7話 つかの間の平和
その日、サブリナはお忍びで市場に来ていた。
(全く、ハンスのやつ、舞踏会の夜から全く捕まらない。ハンスのくせに生意気ですわ!)
こんな時に限って暇なので、ストレス解消に市場へヤケ食いに来ていた。
「主人!季節のフルーツのヨーグルトかけ!」
「はいよ!1000Gね。」
「な、なんですって!?」
この世界の貨幣価値は1G=1円、つまりサブリナが頼んだデザートは1000円だ。
「いくらなんでも高すぎませんこと!?この前まで200Gでしたわよ!!」
「そうは言ってもねえ、こう物価が高いんじゃ……。」
「そんなこと知ったことではありませんわ!」
「ですから、少しだけ値下げしていただけないかと……。」
サブリナの言葉に続くように、低く通る声が耳に入る。
(この声は……!)
振り向くと、正装をしたハンスが背を向けていた。隣には質素な格好をした婦人が立っている。
「兄ちゃん知ってるだろう?最近王都流通商会が買い占めてんだよ。俺たちもあいつらの言い値で買ってんの。」
「ふむ。生活があっては仕方ない、ですか。」
「あ、あの、騎士の方。私は大丈夫です。最近はずっとこうですから。」
ハンスはにこり、と婦人に笑いかける。
「いえ、あなたのようなご婦人も見捨てられない。」
サブリナは何故か気に入らなかった。
(何よ!そんな庶民にデレデレしちゃって……!私といるときはいつも嵐みたいに激しいくせに!!)
「あのー、姉ちゃん、ヨーグルト……。」
サブリナは八百屋の主人のことをすっかり忘れ、物陰からハンスの様子を伺っている。
「では私が立て替えましょう。」
「おっ、良いのかい?うわっ、金貨だ……!」
「チップです。色々と物入りでしょう。」
「そんな……そこまでしていただくわけには……。」
「いいえ、私は懸命に働く方たちが飢えるのは見ていられない。ここは私の気持ちを汲んで、お子さんに精のつくものを食べさせてください。」
婦人は食べものの詰まった紙袋を抱え、ありがとうございます、ありがとうございますと感謝の言葉を述べている。
(ふん、施しでしたのね。見上げたものじゃありませんの。普段からなさっているのかしら?)
サブリナは一人で納得し、はたと気づいた。
(そういえば、私、ハンスのこと、何も知りませんわ。)
何が好きで、何が嫌いなのかも。サブリナの表情が僅かに曇る。
「へへっ、兄ちゃん。その見た目だったらさぞモテるんだろうねえ。」
ぴくり、と耳をそばだてる。
「とんでもない。実は、かねてより好いていた方と婚約できたのですが、私の粗相で嫌われてしまって……。」
サブリナの頭に疑問がよぎる。
(何を仰っているのかしら。怒りはしましたけど、嫌ってはいませんわよ。)
「ありゃー、そりゃなんで。」
「私が悪いのです。恋敵につまらぬ嫉妬を……。」
「あら、まあ……。」
「その恋敵ってのはいい男なのかい?」
「ええ、私など足元に及ばぬほど……。」
(殿下が?表向きだけご立派で、裏ではニンジンを残す殿下が?)
「では、婚約者の方もその方を?」
「分かりません。でも、私はずっと恋敵が憎かった。そればかりで、あの方に迷惑を……。
しかし、あの方が目を覚まさせてくれた。愛とは押し付けるものではない。相手を最大限に思いやり、共に喜び、共に苦しむことだ。
だから、恋敵を憎む前に、まずは歩幅を合わせることから、と。」
「まあ……。それが分かっていればきっと上手くいきますわ。」
「気をつけなよ〜。よそ見してたらさらわれるからなー。」
「それだけはいたしません。」
ハンスはにこり、と笑う。
(共に歩むときましたか。まあ、夫婦ってそういうものかもしれませんわね。殿下とは喧嘩ばかりでしたけど、共にこの国を守るつもりでしたもの。)
それも裏切られましたけど……。
サブリナの胸がつきりと痛む。
「あー!たいへーん!お財布忘れましたわー!!」
わざとらしく大声を上げる。
「サ、サブリナ様!なぜこんなところに!」
「兄ちゃん、助けてくれよー!この姉ちゃん金払わねえんだよ!」
「えっ?」
ハンスが目をやると、サブリナは涼しい顔で目を逸らす。
(わざとだな……。)
「すみません、いくらですか?」
「へいまいどー!」
ハンスは代金を払い、ヨーグルトを受け取る。
「全く、供もつけずにこんなところで……危ないでしょう。」
「あーら、あなたがいたからいいじゃない。」
「あなたって人は……。」
ハンスは困った顔を浮かべるが、サブリナはもくもくとヨーグルトを口に運ぶ。
ふと、サブリナは手を止めた。
「ハンス、あなたなんのフルーツが好きですの?」
「は?レモン、ですかね。」
「ふーん、あげませんわよ。」
「は?」
「あげませんからね!」
「?」
サブリナは一人でガツガツとヨーグルトをかき込む。
「ハンス、あなたこの後予定は?」
「見廻りですが。」
「では大通りまで送りなさい。」
「言われなくてもそうしますよ。馬車も呼びますから。」
ハンスは近くにいた衛兵を呼ぶと馬車の手配をする。
「さあ、帰りましょう。」
「私一人で帰すつもり?」
「供をつけられば良かったのですが、こちらも空きがなくて……。」
「もー!鈍いわね!」
サブリナはガタッと立ち上がる。
「私はあなたを嫌ってなどいませんからね!」
「!はい。」
言い終わるとサブリナは颯爽と歩き始める。
ハンスは隣で寄り添うように、歩幅を合わせて歩いていった。
――しかし、歴史の歯車の軋みは、すぐそこまで来ている。
第2部、完。




