第二十話 真夜中の屋根の上で
夜、二人きり、星を眺めに建物の屋根の上。
このシチュエーションを何と言うか俺は知っている。
告白イベントである。
(……だったらいいなとか考えちゃう自分が痛々しくて予想以上に胃が痛い痛い痛いいたたたた)
そこまで自惚れるほど馬鹿ではない、とか断言したいものだが、やはり胸の奥では期待の顔を覗かせる自分がいる。
前世で、俺は一度も告白されなかった。
すなわち自分を認めてくれる人がいないということであり、俺が自分に自信を持てないことにも少なからず影響しているような気がしないでもない。
自分がそんな矮小な存在であることはもう知っている。
だから少しくらい期待してもいいじゃない。
にんげんだもの。
……でもやっぱり胃が痛い。
「星がきれいだねぇ」
「そですね」
俺とエルシリアは屋根の上に寝そべって星を見上げていた。
風はなく、星見に適した気候である。
しかし俺の喉はからからだった。
十歳年下の呼び出しになんでこんなに緊張してんだ。
初心にも程がある。
「でも、少し冷えるな。エル、火熾して?」
「そですね」
「……エル? 火」
「あ、はい。すいません」
いかんいかんと後頭部を屋根にガンとぶつけ、俺は右手を掲げて詠唱する。
「『火よ』……っと!!」
魔力が暴走した。
ギリギリで魔力回路を直接外部に排出。
俺の手を焼く寸前で、火の魔力は宙空に吐き出され、白色の煙となって風に吹かれて消えていった。
(あっぶねー……だっせぇな俺)
こんなところで怪我するとか冗談じゃない。
さっきから何なのだ俺は。
まるで自分の体じゃないみたいだ。
「……今のって『放散置換』?」
「はい、すいません。もっかい熾します」
俺は両手を擦り合わせてからもう一度火の魔法を唱えた。
仄かな光を伴った小さな熱が宙空に漂う。
ちなみに放散置換とは、魔力回路を外に描き出して、体内魔力を外部に霧散させる技術である。
魔力の暴走を回避する有効な手段として有名だ。
成人してから自主的に学ぶようなことだが、一度魔力暴走で事故を起こした俺が学ぼうとするのは至極自然な流れだろう。
そんな難しい技術でもないのでさておき、そろそろ話を進めたいところだ。
ど、どっから話そう。
「エルシー姉さんは、星をよく見るんですか?」
「うん。何か思い出せないかなって、ここでお父さんとお母さんのこと考えてる」
……ほう。
なるほどそう来たか。
とりあえず、俺の心の中で告白の受け答えの練習をしていた童貞二十五歳は頭を引っ込めた。
「父上と、母上ですか」
「手紙一枚残して、どこかに消えちゃってね。死んじゃったってのは、シェイラ母さんから聞いたんだけど……手紙の内容、ほとんど覚えてなくてね」
「それを思い出そうとしていたと」
「うん」
何しろ、俺たちは孤児である。
そんじょそこらの子供が語る『親』とは言葉の重みが違う。
そんなデリケートな話題を持ち出してくるということは、相応に思い悩んでいる何かがある、ということだ。
エルシリアの両親のことは少しだけ知っている。
なんでも、幼い頃にいつの間にかいなくなってしまったとか。
手紙を残して、という部分は知らなかったのだが…。
ど、どんと来い。
「日を追うごとに、お父さんとお母さんの思い出が薄れてくのが、怖くてさ。手紙のこと思い出せれば変わるかなって」
「ご両親のこと、好きだったんですね」
「うん、二人とも仕事で忙しかったけど、ボクに優しくしてくれたの覚えてるよ。だからこそ……ボクだけ置いていなくなっちゃった理由を知りたいんだ。知りたいってか、思い出したい、って言った方がいいかもだけどね」
「その手紙の中に、いなくなった理由が書いてあったんですか?」
「うーん……そんな覚えがあるだけなんだけどね。他に手がかりもないし、まずはそこからかなって」
「なるほど」
やばい、なんて答えればいいんだ。
想定を上回るガチ人生相談で非常に焦る。
幸いにも、夜間のテンションとでも言うべきか、頭は冴えて思考もよく回ってくれているので、会話を食い繋げることはできるのだが。
それだけではいかん。
何人もいる孤児院の子供の中で俺を頼ってくれたのだ。ちゃんとした根拠と理論で応えてあげたい。
「でもね、最近、一つだけ思い出せたことがあって」
「その理由のことですか?」
「んーん……近いけど、ちょっと違うかな。てか、そのことでエルに、いくつか聞きたいことがあるってのが本題なんだけど」
「……ほう」
プレッシャーはんぱねえ。
え?何聞く気なの?本当に俺でいいの?ダン兄様なんかは俺よりもっと頭の良い解答をお持ちだよ?
