23 「早とちりしてすまない」
クリスタがソファで本を読んでいると、ノックがして現れたのは祖母だ。祖母は普通に行動している孫娘に目を丸くする。
「まあ、クリスタ、起き上がっていて大丈夫なの?」
「おばあ様、わたくしはもともと大丈夫よ。ただ、伊織様がすごく心配してしまったから休んでいただけ」
クリスタは気まずそうに本を閉じた。
カフェで咳き込んだクリスタは食前酒を吐き出してしまった。トマトジュースを基にした健康志向のカクテルだったから、口元が赤く染まった。イオリには血を吐いたように見えたらしく、毒の心配までされて大変だった。
護衛も慌てて飛び込んでくるわ、慌てたイオリが思いきり卓上に手をついてテーブルが真っ二つになるわで、皿やカップが飛び散った。無惨にも昼食は全て床にひっくり返るという大惨事だ。カフェにも迷惑をかけてしまってもう穴があったら入りたい。というか、穴籠もりして二度と出て来たくないくらいだった。
結局、昼食がダメになってイオリに送ってもらったが、祖父母と顔合わせする余裕はなかった。彼はすっかり意気消沈して動揺しまくりのクリスタを気遣ってくれて、顔合わせは今度また改めてと告げて帰っていった。
イオリは動揺するクリスタを護衛に任せて、店に謝罪して壊した物を弁償していた。その際、虫に驚いてつい力が入りすぎてしまった己の粗相だと店の責任者に告げていた。クリスタを心配して力加減を誤ったのに、クリスタが気にすることがないように取り繕ったのだ。
イオリに迷惑をかけてしまって、クリスタの自己嫌悪は深まるばかりだ。すっかりしょげていたら、イオリに頭を撫でられた。
「君に何事もなくてよかった。私が慌てたせいで大事になってしまってすまない。昼食を摂る気分ではないだろう。ご自宅に送るから、ゆっくりと休養してくつろいだほうがいい」
「イオリ様、申し訳ありません。わたくしが」
「いや、君のせいではないから謝らないでくれ。飲みかけた時に話しかけたりしたから驚いたのだろう?
その、せっかくだから、初デートの記念に乾杯したいと思って。もっと早くに声をかければよかったのに、思いついたのが遅かった私が悪かったのだ」
「いえ、イオリ様は悪くありません」
クリスタはあーんを迫られたわけではなかった、自意識過剰だったと恥じるばかりだ。
「血を吐いたように見えて、毒でも盛られたのかと焦ってしまったのだ。早とちりしてすまない」
イオリも苦笑いで恥ずかしそうに首をすくめていた。なんだか、二人して赤い顔して気まずくなっていた。
帰りの馬車の中で沈黙がものすっごく居た堪れなかったから、顔合わせは改めてと提案されてよかった。
クリスタはふうと息をついて肩を落とした。
「体調を崩したわけではないもの。ただ、ちょっとむせてしまっただけなの」
「ええ、トマトジュースが血のように見えて慌ててしまったと公子様からも聞いているわ。
ふふっ、初デートが残念な終わり方をしてしまったけど、これほどインパクトがある出来事もないわ。時が過ぎれば、わら・・・、いえ、いい思い出になるのではなくて?」
「おばあ様、今、笑い話と言いかけたでしょう?」
ジト目になる孫娘に祖母は生温かい眼差しを向ける。
「まあまあ、そんな顔をしないで、クリス。
素敵なデートもいいけど、笑い話になりそうな失敗談も、後から思えばいい思い出よ。いい事も悪い事も伴侶と経験をして色々な思い出が築けるというのはとても幸せなことだわ」
祖母が少しだけ顔を曇らせた。きっと、番であった養父を思い出したのかもしれない。すぐに祖母は穏やかな笑みを取り戻して和やかに目を細める。
「公子様とお話できなかったのは残念だったけれども、彼が貴女をすごく大切にしているのはよくわかったもの。わたくしもおじい様も貴女の婚約への懸念が減ったわ。
後は貴女が竜人族の本国へ向かうのをどれほど遅らせられるか、ね」
「やはり、十年くらいは時間をかけたほうがいいのかしら? それとも、激太りするか・・・」
「健康に害が出るかもしれないわ。やっぱり、時間をかけたほうがいいと思いますよ。おじい様もできるだけ国元にいてほしいと思っておられるし」
