退職代行①
頭がぼんやりとする。
やけに騒がしいな。
いま夜だぞ?静かにしてくれ。
「......ああくそっ、売り上げ売り上げって!出来たら苦労しねーんだよクソ上司がっ!!」
俺は眠いんだ。さっさと風呂に入って寝たい......ん?
「———ここ、どこだ?」
大きな声がした方を向くと、おっさんがわなわなと震えながら降りてきた。
おっさんも大変なのだろう。すっかり禿げ散らかしてしまっていて、手綱を引く運転手に礼も言わずそそくさと......
「......え?は、いやいや。ちょっと待ってくれよ」
おかしい。何かがおかしい。
夜だと認識していたはずなのに、真昼の様に空が明るいではないか。
「というか、俺家に帰ったよな?なんで外に......」
目の前をでかいコモドドラゴンみたいな生物がのそのそと通り過ぎた。
後ろには馬車......いや、この場合は竜車というべきか。
人が10人は乗れそうな、車輪の付いた箱が引っ張られている。先ほどおっさんが出てきた箱だ。
異様な光景に眩暈を覚えながら、目頭を指でつまむ。
「夢であってくれ......くそっ、夢の中ってわけじゃなさそうだな。ここは東京、ではないか。人が少なすぎる。というかあの生物は......ここってテーマパークか?最近流行りのVRってやつ?」
目の前の光景にはいまだ懐疑的ではあるが、頭を左右に動かし視覚から情報を集める。
レンガ造りの建造物が立ち並ぶ、いわば中世ヨーロッパ風の街並みだ。
道行く市民の恰好は奇抜で、日本では特殊な場所でしか見られないものばかりだ。
とんがり帽子をかぶり杖を手に持つ女性や、鎧を着こんだ屈強な男性などが闊歩している。
スーツ姿で汗だくの疲れきった成人男性は、もう見る影もない。
つい最近まで当たり前だった光景が一気に上書きされていく。
「俺、何してたんだっけ......くそっ、飲みすぎて覚えてねえのか?」
この世界に来る直前の記憶を思い返そうにも、うまく思い出せない。
最も新しい記憶は、仕事終わりに上司と嫌々飲みに行ったところまでだ。
「上司をタクシーに乗っけたとこまでは覚えてるんだけどな......ん?」
ふと正面を見ると、耳の長い美形の.....あれはエルフか?
見目麗しいエルフっぽい女性がドリンクを片手に店から出てきた。
そのまま当たり前のように目の前に止まった小型の竜車に乗り、どこかへ移動していく。
ちなみに箱を引いていたのはダチョウのような鳥だった。
「VR......ではなさそうだな。画質が綺麗すぎるし匂いがする。......ってことは結論は一つだ」
俺は深く息を吸い、ストレスとともに息を吐く。信じられないがこういうことだろう。
俺は何の因果か。
「異世界に、きちまったらしい」
———異世界転生。
現世で死んだ人間がチート能力を貰ってファンタジーな世界を冒険する、あれである。
「スーツ姿だし、異世界転移の方が正しそうだけどな」
鏡がないのでわからないが、どうせ不愛想な顔をしている冴えない男が映ることだろう。
「この格好ってことは、少なくとも風呂に入る前に飛ばされたって感じか」
何か大事なことを忘れている気がするが、思い出せないのだからどうしようもない。
異世界に行くのなら、いっそイケメンに転生したかったなどと嘆いていると、ふと重要なことに気が付いた。
「そうだ。転移なら何かこっちに持ってきているはず」
スーツ姿なのだ。スマホなどの類も持ってきていてもおかしくない。
それを売れば一角千金。一生働かずに生きていけるかもしれない。
そんな淡い期待を胸にポッケをまさぐるも。
「......はぁ、ないか。あるのは腕時計と......カード?」
希望が砕かれ大きなため息を漏らすも、見慣れぬものをポッケから見つけた。
ポイントカードほどの大きさのカードだ。
書かれている内容は氏名や性別、住所など。日本でいうマイナンバーカードのようなものだろうか。
住所や職業などは空欄になっているが、一つ目につくものがあった。
「......なんだこれ。スキル<退職代行>?」
カードの下の方に、スキルという欄があった。
そこには黒い文字で退職代行と書かれており。
「スキルの対象となる人物を強制的に退職させることができる.......!?なんだ、この強いのか弱いのかよくわからんスキルは。......ええっと?条件は、相手に退職の意思、またはそれに準ずる感情がある場合のみ、相手に触れると発動できる、か」
どうやら、俺に与えられたチート能力?は相手を退職させる能力らしい。
「こんな能力もらってどうやって魔物とかと戦えばいいんだ。商売でもやって、同業他社を退職させるか?.....ん?」
使い道がいまいちピンとこないスキルに頭を悩ませていると、なんだか嫌な視線を感じた。
チラと見ると、さっきの禿げたおっさんがこちらに向かって歩いてきているのだ。
明らかにこちらを視界にとらえており、険しい表情をしている。
「おいあんた。さっきから異世界だなんだとブツブツうるせーんだよ!!ただでさえ俺はイラついてんだ。これ以上気に障るようなことをするならぶっ殺すぞ!」
「ま、待て。悪かった、悪かったからその手に握ってる物騒な物をしまってくれ」
おっさんの手には短刀が握られており、その切っ先はこちらへ向けられていた。
銃刀法違反で訴えたいところだが、ここが異世界ならそんな法律はないかもしれない。
この状況を打破するには、おっさんのメンタルケアをするほうが生存確率は上がりそうだ。
「一旦それを降ろしてくれよ。何があったか知らないが、悩みがあるなら相談に......」
「うるせえ!お前に何がわかる!毎日毎日汗水たらして働いて、それでも上司に叱られ減給される俺の気持ちが!お前にわかるかよ!!......辞めたくても辞められねえ。辞められねえんだ!! 俺はこのまま一生あいつの元で、雑巾みてえに使い潰されるしかねえんだよぉ!!」
唾を飛ばしながら激昂し、短刀を持つ手を震わせながらこちらへ近づけるおっさん。
しかし、俺は彼の発言から突破口を見出した。
こんな都合よくスキルをお披露目する機会に恵まれるとは。日頃の行いが功を奏したかな。
「わかる、とは簡単に言えないが......その問題、俺なら解決できるかもしれないぞ?」
「ああ!?てめえみたいな社会を知らなそうな奴に何が......って、ん?そのぼさぼさの頭に死んだ魚の様な目......お前さん、もしかして”こっち側”の人間か?」
おっさんはこちらをまじまじと見て少し正気に戻ったのか、瞳に光を取り戻し短刀を降ろした。
理由が俺の社畜ビジュアルという点には涙を禁じ得ないが、今はこの好機を逃さないことが先決だ。
「ああ、その解釈で合ってる。こう見えて俺はあることに関してはプロフェッショナルなんだ。おっさんの悩みを解決できるかもしれない」
「にわかには信じがてぇな。だが......その顔に免じて聞くだけ聞いてやる。その方法ってのは?」
「それは」
俺のかつての本業は、退職代行。
依頼人の意思を代わりに会社へ伝える仕事だ。
決して楽な仕事ではないが、こちらもプロ。依頼は完璧にこなして見せる。
俺は口角を少し上げると、片目を閉じて自信満々に言い放った。
「おっさんが仕事辞めたいってこと、俺が代わりに伝えてやってもいい。———退職代行ってやつだ」