そういう問題じゃない?
そう、俺のヘタレっぷりはエルシリアもよくご存知のはずだ。
それでも相談してきたということは、そういうことだろう。
よし来い、さあ、この胸に飛び込んできなさい。
「……」
「……」
なんですかこの沈黙。
あんまり助走つけられると受け止める自信がないのだが。
ちらちらと視線を横に向けて、隣に寝転がっているエルシリアを盗み見る。
彼女は星をまっすぐに見つめていた。
「あのさ」
「はい」
「一週間前の、レイ姉とエルが崖から落っこちたの、あったよね」
「はい」
「あの時、セレナがボクに言ったんだ。わたしのやるべきことは、エルシー姉とアンジェを守ること。エルのやるべきことは、レイ姉を守り、自分も生きて帰ることって」
「……」
「あれって、エルがセレナにそう言ったらしいね?」
「……、はい?」
そんな大層なことを言っただろうか。
あの日の記憶など、今となってはレイチェルを守るのでひたすらしんどかったことしか覚えてない。
いや、しかし、そうだ、セレナに何か言った気がする。
あれは……確か実戦訓練の直前に、そう、アンジェとエルシリアが妙に集中を散らしていたのが気になったのだ。
それで、セレナに『何かあったら自分の判断で動くように』的な目配せをしたのだった。
「……いや、何か言ったわけじゃないですよ」
「それに準じた何かはしたわけだね?」
「それは……まあ……」
「それじゃあもう一つ。君がレイ姉を追いかける直前に、セレナに何か言ったよね。あれなんて言ってたの?」
「ん、んんー」
今更聞くことでもなかろうに。
追いかける直前というと、レイチェルが引きずり倒されて、皆がパニックに陥りかけたときのことだろう。
セレナとばっちり目が合ったのは覚えている。
あの時に言ったのは……
「後は頼む、みたいなこと言った気がします」
何だろう超こっぱずかしい。
こんなにも清々しい死亡フラグを言い捨てて、魔物の軍勢に単身挑んだのか俺は。
そりゃ死にかけるのも当たり前である。
ていうか、現在進行形でも公開処刑されている気分だ。
できれば気付かないまま闇に埋もれてほしい台詞だった。
「へえ。後は頼む、ねぇ。ふぅん」
「なんか恥ずいんでリピートすんのやめてください」
「そうだね。二度とそんなことは言ってほしくないな」
「はいもう二度と……」
そう言いながらちらりと横目にエルシリアを見て、俺はガチリと口を閉じた。
エルシリアの顔が無表情になっていた。
(……えっと、怒ってらっしゃる。何故に?)
何か気に障ったことを言ったか?
お前みたいな凡人がキザな台詞吐いてんじゃねえとか……違う、エルシー姉はそんなこと言わない。
今一度原点に立ち返ってみる。
後は頼むと二度と言ってほしくないという。
それは何故か?