祖父は竜人族の国へ嫁いでしまえば里帰りは容易ではなく、もう二度と会えない可能性もあると危惧している。祖父の頑強さから考えれば、長生きは確実で今生の別れにはならないと思うのだが。むしろ、祖父よりも両親のほうが会えなくなりそうな気がするくらいだ。
祖母はそっと右手を伸ばして、クリスタの頬へ触れた。
「本当に貴女はわたくしによく似ているから、おじい様の色を継いでくれてよかったわ」
「・・・でも、わたくしはお兄様みたいに新緑の瞳がよかった」
クリスタは拗ね気味に唇を尖らせた。
祖母の色を継いだのはオリヴェルだけだった。クリスタと同じ茶髪なのに兄は瞳が綺麗な新緑のせいで印象深く、他人の記憶に残りやすいようだ。兄妹で出会った相手なのに兄だけ覚えられていることがよくあった。
「クリスはわたくしの若い頃に瓜二つだもの。色まで同じだったら、すぐに血縁だとわかってしまうわ」
祖母が苦い顔になる。
そっくりくらいならば他人の空似で済ませられるが、さすがに瓜二つのレベルでは誤魔化しはきかない。
「下の弟は亡くなったと聞いているのよ。でも、養母と上の弟がどうなったのかはわからない。竜人族の寿命からすればまだ養母も存命だし。
二人は養母の実家の上級貴族の籍に入ったと聞いているから、公子様の番では顔を合わせる機会は十分にあるわ。気づかれる可能性は高いのよ」
「十分、用心しなければならないわね。やっぱり、本国を避けるのが一番かしら?」
「ええ、おじい様が公子の人柄を確かめてみると仰っているわ。おじい様の見極めが済んだら、公子にわたくしの事情を説明して協力を仰いでみましょう」
きっと、貴女の味方になってくれるわ、と祖母は優しく微笑んだ。
伊織が難しい顔をして考え込んでいると、妹の突撃を受けた。
琴音は護衛からカフェでの粗相を聞いて本気で頭を抱えたくなった。
「お兄様・・・、いついかなる時でも力加減を忘れてはいけませんわ。人族の道具も我らの全力には敵いませんのよ?
怪力だ、脳筋の野蛮人だ、と人族に恐れられたら、同盟の締結にも響くかもしれません」
「ああ、迂闊だったと思っている。お洒落なカフェだけあって、華奢なテーブルだったからな。無骨な定食屋だったらもっと頑丈なテーブルで壊れなかったと思うのだが・・・」
「いえ、定食屋でも壊れる可能性は高いです。むしろ、壊さない力加減を取得してくださいな」
「ああ、気をつける」
しゅんとうなだれて耳が垂れ下がっている幻影が見えた。
仔犬風情とはこういうのかしら? と琴音はクリスタから聞いた情報を頭に思い浮かべる。とりあえず、兄には早急に立ち直ってもらわねば、と慰めることにした。
「初デートは失敗してしまったけど、ドンマイですわ、お兄様。クリスタ様に簪を贈ったのでしょう。上出来ですわ、これを機会に装飾品のプレゼントを増やしていきましょう。
今日のお詫びとして何か贈ってもいいですし。
そうですわねえ、もっとお兄様の色をアピールするものを」
「琴音、気遣いはありがたいのだが、それよりも聞きたいことがある」
兄が真剣な顔になって、琴音はきょとんと首を傾げた。いつになく、シリアスな雰囲気である。
「どうしたの、お兄様。
はっ、もしや、クリスタ様にフラれそうになっているの⁉︎」
「・・・その発想はどこからでた? お前、何気にひどくないか?」
「だって、今日の失敗で失望されてしまったのでは?」
「クリスタ嬢はそんな狭量な女性ではない。私の温泉まんじゅうへの愛を理解してくれた心の広い方だぞ?」
「え、まさか、あれほど温泉まんじゅうに喩えるなと忠告したのに、やらかしたの?」
見事にシリアスな雰囲気がぶち壊されて琴音はドン引きしているが、伊織はドヤ顔だ。
「クリスタ嬢は好物に喩えているのだから、好意を告げられたと受け止めてくれたぞ?」
「まあ、なんて、度量の広い・・・というか、もしや、お兄様。ただの友人と思われているのでは?
恋人と思われていないから気にしていないのかも?」
「そ、そんなバカな・・・」
思いきりしかめ面になる妹に伊織は否定しかけてできなかった。確かにクリスタとは若干(?)の温度差を感じている。
伊織はすっかり婚約者と思っているが、クリスタはまだ候補を外していないのだ。
「温泉まんじゅうを目にして、クリスタ嬢の目と髪の色だと喜んでくれたのに・・・」
「本当に喜んでいたの? どちらかと言うと、物珍しかったのでは?
