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信念を否定され、意固地にも邁進する。誤った道だと分かっているくせに、その茨の道を進まねば気が済まない人種。飛び出た鋭い棘で手足が傷つき、血のにじむ跡をつけようとも、重たくなっていく足取りであっても、それでも前へ、前へと足掻くように進む人間というものは、どうしようもなく愚かだ。
(どれだけ望んだって、手に入らないものがある)
夕闇の、ぼんやりとした薄暗い礼拝堂にてラビトは祈りを捧げている。
顔色は不明瞭過ぎて分からない。ただ、熱心なのは分かる、廊下から覗き見する限りでは。
もっと分からないのは、ラビトが一体、何を考えているのか、どんな感情を抱いているのかということだ。だらしなく壁に寄りかかり、ぼうっと伺うだけが僕の出来る範囲。蹲る熱心な信者の少年から目を離し、跪かれた相手である像へと視線を転ずる。微動だに存在だ、遥か高みから僕たち人間を睥睨する聖国の主。
(でも、僕は騙されない)
どんな時でも、聖なる教えを抱く優しく、美しき聖女様は変わらない笑みで礼拝堂で屹立していた。
「あーあ、今日もコレなんて参っちゃう!」
朝っぱらからキンキン声が響く。
振り返ると、年長組の女の子の一人が食事係としてのエプロンをばたばたとはためかせながら、足早にせかせかと動き回っている。その手には、彼女が困惑の声を上げた原因がぴょこぴょこと彼女の動きに沿って動いていた。抱えている量が半端ではない。
「わ、何それ」
思わず目を剥く僕に対し、鼻息荒く少女は語る。
「アリス! 見てよ~酷いと思わない?
この人参! ほっとんど真っ黒!」
しげしげと見詰めると、人参が真っ黒な腐りかけの色になっていた。
山のような人参、全部がそうだった。辛うじてオレンジ色を保っている食べられそうなところもあるにはあったが、それにしては腐食部分が大きな面積を占める。思わず興味本位に黒々とした部位を触れてみれば、何やらネバつく……。細い葉っぱのあたりもどうも粘着質で、せっかくの葉物部位も捨てることになりそうだ。
「うわー」
なるほど、彼女が嫌そうに顔を顰めるのも頷ける。
「酷いでしょ? ね?
これ、食べられる部分を探さなきゃいけないのよ、これから」
「そうだね」
この孤児院では大体の食糧は自給自足で賄ってはいるものの、それでも一部足りない部分があるため、そういう時は王都からの買い入れで補充していた、のだが。
「もー! あの商人、絶対孤児だからって足元見てるのよ!」
(違う)
僕は直感としてそう思ったが、口にするのは憚られた。
この女の子は基本、おっとりとしているから人を疑うことを知らない。
(お金のやりとりは、司祭様がやっている。
だから……)
僕は目を伏せる。
「ねぇ、ラビト。あなたもそう思わない?」
はっとして顔を上げると、ちょうど通りがかったラビトが足を止め、ようとしたが、そのままこちらに意識を向けようともせず。
「あ、ちょっと!」
女の子が声を張り上げたが、ラビトはまるでそそくさと聞いていなかったかのようにいなくなる。
呆気にとられていた彼女であったが、段々と怒りが込み上げてきたものか、キッと鋭い視線を僕に向けてきて僕が冷や汗をかく羽目になる。
「……ええー、何あれ!
ねぇアリス! どういうこと?」
「え、ああ、う、うん……、」
どう、とも言いづらい。
しかし、ラビトは周りの孤児と距離を置いているのは確かだ。目で追いかけるだけに留めた僕は、困った顔のままに告げる。
「お、お祈りの時間なんじゃないかな……」
「え、朝の?