「……二度と独断で動くなってことですか」
あの時の状況的に考えて、エルシリアならそう思うだろう。何せ彼女はリーダーだ。
俺はレイチェルを追いかけるべきではなかった。
死なずに済んだのは所詮結果論。
誰がどう考えたって俺が死ぬ確率の方が高かった。
そんなところだろう。
責任を取らなければならないリーダーの立場からすれば真っ当な主張だが、それは俺が普通の七歳児であればの話。
身体能力だけで勝敗を決する世界なら、俺だって言われなくても大人しく引っ込んでいるところだ。
しかしここは、魔法の存在する世界である。
肉体的に未成熟であっても、知識や考え方次第でいくらでもやりようはある。となれば、あの場面で二十五の俺が助けに行かなくてどうするよという話になるわけで……。
とまあ、そんな話ができるわけでもなし。
エルシリアから見れば不安要素しかなかったのも分かる。
ここは素直に頭を下げよう。
「それは深く反省してます。パーティ崩壊を招きかねない、軽率な行動でした。以後気をつけます」
「……それだけ?」
「ん、ん」
まだあるのか。
あの行動がアウトだったと確信したが故の答えだったので、さらに先があるとは思いも寄らなかった。
えっとえっと分からん。
「すいません、分かりません」
「次、もしボクがレイ姉さんと同じ目にあったら、君はどうするんだい?」
「そりゃあ追いかけます……よ」
焦って正直に答えてしまった。
以後気をつけるって言っといてこの答えはないだろう。これじゃ全く反省してないかのようだ。
冷や汗滲んできた。
「後は頼むって言い残して?」
「……」
「君もそうやっていなくなっちゃうのかな?」
顔を横にずらしてみる。
エルシリアは、もう星を見ていなかった。
緑色の双眸が夜闇に浮かび上がって、瞬きもせずに俺を見つめている。
俺『も』か。
俺以外にいなくなった人……。
……これで分からないような鈍感は小説の主人公にでもなった方がいいな。
「ご両親の手紙ですか?」
「そう。シェイラ母さんに向けて、娘を頼むって書いてあったの、思い出したんだ。ねえ、エル」
「はい」
「君は生きて帰るつもりで、セレナにああ言ったの?」
「それは、そうです。死ぬつもりはありません」
そこに関しては断言できる。
俺は、こんなところで二度目の人生を終えるつもりはない。
何のために努力してきてると思ってるのだ。
「そうだとしたら、君、現実見た方がいいよ」
「……そうですかね」
少しムッとする。
そりゃ年長から見れば、現実を舐めているようにも見えようが、こちとら中身は二十五である。俺だって、何も考えずに飛び出したわけではない。
十分に勝算があった上でレイチェルを追いかけたのだ。
崖から落ちたことは完全に想定外だったが。
「何か誤解しているようだけど。ボクが言ってるのは、君自身の事だよ」
「俺自身ですか」
「そう。君はいつも、自分の身を顧みない。自棄的なんだ」
……自棄?
自分の身を顧みないとか、何だそれは。
そんな格好のつくような真似をした覚えはない。
「質問を変えようかな。自分とレイ姉、どっちか助かってどっちか死ぬとしたら、君はどうする?」
「……その仮定に何の意味があるんですか?」
「君は生きて帰るつもりだと言ったけれど、たぶん、それよりレイ姉を助けることを最優先事項として考えてたんじゃないかな」
否定はできない。
空を飛んで逃げようと考えたが、結局俺は踏み止まった。
結果的にレイチェルを守り切ることができたものの、あの場面で踏み止まったのは何故なのか?
