10 「大嫌いから前進している」
鏡で身なりをチェックした伊織が自室からでると、妹たちが待ち構えていた。
「お兄様、いよいよですわね。いいですか、お会いしたら必ずクリスタ様を褒めるのですよ?」
「ええ、『素敵だ』とか『可愛い』とかシンプルな褒め言葉で十分です。下手に褒めようとするとボロがでますから」
「若様はよくも悪くも女性の相手は慣れていませんから。無理をすると後が続かないですからねえ」
「確かに口を滑らせる可能性が大です。寡黙なできる男を目指したほうが無難ですよ」
琴音と雅の専属護衛で部下の長船姉妹にまで批評されている。長船家は御影家の配下で代々武門の家柄だ。
いや、見せ物ではないのだが、と伊織は反論したいが、できなかった。
妹たちから恋愛指南に渡された恋愛小説の感想が『現実にこんなキザな男はいないだろう、歯が浮くセリフに鳥肌がたつ』で盛大なブーイングを受けてしまったのだ。おかげで、妹たちから直接に恋愛指導を受ける羽目になってしまった。
「艷花の影響だわ、困ったものね。彼女はお兄様に近づく女性を牽制しまくっていたから」
琴音が不満そうにため息をついた。暗に経験不足と詰られている。
今日は待ちに待った番との初の交流日だ。
伊織はクリスタが番だと認識しているが、彼女の人違い疑惑を晴らすために番候補としてエスコラ男爵令嬢とも交流する時間を設けた。だが、本命はクリスタだ。
男爵令嬢にはその点をよおく説明しておいた。勘違いなど微塵も起こす気がないよう、じっくりはっきり念入りに、だ。
令嬢はこくこくこくと激しく首振り人形と化し、「絶対に何があっても思いあがることはございません!」と宣誓した。何故か涙目で神に誓っていた。クリスタとの仲を応援していると、人族の一般的なお付き合いに関して情報をくれたからありがたく拝聴した。
「いいですか、お兄様。絶対に好物の温泉まんじゅうに喩えるなんてダメですからね。よほどの食いしん坊でない限り、褒め言葉と受け取る女性はいませんよ」
「そうなのか? 温泉まんじゅうは美味いぞ。彼女の髪と瞳の色にそっくりなのに」
「若様、温泉まんじゅうは我が国の特産品です。人族では知られていないと思います。知らないものに喩えられても、意味不明ですよ」
「なるほど、そうか」
護衛騎士の姉、雫が重々しく告げると、伊織は納得した。妹の吹雪がこっそりと親指を立てて姉のファインプレーを讃える。
せっかく、着飾って見目麗しさを整えても、伊織の中身は相変わらず残念だった。恋愛結婚に憧れているクリスタを口説き落とすのは至難の業だろう。竜人族一行の女性陣は伊織の恋愛成就後押しで一致団結した。
まずは初交流を成功させるのだと本人以上に気合が入っている。
「若君、こちらを」
「ああ、ありがとう」
伊織は従者から渡された花束を受け取り、青の瞳を和ませた。オレンジのマリーゴールドを中心にした可愛らしいブーケだ。
妹たちは数日の交流で情報収集に努め、早くもクリスタの好みを把握していた。
王家に依頼した通りに妹たち留学生のお世話役にクリスタが指名された。昨年、お忍びで留学した伊織たちの友人だったオリヴェルとの縁が理由だが、本音では伊織と交流機会を増やすためだ。
だが、伊織は普段は護衛に徹していてクリスタとは必要最低限の会話しかしていない。妹には焦ったいと言われたが、護衛任務を放棄して言いよってもクリスタの信頼を得られないだろう。それに、伊織は害虫駆除で忙しいのだ。
琴音と雅の護衛任務は長船姉妹が専属だ。伊織は二人の上司で単独行動可能なので、クリスタの姿を見かけては陰口を叩く相手を取り締まっていた。
竜人族は人族より耳も目も優れている。
他者には聞こえないと油断している相手の背後に忍び寄り、「今の話を詳しく聞かせてもらおうか?」と殺気を抑えるが故の無表情で問いただすのだ。相手は土下座せんばかりの勢いで謝罪するか、令嬢に至っては恐怖のあまりに失神者続出である。
幸いにも、ホルソ公爵令嬢はクリスタの友人で味方だ。断罪劇のせいでクリスタを侮る慮外者がいるかもしれないとあらかじめ忠告してくれていた。あまりにも悪質な相手は公爵家が対処すると頼もしい言質を得ている。
令息たちのやらかしは禁断の実の後遺症だが、それを公にはしていない。第一王子も口にしているので、立太子に向けての醜聞回避のためだ。そのせいで令嬢側は聖女に婚約者をとられたと少なからず嘲笑の的になっていた。学園に残っているのはクリスタだけで、彼女に好奇の目が向けられるのは必然だった。
伊織がせっせと害虫駆除に勤しんでいる間に、妹たちがクリスタと仲良くなってくれた。
彼女たちの情報からクリスタの好きなドライフルーツ入りの焼き菓子も渡されて、伊織は女性陣に見送られる。
「お兄様、がんばって!」
「吉報をお待ちしていますわ」