お兄様のセンスは微妙ですもの。もうやらかしたのは仕方ありませんから、次からは気をつけてください。お花や可愛い小動物に喩えるのもいいと思うわ。茶色の野うさぎとか愛らしいですわよ」
「そういうものか?」
伊織はうさぎも食材になるのにいいのか? と迷ったが、それを口にすると怒涛の反撃が来るのはこれまでの経験から予測できる。雅や長船姉妹の耳に入ったら、味方などいない。絶対に孤立無縁になるだろう。
うん、口をつぐんでいようと、賢明な判断を下した。
「それでお兄様が聞きたい事とはなんですの?」
琴音が首を傾げて、伊織は眉間に深いシワを寄せた。
「ああ、クリスタ嬢からご家族の話を何か聞いていないか? 特に、我らの血筋と思われる祖母君について」
「クリスタ様のおばあ様ですの? お兄様のお話は聞いたことがあるけど・・・」
「そうか」
「何か気になることがありまして?」
伊織は躊躇い気味に口を開いた。
「クリスタ嬢を送って祖父母の方に初対面の挨拶だけはしてきたのだ。正式な顔合わせは日を改めてとなった。
祖母君はお若い頃の怪我で左半身が麻痺していて車椅子を使っていた。祖母君から強い魔力を感じて戸惑ったのだ。最初は車椅子を操作しやすいように術がかかっているのかと思ったが、祖母君を覆っているように感じた。
まるで逆鱗のような圧縮された魔力で人族にしては強すぎた」
「まあ、逆鱗ですの?」
琴音も驚いて目をぱちくりとさせた。
竜形の身体は鱗で覆われているが、定期的に生え変わるものだ。ただ、顎下の急所部分に生える逆鱗だけは生え変わることはなく生涯で唯一だった。
逆鱗は生涯を終える最期に己の意思で取り外す。身内に形見として与えるもので、竜の生命力を帯びた魔力の塊だ。逆鱗は高エネルギーを有しており、扱いを間違えると大惨事につながる。竜人以外には手に余るアイテムだが、強欲な野心家はどこにでもいる。
逆鱗目当てに竜人族狩りなんぞ物騒な真似をされては困るから、他種族には知られないようにしていた。
クリスタの祖母が純血の竜人でない限り、逆鱗を手に入れているのはあり得ないのだ。
「ご両親のどちらかが竜人だったのならば形見としてもらったのでしょう。おかしなことではないと思うけど?」
妹が疑問を口にすると、兄の眉間のシワがさらにすごいことになった。
御影家は外交を司っている。国外で同族が何かやらかした場合に備えて、国外の竜人については動向を把握していた。それなのに、クリスタの祖母の身元は不明なのだ。御影家が把握していない国外の竜人となると、訳アリの出奔者や国外追放された罪人になる。
出奔者は非常に少数なので、クリスタの祖母は罪人の子供の可能性が高い。
琴音が厳しい顔になった。
「お兄様、親の罪を子に咎めるものではないわ。まさか、クリスタ様のおばあ様を罪人の子だと非難するおつもり?」
「そんなことするわけないだろう。クリスタ嬢の血筋が罪人だろうと出奔人だろうと私には関係ない。
ただ、クリスタ嬢の祖母君がもし罪人の子だった場合、我が家の立場が微妙なことになる。絶対に古老たちが大人しくしているわけがない。何かと難癖をつけてくるだろうからな」
「ああ、あの無駄にお元気なご老体方ね」
琴音は一族で引退生活を送っているはずなのに、やたらと声の大きいご老人たちを思い浮かべた。両親からは老害と切って捨てられ、ああなりたくはないものだと反面教師にされている面々だ。
琴音が奏の番だと公にされた途端に御影家に擦り寄ってきて、将来の皇太子妃の恩恵にあやかろうとした鬱陶しい親族で、両親がブチギレて過疎化の僻地に幽閉状態にした。たまに懲りずに脱走しては図々しくも御影家の権力を掠め取ろうとしている。
「老害を防ぐためには事情を把握していたほうがいいだろう。
祖母君から話してくれるのが一番よいのだが、話しづらいかもしれない。無理に聞きだしたくはないのだ。どうしたものかと悩んでいてな」
「確かに、うるさい方々がいますからねえ。関わりになりたくないのに、絡んでこられるし。困ったものだわ」
琴音も険しい顔になる。皇太子妃の兄嫁が罪人の血をひいていると判明したら、反対する輩が一ダースほど思い浮かぶのだ。
「お兄様、まだ推測の段階ですわ。クリスタ様ときちんとお話をしてから悩んでも遅くはないでしょう」
「ああ、そうだな。今度の顔合わせで尋ねてみよう」
伊織は妹の言葉にしっかりと頷いた。