守り切る……ための努力をしようとは思った。
持てる力を尽くして時間稼ぎをした。
しかし、果たしてそこに、俺も生きて帰るという意思はあったかどうか。
もちろんあったはずだ。
ここで死んでたまるかという気持ちで戦っていた。
……本当にそうだろうか。
俺が死ぬか、レイチェルが死ぬか。
目の前にその二択を突きつけられたとき、俺はどうするのだろうか。
そこで迷ってしまう、自分を捨てるという選択肢を視野に入れてしまえるという時点でアウトなのかもしれない。
「ボクが何を言いたいのか分かるかい?」
「……なんとなく」
おかしい。
死ぬつもりはないと豪語していた俺はどこ行った。
俺が言葉少なに答えると、エルシリアは盛大にため息を吐いた。
「はぁ。エルは馬鹿みたいに鈍感だからねぇ。なんとなく分かったとか言いつつ全然的外れなこと考えてそうだから、ちゃんと言葉にして言おっかな」
エルシリアがむくりと起き上がった。
俺も体を起こし、むすっとした顔でエルシリアに向き直る。
馬鹿とか言わなくても……。
などと思っていると、唐突にエルシリアが俺の両頬に手を当ててきた。
「ボクはね、エルが、お父さんとお母さんみたいにいきなりどこか行っちゃうんじゃないかって、怖いんだ」
「……」
「お願いだから、自分をもっと大切にしてくれないか。ボクはもう二度と家族を失いたくない」
「……死ぬわけないじゃないですか。生きますよ」
やばい、盛大な死亡フラグをぶっ立てている気がする。
というか顔が近い。
エルシリアの色素の薄いブロンドの髪から良い匂いがする。
俺は顔ごと目を逸らしつつ思考を巡らせた。
そもそも自棄的だとか、自分の身を捨ててでも家族を守りたいと思う気持ちは間違っているのだろうか。
……間違っているのだろうな。
自分があって、その上に家族がいるべきなのだ。
家族に死んでほしくないのは俺も同じだ。
だからこそ、レイチェルを助けに行ったのだから。
だが、そこで『自分が死んででも』という思考回路に繋がるのは普通におかしなことだ。
今まで完全に無意識だったが、この考え方は直した方がいいかもしれない。
このままだと遠からず誰かを庇って死にそうである。
それでも別に良くねとか考えてる自分が心のどこかにいる時点でどうにも手遅れな気がしないでもないが。
「言っとくけどね、エルが先に死んだらボクも後を追って死ぬよ。本気だよ」
「何を物騒なこと言ってんですか。馬鹿ですか」
「その場合、たぶんセレナも一緒に逝くことになるね」
「……笑えないんでやめてください」
なぜかエルシリアがにっこり笑顔だ。
怖い。心中でもする気だろうか。
「君一人が死んだら、二人三人と道連れになるってわけだ。罪深いねえエル。ちゃんと生きなきゃね」
「分かりました」
「……本当に分かってる?」
「分かりましたって」
「じゃあ今日からボクと一緒に寝ようか」
「それはお断りしまふゅっ」
「流れを読みなよそこは間違えて分かりましたって言っちゃうとこでしょうが!」
ドン引きした顔で答えたら、エルシリアは俺の両頬をぎゅむっと押し潰してきた。
正直意味不明である。
何ちょっと顔赤くして色気付いてんだこのマセガキめ。
「ほら、君のことだしね、明日にでも蒸発しちゃう可能性は大いにあるじゃないか。ちゃんと見張っとかなきゃ」
「俺がどこに行くってんですか」
「もちろん見張りもタダじゃないよっ、そうだ明日からエルの魔法教えてもらおっかな! これで見張り代チャラね!」
「話聞けよ」
はぁと俺はため息を吐いた。
別に魔法なんぞいくらでも教えてあげるが、今、一緒に寝るのはなんか嫌だ。
いつもなら両手を挙げてベッドにダイブするところだろうが。
今はちょっと、そういう気分ではない。
「まったく。冗談は程々にして、早いところ戻りましょう。マジで風邪引きそうですし」
「……ふーん。一緒に寝てくれなきゃ帰んない」
「寝言は自室に戻ってから言ってください」
「ぷいっ」
頬を膨らませてそっぽを向くエルシリア。
可愛くねぇ……いや可愛い。