「「若様、ご武運を!」」
どこに戦に行くと言うのか、いや、番を射止めるのは確かに戦いかもしれない。相手は番とは無縁な人族で警戒されているのだから。
妹の声援と部下から敬礼付きで見送られて、伊織は至極真面目な顔で頷いた。
「ようこそ、公子様。我が家にお招きできて光栄至極でございます」
クリスタの隣にはオリヴェルが陣取っていた。オリヴェルは新人教育で一月ほど王宮に泊まり込みのはずなのだが、両親に代わり妹の見合いに同席するためと称して帰省した。
イオリはひくりと頬をひきつらせた。まさか、オリヴェルも同席するとは思わなかったのだ。とりあえず、妹の教育通りに持参した花束を渡す。
「その、クリスタ嬢の好きな花だと聞いて持ってきた。気に入ってくれるとよいのだが」
「これはこれは、わざわざご丁寧にありがとうございます」
オリヴェルはクリスタにと差しされた花束を受けとり、そのまま流れるようにお付きの侍女に渡した。
「ちょうど、玄関ホールが寂しいと思っていたので助かります。気が利きますね」
「・・・玄関ホールに飾るのか」
「ええ、華やかな見送りができますね。どうぞ、お帰りはあちらです」
「いや、まだ来たばかりなのだが?」
「ははっ、やだなあ。冗談ですよ。お茶の一杯くらいはだします。一杯分くらいはごゆっくりとお過ごしください。一杯分くらいのお話には私も付き合いますので」
さっさと帰れ、という圧を感じる。イオリは内心でしょぼんとなった。
今日は休日で朝からお邪魔してクリスタと親交を深めるのだと楽しみにしていたのに。
「・・・オリヴェル殿、そう警戒しなくても節度はきちんと守るが?」
「いやはや、私を吹っ飛ばしてまで妹に迫った御仁に言われましても、ねえ?」
イオリはぐっと言葉に詰まった。内心ではぐっさりと五寸釘を打ちこまれたようなものだ。何気にダメージを受けている。
オリヴェルはしれっと涼しい顔だ。
「その節は誠に申し訳ないと」
「いえいえ、謝罪はもういただきましたので結構です。ただ、さすがにあんなことがあって、妹と二人きりにするつもりはありませんから」
「侍女や給仕の方がおられる。二人きりではない」
「彼らの立場では公子様には逆らえないですからね。やはり、身内の同席は必要でしょう」
「・・・信用されてないのだな」
「まさか! ミカゲ家の公子様が不埒な真似をするなんて思っても口にはだしませんが、用心に越したことはないので」
「・・・いや、思いきり口にだしているだろう? やはり、吹っ飛ばしたのを根に持っているのだな」
イオリはずずんと傍目にわかるくらいの落ち込みようだ。
クリスタは大人しくお茶を味わいながら、兄と求婚者の攻防を眺めていた。ここまでクリスタは一言も口を利いていない。
フルスティ家では番候補から外れるのが一番望ましいが、いい案が浮かばなかった。そこで、次善策として『番=運命の相手』を逆手にとることにした。イオリをクリスタの都合のよいように転がすのだ。
例えば、婚約期間を10年くらい設けるとか、婚姻しても通い婚でクリスタはフルスティ家に留まるとか。フルスティ家の跡取り問題を持ちだせば不審には思われないだろう。少なくとも10年ほどは竜人族国との接触を避ける方針だ。
祖母は成人直後に亡くなったことになっている。
今が一番祖母とクリスタが似ている時期だ。もっと年齢を経て顔立ちに変化が現れれば、祖母との関わりを否定しやすくなるだろう。人族の平均寿命より竜人族のほうが20年ほど長いので、竜人族の祖父母世代とクリスタが顔を合わせる機会は徹底的に潰すつもりだ。
(それかわたくしが現在の倍くらいに太るとかすれば、おばあ様の面影を払拭できるはず)
乙女心としては肥満体になるのはできれば避けたい。健康面でもよくないと思う。だが、背に腹はかえられぬというヤツだ。いざとなれば、究極の最終手段だった。
(わたくしからおばあ様の生存がバレたりしたら、おばあ様の元家族や親族から何か非難なり苦情なり、最悪の場合は報復があるかもしれないもの)
祖母は自分のせいで家族だった人たちを不幸にしてしまったと後悔している。養母や長男には恨まれているかもしれないと思っていた。だから、もしもの場合は自分を差し出せば済むと自己犠牲心を発揮しているが、フルスティ家では全員一致で却下だ。
オリヴェルが全力でイオリの心をバキバキのけちょんけちょんにへし折ってちょうきょ・・・、もとい、懐柔することにした。
友人付き合いしていたオリヴェルは彼の弱点なり攻め所なりを心得ている。
「元婚約者は剣術にしか興味のない相手で、クリスタに負担ばかりかけてましたからね。次のお相手は妹を大切にして尊重してくれる方が望ましいのですよ。
まさか、番だから受け入れられるのは当たり前だと思ってないでしょうね?