でも、ご飯の支度これからなのに」
「うん……」
(司祭様がお祈りをするのは、孤児たちが食事をしている間だ)
つまり、ラビトは司祭様がやってくる前に祈りを捧げにいくということになる。
僕は、彼の後姿を思い起こす。
(無視、か……)
なんだか悲しくなってきた。
いくらなんでも豹変し過ぎではないか。それとも、僕のせいだと彼は意固地にも突っぱねているんだろうか。分からない。
「……しょうがないわね、何か分からないけれど機嫌が悪いみたいね。
アリス。仕方ないから、人参の皮をむくの手伝ってくれる?」
僕はこくりと頷いて人参をひとつ、手にとってみせた。
この孤児院に居ついて、月日が流れ、季節も変わり始めていた。
ラベンダーも収穫の時期となり、僕たちは一生懸命、手鎌を使ってあっちこっちへ移動しつつ紫の花々を幼い孤児たちが束にして荷車に積んでいく。鎌は刃を潰してあるとはいえ危険ではあるため、年長の者たちが中心となってせっせせっせと腰を曲げて刈り取ったラベンダーを道端に小分けに盛りつけていき、それを小さな子供たちが懐いっぱいにして抱えて荷車へ。そういった手順でもって作業を行っていた。
ラビトも当然、この仕事に従事している。
黙々と、だけれど。
横並びでもって、それぞれのラベンダーの列を担当して刈り取っているのだが、僕はちら、と。
額の汗をぬぐいつつ、前方にいるラビトの後姿を見詰める。
(……遠い、なあ)
帽子もかぶらず、せっせと精を出すラビト。
少し、背丈も伸びた気がする。
僕はちっとも身長が伸びた気がしないけれど。
良い匂いのする香りに包まれながら、僕は孤児たちに様々な寝物語を繋いでいく。
夜、それも遅い時刻ではあったけれども長々と語った。眠たそうだったけれど、興味が尽きないみたいで、子供たちが僕の隣で座って耳を傾けている。あのおチビちゃんもそう。それなりに疲れているだろう年長組は今日、ラベンダーの収穫という大事業のせいで皆、疲れ切ってヘトヘトだ。あのラビトでさえそう。僕もまあ、それなりに疲れているけれど、でも、(ふふ、)と僕は笑みを形どった口でもって、僕なりに出来ることを仕掛けてみることにした。
「んで、聖なる国に聖女様っているの?」
「あーうん、いるといえば、分からない」
「分からない? えーなんで? えー!」
えー、えー、なんでなんでといつもの三人組に異口同音に重ねられるけれど。
僕も困ったとばかりに、苦笑して話を続ける。
「聖女様は勇者様と同じく、世界を救った英雄なんだ。
その血筋を引かれるお方が代々、聖女様になられるんだって。
でも、最近はその聖女様の血を引かれる方が少ないらしいんだ」
せっかくだから、二段ベッドの上段でひっくり返っているであろう、ラビトの反応をみるために、わざとらしく言葉にしてみたんだけれど、ぎし、と頭上から物音がする。(しめしめ、)と僕は機嫌を良くした。不安はあったが、きっと喰いつくと思った。でも、本人からの反応がどれだけのものか分からないから、様子を探るに留めるための程度ではあったけれど軽い話をしただけで少し身じろぎをして気にしているようだから、まったく僕の話を無視するということはなさそうだ。
「聖なる国について、もっと知りたい?」
「はーい!」
「知りたい!」
「あーでも、これ以上は眠いでしょ?」
「えー」
「でもー」
「アリス―」
「もっともっと、聖女様について話すことはあるんだけど、
あー、もう僕も眠いから、また今度にしよう!」
「えー!」
「もう子供は寝る時間だよ」
「アリスも子供じゃん」
「そうだよ、だから睡魔に勝てないんだ」
ぶうぶう文句を言われたが、根が素直な子たちだ、おチビちゃんもまた明日ね、なんて。
言いながらそれぞれの宛がわれたベッドへと向かっていく。
しばらくして、時を図ったかのようにロウソクの灯が消され。消灯になった。
寝息があちこちから上がる時間にもなった。明日もラベンダー収穫という大仕事が待っている。
「……」
ふう、とため息をつきつつ。
布団に包まれながら、僕からしてみると天井にあたるベッドの裏側を見上げる。見上げ続けた。
ぎし、とまた音が鳴る。木造りのベッドだから、よくよく音が響く。
(……まだ、これだけじゃ駄目か)
ラビトからの反応は悪くはなかったのになあ、と感触は悪くなかったと考える。
歩み寄るということは難しい。