普通に可愛いが、なんというか、今は一人で考え事をしたい気分であって、できれば一人で寝かしてくれると……
……言っても聞いてくれなさそうだ。
「分かったよ、今日だけです。母さまに突っ込まれたらエルシー姉に拉致されたって言いますからね」
「ぃよっしゃぁ!」
一転してご機嫌な顔になったエルシリアを見て、俺はやれやれと脱力した。
***
屋根裏の階段で下に降りようとしたら、数人の人影がドタドタと慌てて駆け下りていく音がした。
俺とエルシリアは顔を見合わせる。
「誰かいたね」
「いましたね」
盗み聞きとはタチの悪い。
追いかけてとっちめてやろうか、などと考えつつ下に降りてみると、アンジェとセレナを両手にぶら下げたダンがいた。
何やら足元に転がっているのは……緑がかった髪色から見るに、レイチェルか。
「こんばんは、ダン兄。どうしたんですか?」
「ああ、こんばんはエル。今日はやたらと脱走が多いな」
肩を小さく竦め、ダンは両手の少女二人を見やる。
アンジェとセレナは神妙そうな顔で大人しくしていた。
地べたにうつ伏せのレイチェルは、気絶しているのかピクリとも動かない。
何をされたんだろうか……。
「少し、女子たちの気配が物々しくてな。試しに尾行してみたら、お前たちの話に聞き耳を立てていた」
「それで、ダン兄がとっちめてくれたわけかい?」
「まあな……脱走はいいが、ズルを見逃すことはできん」
ダンは両手に引っさげた少女を床に下ろした。
二人の目は俺を見つめていた。
そんな小動物的な目で見られても困る。
とりあえず怒っちゃいないから安心しなさいな。
「後はエルシリアが相手をしろ。俺は少し……エルと話したいことがある」
と思ったら、今度は俺がひょいと持ち上げられていた。
そのままぶらぶらと手足を揺らしながらダンにお持ち帰りされる俺。
セレナとアンジェの小動物的な目の意味がなんとなく分かった気がした。
どこへ行くかと思えば、廊下の角を曲がってすぐに降ろされた。
どうやら長話をするつもりはないらしい。
真面目にそろそろ寝たいので助かる。
「エルシリアとは、色々話せたか?」
「……まあ。内容はちょっと、話せませんが」
話したくないというのが本音だ。
エルシリアの両親については他言することではないし、自棄的な云々は俺の問題である。
ダンは小さく首を振って、微笑んだ。
「大丈夫だ。深く聞くつもりはない」
「そうですか。では、話というのは何でしょうか?」
「ああ、それだが……二つある」
ダンは膝を折り、俺と視線の高さを合わせた。
この数年で彼は大きく成長し、今では身長は百七十センチほどもある。
銀色の髪に青い瞳という整った顔立ちには一層の磨きがかかり、おまけに剣の腕も魔法の技術もぶっちぎりである。
孤児院では最年少で魔法剣を習得した。
それだけではなく、彼はこうした、相手を信頼させる仕草が非常に上手い。
背の低い子供に向かって大人がそのまま物を言うと、背の高さの違いから、少なからず威圧感が出る。だから屈んで子供と同じ視線に合わせ、『対等な立場』で話をする。
どうでもいいように見えるが、態度一つを敏感に察知する子供にとっては重要なことだ。
彼は、そういったことすらも何気なくこなしてしまう。
天才肌とでも言うのだろうか。
俺とはまったくの正反対に位置する人間である。
羨ましい限りだ。
「……どうかしたか?」
「何がですか?」
「不貞腐れているように見えた」
「きっきき気のせいですよ」
我がポーカーフェースからどうやって読み取ったというのか。
いくらなんでも勘良すぎだろう……。
才能とはつくづく恐ろしい。
ダンは俺の表情を窺いつつ言葉を続けた。
「手短に済ませよう。一つ目だが、お前とレイチェルが一緒に崖下に落ちたあの日のことだ」
「またそれですか」
「ああ、やはりどうにも腑に落ちなくてな。俺の剣はディバイン・ボアを吹き飛ばしたが、あれだけで倒せたとは思えない」
この話はもう十回目である。