妹の気持ちを無視する相手は端から問題外だと、祖父から伝言を受けていますが」
「もちろんだ。人族が番を受け入れるのは時間がかかると言われている。番だからと無理強いをするつもりはない。
クリスタ嬢は恋愛結婚に憧れていると言っていた。彼女には私の誠意を見てもらいたいと思っている」
イオリがきりっと顔をひきしめた。
よし、言質を取ったと、オリヴェルの顔に黒い笑みが浮かぶ。正式に申し込みされたらフルスティ家では断れないが、できるだけこちらの意向を通すのは可能な下地ができた。
「さすが、公子様ですね。お話がわかる方で安心しました。領地の両親や祖父母によい知らせができます」
「その、オリヴェル殿。公子呼びなのだが、少し距離を感じるというか、硬いというか。
元々、私たちは友人なのだから、以前ジョンと呼んでいたように名前で呼んでもらえないだろうか?」
「お名前を? イオリ様とお呼びしても構わないのでしょうか?」
「いや、様はいらないから。それと、言葉遣いも敬語はなしで。学生時代みたいに接してもらえないか?
オリヴェル殿に畏まられると、ちょおっと怖いのだが・・・」
心なしか、イオリの顔色が青くなっている。
思わず、クリスタは兄にジト目を向けた。
兄よ、学生時代に一体何をやらかしたの? と小一時間ほど問い詰めたい。
オリヴェルは腕力に自信がないので報復手段は直接的なものではなく、間接的なものになる。
例えば、ある伯爵令息が浮気をしていると、彼の婚約者に絵姿付きで浮気相手の個人情報(氏名・住所・年齢・家族構成・交友関係など)や密会場所や日時など詳しい情報を流したりした。ちなみに伯爵令息は婿入りで壮絶な修羅場が繰り広げられたらしい。
または、さる侯爵令息の恋敵を応援して恋愛成就に尽力し、侯爵令息を失恋させた。傷心の侯爵令息に肉食のご令嬢をけしかけて狩りの対象にしたとか。令息はしばらく女性不審に陥り、侯爵家の後継問題にまで発展したと噂されている。
オリヴェルは相手に確実に心を抉る精神攻撃を仕掛けるのだ。
「オリヴェル殿だけは敵に回さないほうがいい、と留学生時代に悟ったよ」
イオリがぼそりとこぼすと、クリスタも遠くを見る目になる。
「ははっ、やだなあ〜。公子、いや、お言葉に甘えてイオリと呼ぶよ。学生時代の私はまだまだ未熟だったからお恥ずかしい限りだ。
今なら、もう少し上手くやれるよ。跡形も残さずに確実に証拠隠滅で報復可能だな」
オリヴェルは実に爽やかな笑顔で宣った。イオリがひくりと顔をひきつらせる。
「そのう、オリヴェル殿。クリスタ嬢に手土産があるのだが。お渡ししても構わないだろうか?」
「おやおや、義兄になる私との会話はつまらなかったのか? ひどいなあ、親族として親交を深めているだけなのに、嫌われてしまうなんて」
「嫌うなんてとんでもない。ただ、クリスタ嬢とはまだ挨拶もできていないし」
「あれ、そうだったかなあ?」
妹との接触を意図的に邪魔しまくったオリヴェルが首を傾げる。わざとらしさ全開である。
「クリスタ、どうする? お話ししてみるかい?」
「ええ、お兄様。お花のお礼もまだでしたし。
公子様、わたくしの好きなお花ですわ、ありがとうございます」
「喜んでもらえてよかった。素朴で可愛らしいマリーゴールドは貴女のようで好ましい、と思う。こちらを貴女に、と琴音から預かってきた」
イオリはそっと焼き菓子の包みを差しだしてきた。クリスタの好きな菓子店のものだ。
「まあ、ありがとうございます。このお店のものは人気で予約必須商品なのです」
