれないの?
聖女様の微笑みの像だって、ただの像だもん。
死んだ人の像だよ。
ねえ、ラビト。
奇跡が起きるとしたら、
赤ちゃんが捨てられることもないし、
この孤児院で育つわけがない」
「……聖女様を馬鹿にするのも大概にしろ」
それはあまりにも真っ当で、価値観のすれ違いだ。
僕は思わず、指と指をこねくり回してしまう。
――――が、ラビトの本音を聞くことが出来た。それは、素直に嬉しいと感じる。人間関係の修復という観点においては、僕の寝物語、正しい行いだった。けども。
(僕は、あの赤毛の子が絶対に許せないように)
きっと、僕の発言はラビトにとって嫌悪すべきものだったのかもしれない。
言ってはならない言葉だったのかもしれないが、彼のためになるという僕の気持ちに偽りはない。
僕を糾弾するつもりであろうラビトに、向ける視線を強め、語気を荒げた。
「けど聖女様は肝心な時に、僕を助けてくれなかったよ?」
「それはアリスが聖女様を信じなかったせいだ」
「奇跡が起きなかったのは、僕のせいだといいたいの?」
「そう、言う訳じゃない。
けど、聖女様がそう言った試練を……」
「試練? 試練って何?
僕は、そのくだらない試練の為に、家族を失ったの?」
「そ、そういう訳じゃ」
もし司祭様であったのなら、信仰心が足りなかったから、でにべもなかった。
中途半端に突き放すこともできず僕を慮る、口ごもるラビト。
(良い奴)
だからこそ、僕は。
ラビトに踏み込む。ぐっと近づき、胸ぐらを掴んだ。
「ひぃ」
と情けない声を上げ、恐ろしいものを見たような表情をする小太りな少年。体が一際小さいのは僕のほうだというのに、彼はまったくそんなことを感知せず、されるがままに、襟首までも引き上げられてその両目に怯えた感情を乗せた。
僕は、笑った。
「ねぇラビト。
僕、そんなにひどいこと言ってないよ。
真実だもの。
僕は本当のことしか口にしてないよ。
本当だよ、ラビト。
……信じてくれる?」
覗き込むと、ラビトは、強張らせていたその身をくたりと弱らせ。
「ごめん、アリス……」
俯き、小さく呟く。
僕もまた力んでいた身体を弛緩させ、ほう、と息を吐く。
掴んでいたラビトの上着も解放し、冷たい呼気を取り込んだ。
改めて、落ち着きを取り戻し始めたラビト。彼は呑気なことに、問い詰めた僕の様子をオドオドと探っている。やっぱり心根は良い奴なのだ。
(僕とは違って、)
これで良いのかもしれない。
(僕たちの関係って)
だって、僕はもう、死んでしまったような命だ。
泣き叫び、狂い笑いしても苦痛は終わらなかった。足掻いた手足は空を掻いたが、どうにもならず。
ただ、たまたま。
騎士様が。
(そう、騎士様だけが……)
彼だけが、僕の寄る辺。
後見人として、何ら得にもならない損ばかりの僕が縋ることのできる、唯一の人だ。