ダンが言うのは、あの白猪は魔法剣で吹き飛ばした時にはすでに瀕死で、自分は最後のトドメを刺しただけなのではないか、という至極どうでもいい推測だ。
あの後、仙獣級を倒したダンには多額の賞金と、術導院から正式な『術導教師推薦状』が送られた。
生徒として、ではなく、術導教師としての推薦状である。
十二歳で術導教師とか普通に前代未聞だ。
まあ要するに、ダンが言いたいのは『自分はとどめを刺しただけであり、褒賞を与えられるべきはエルだ』である。
勘違いも甚だしい。
白魔法の斬撃でどれくらいのダメージを与えたのかは分からないのだが、どちらにせよ倒し切れなかったのは確実だろう。
みんなの助太刀が間に合わなかったらそのまま食われていたわけで、ダンの手柄にされても全く依存はない。
素直に受け取っとけばいいものを、ずっと納得せずに何度も俺に詰め寄ってくるものだから、もう何なのこのイケメンってレベルで面倒臭くなっていた。
「何度も言いますが、俺は何もしてないです。俺の剣の腕とか魔力量とか、ダン兄さまもご存知でしょう。どこを攻撃したって傷一つ付けられませんよ」
「……そうか。その主張を曲げる気はないのか?」
「ないです」
キッパリと突っ撥ねると、ダンはため息をついた。
それから何やら懐をごそごそと探り出した。
「なら、これでどうだ?」
そこから取り出したのは、綺麗な輪切りになった手のひらサイズの木片だった。
俺は小さく眉根を寄せてそれを受け取った。
「……なんですかこれ」
「昨日、実際に現場に行ってきた。そこで拾ったものだ。エルなら意味が分かるだろう」
「……」
木片を手の中でひっくり返してみるが、何が目印があるわけでもない。あるのはすべすべの断面に浮かぶ年輪だけだ。
分からん。
これが一体何だと言うのだろうか。
「……エルって時々本当に抜けてるよな」
「心外ですね」
マジで分からない。
言われてみれば何か忘れてるような気がしないでもないが、気のせいだろう。
まあ、これを受け取っておけばこの話は終わりそうだ。
とりあえず俺はそれをポケットに入れておいた。
「それで、二つ目の話というのは?」
「はぁ……まあ、話してもいいか。これだ」
ダンは向かい側の壁の方に向けて右手を伸ばし、一言唱えた。
「『紫電よ』」
バチチッ!という音と共に、一条の閃光が空を割き、ダンの手と反対側の壁を結んだ。
光は一瞬で消えたが、その軌跡は俺の網膜に焼き付いていた。
言葉を失った俺を横目に見ながら、ダンは話を続ける。
「一年ほど前か、エルと雷の発生原理を話し合ったろう。そこからヒントを得た……新しい属性の『紫電魔法』だ」
俺は呆然とした顔のままダンを見上げた。
「これ、ダン兄が……一人で?」
「一人じゃない、今言っただろう。ヒントをくれたのはエルだ。雷が雲の中の粒子同士が擦れて生まれた静電気の塊なんていう発想は俺にはない。俺はエルの考えを形にしただけだ」
考えを形にしただけ。
簡単に言うが、それがどれほど難しいことなのか、この兄は理解しているのだろうか。
いや、俺に才能がないだけかもしれないが。
電気魔法の発明は俺も目指していたのだ。
一日も経たず『俺の魔力量的に実現不可』ということが判明して諦めていた。
それを、こうも簡単に。
驚きを通り越して呆れそうだ。
「俺は術導教師になるつもりだ。シェイラ母さんには猛反対されたが、もう決めた」
「エリート街道ですか。いいですね、応援します」
「そうじゃなくてだな……」
俺の投げやりな声に、ダンは少し苛立ったような口調になった。
「俺はこの魔法をダシに使って、術導院の資格取得やら手続やらを全部すっ飛ばして教師に飛び級するつもりだったんだ。生徒なんていまさらやってられないからな」
「でしょうね」
「要するに、推薦状なんてのは俺にとって無用の長物なんだ。俺はお前に、エルに推薦状を使ってほしかった」
「……俺に術導教師になれってことですか?」
「その通りだ。というか、実はそれが本題だ。俺と一緒に、術導院で魔法の研究をしないか?」
俺はぱちくりと瞬きをした。
魔法の研究。俺とダンが一緒に?