クリスタが頬を綻ばせると、イオリもほっと笑顔になった。
「クリスタ嬢、一つお願いがあるのだがよろしいだろうか?」
「なんでしょうか?」
「そのう、出来れば、私のことを名前で呼んでもらいたいのだ。オリヴェル殿も呼んでくれたのだし、貴女にも公子ではなく、伊織と」
「出来ればだから出来なくても構わないだろう、イオリ? まだ、妹とは数回顔を合わせた程度の『知人』の仲なのだから」
会話をぶった斬って邪魔するのはとてもいい笑顔のオリヴェルだ。
「オリヴェル殿、私は婚約者候補にもなっていないのだろうか?」
「祖父が戻るまで妹の婚約は保留状態なので、勝手に距離を詰めないでいただきたい」
「外堀を埋めるつもりはない。ただ、クリスタ嬢は琴音や雅様とも名前呼びで親しくしているし、長船姉妹ともなのに、私だけ『公子様』呼びなのだぞ? 他人行儀すぎないか?」
「もともと他人だろう、『大嫌い』な相手から『知人』に昇格しただけでも十分な快挙だと思うけど?」
「そ、そんな・・・」
ガーンと脳天直撃を受けたイオリはうなだれてしまった。耳をぺたりと伏せた子犬がしょぼくれている幻影が見える。
あら、とクリスタは目をぱちくりさせた。
『大嫌い』発言が効いているようだが、あれは売り言葉に買い言葉的なものだった。
そんなに深刻に受け止められるとは・・・。
まあ、動揺のあまり自害未遂騒動とか起こしていたし、精神的に大ダメージだったと想像がつくが。
「あの時は・・・、そのう、わたくしも動揺していたと言いますか。『大嫌い』は言いすぎたと思います」
「では、『大嫌い』ではないのだな?」
ばっと顔をあげたイオリは期待に満ちた目をしている。とりあえず、クリスタが頷くと、子犬がぶんぶんと尻尾を振り回した。
「よかった。大嫌いから前進している」
イオリはぐっと握り拳で感動に打ち震えている。
え、大袈裟すぎない? と兄妹は顔を見合わせた。
大嫌いでないだけで、別に好意を伝えたわけでもないのに、ここまで感無量とか。どれだけ、ポジティブなのか。いや、番から嫌われたせいか。番とは相手の生殺与奪権まで握っているのだろうか? なんだか怖いのだけれど・・・。
「まあ、よく知らない相手だからね。大嫌いも何もない、つまり、まだ何も始まってもない」
「そうですわね」
兄妹は仲良く頷きあい、イオリは浮上した気分が再下降だ。
「その、伊織とは呼んでもらえないのだろうか?」
くうんと悲しげな鳴き声が聞こえた気がする。
「それでは、兄もお名前を呼んでいますし。イオリ様と呼ばせていただきます」
クリスタが苦笑と共に告げると、子犬が再び尻尾を振り回すのが見えた、と思う。多分、オリヴェルも苦笑していたから、兄も同じ気配を感じたはずだ。決して、絆されるつもりはないのだが・・・。
イオリはクリスタを番と確信しているのに、正式な婚約申し込みで縛り付けるつもりはないのだ。クリスタの気持ちが落ちつくまで歩み寄ろうとしている。元婚約者よりは誠実な付き合いだ。
マルコは騎士の家系で自身も騎士を目指しているだけあって鍛錬大好き人間だった。婚約者の交流も鍛錬優先ですっぽかされたことがある。オリヴェルが実によい笑顔でクレモラ家を訪問してからはキャンセルの連絡ぐらいは入れるようになったが、ドタキャンが何度も続くのも考えものであった。
元婚約者のいい加減さに比べると、イオリの誠実さは好ましいものだった。
温泉まんじゅう、美味しいですよね。伊織の好物は茶色の温泉まんじゅうです。