「研究……というのは、その『紫電魔法』とやらのですか?」
「ああ。この魔法はエルの理論が元になってる。お前の力が重要になってくるはずだ」
ダンの目には一切の冗談の色がなかった。
どうやら本気らしい。
確か術導教師は、学校で授業を行う他に『魔法の研究』や『剣術開拓』など、新境地を拓く識者としての仕事もしていたはずだ。
前世で言うところの大学教授みたいなものだ。
ダンはそこで紫電魔法を研究しようというのだろう。
紫電魔法は俺の理論が元だというが、それは否定する方が野暮だと言える。俺には前世の、自然現象や災害を物理的に分析した知識が蓄えられている。所詮高校生までの知識にすぎないが、それでも電気分野の知識は今でも残っている。
というのも、転生してから、前世の知識を忘れないよう日本語であれこれメモしてあるからだが。
電磁誘導やフレミングの法則とかでギリギリだ。
電子やイオン辺りの話になるともうお手上げである。
ともあれ、そうした物理法則がこの世界に通用するかはさておくとして、そういう『考え方』自体が強力な武器になるだろう。
術導教師になって、魔法の研究をする。
俺の能力が最も活きるかもしれない道だ。
「そうですね。悪い話ではないかもしれません」
「そうだろう! 術導院の院長とも話したが、聡明な方だ。エルも気にいると思う。早速明日___」
「ですが、今はお断りします」
一気に上がったダンのテンションが、みるみるうちに萎んでいくのが分かった。
俺はこそりと笑いながら、言葉を続ける。
「一歩遅かったですね。エルシー姉さんに『もう勝手にどっか行くな』って言われた後なので」
「……さっき話してたやつか?」
「はい。あと五年、この孤児院で学ぶべきことを学んで、その上で自分の道を決めることにします。もしその時、術導教師になりたいと思ったら、よろしくお願いしますよ、先輩」
「推薦状は使わなくてもいいのか?」
「ご心配なく。ていうか、正直俺にとっても無用の長物です。教師になるときは自分の力で勝ち上がって見せますから」
現時点でも筆記試験なら満点を取れる自信はある。
少なくともそれくらいの勉強はしてきたのだ。
努力量では誰にも負けん。
実技はどうかって?
分かり切ったことを聞く奴は嫌いだ。
「……そうか。エルらしいな」
「見栄っ張りなだけですよ。実力が伴ってないので虚しいですが」
「そんなことはない。お前は十分……強いよ」
なんでそんな苦しそうな顔で言うんだ。
本心じゃないのは痛いほど伝わったのでもうやめて下さい。
直で言われるよりなお辛い。
「話はこれで終わりですか?」
「ああ」
「そうですか。じゃあ部屋に戻りましょう」
長話をしていたわけではないはずだが、体はすっかり冷え切っていた。
火魔法であったかくして寝よう。
……それにしても、新しい属性の魔法か。
俺は水魔法を駆使して雷を再現しようとしていたので、魔力自体を新しく生み出すという発想はなかった。
雷属性の魔力。魔力の変換。
思えば最近、俺は『自分ができる範囲のこと』が『できるようになった』だけで満足していたような気がする。
転生したばかりの頃は、それこそ魔法がどういう原理で作用するものか、魔法以外に魔力の使い道はないのか……といった、魔法を突き詰めようとする姿勢があった。
その後、確か『魔法についての知識が浅い今は、そういうことを考えても進まない』と考え、できることから始めたのだったか。
うん、なんとなく新しい糸口が見えてきた気がする。
明日の早朝の魔法練習で色々試してみるとしよう。
俺は考え事をしつつダンと部屋に戻った。
***
蛇足だが、部屋に帰ると、先ほどダンにとっちめられていた女子勢とエルシリアが待ち受けていて、毎晩交代で添い寝する代わりに魔法を教えろと迫られた。
完全に俺得なので嬉々として承諾しようとしたところ、ダン兄様に冷たい笑顔を向けられたので泣く泣く断った。
七歳(二十五歳)の日々は、そんな感じで過ぎていった。
か、書き溜めが尽きそうだ…orz
がんばります( `・ω・´)
11/4追記
ダンが持ってきた「木片」について。
現在のこの世界の技術では、表面がすべすべな木片を切り出すことはできません。
セレナくらいの技量と速度を持つ者が聖剣で木こりの真似事をしたらいけるかも。




