第30話 私の名前は――。
それは数日前のこと。
一人の乙女が突如姿を消した日のことだ。
場所はロザリン=ベルンフェルトの居城。玉座のある謁見の間。
しかし、その玉座に今、女帝たるロザリンは座っていない。
謁見の間の床に、巨大な魔法陣を描いていた。
古文書を片手に黙々と作業をしている。
時折間違えたのか、消して再び描き直すのを繰り返していた。
「…………」
ロザリンはずっと無言だ。
真剣な顔で古文書を見やり、魔法陣の構築に没頭している。
謁見の間は、カリカリというチョークの音だけが響いていた。
そして、その場には他にも二人ほど人影があった。
一人はメイド服の女性。
年齢は十八歳ほどか。銀髪と銀色の瞳を持つ美女である。
美貌ゆえに無表情が際立自動人形――ルルエライト=オリジンドールだ。
彼女は静かに作業をこなすロザリンを見つめていた。
こういった作業は、本来ならばルルエライトが行うのだが、魔法陣の構造的にロザリン自らが行う必要があったため、今は沈黙して待機していた。
もう一人は黒い全身鎧の騎士だ。
赤い長剣を手に女性的なスタイルが分かる騎士――アニエスだ。
彼女もまたルルエライトと共に、ロザリンの作業を見守っていた。
アニエスが戦闘でもないのに、罪架の鎧を纏っているのには理由がある。
これから行う儀式のためだった。
なにせ、彼女はアニエスと顔見知りなのだ。
アニエスは正体を隠すために鎧を身に着けているのである。
と、そうこうしている内に、
「……よし」
パタン、と分厚い古文書をロザリンが閉ざした。
どうやら魔法陣の構築が終わったようだ。屈みながらの作業だったのでロザリンは腰に手を当てて「う~む」と背伸びをした。
『陛下』アニエスは問う。『終わったの?』
アニエスの方に振り向いて、ロザリンは「うむ」と頷いた。
それからアニエスたちの元へと近づき、辞書のような古文書と、チョークをルルエライトに手渡した。
「理論的にはこれで完璧じゃ。妾の魂とのリンクも施した」
ロザリンはアニエスたちに背を向けて、巨大かつ精緻な魔法陣に目をやった。
「もう少し時間を掛ければ簡略化した式にも出来ようが、今はこれで充分じゃな」
『……これで』
兜の下でアニエスは双眸を細めた。
『本当に彼女を呼び寄せることが出来るの?』
「術式の基礎はそちの罪架の鎧と同じモノじゃ」
背を向けたまま、ロザリンは語る。
「そちが空間転移できるようにこの魔法陣を使えば、妾の魂を分霊したカリンをこの場に召喚できるはずなのじゃ」
それよりも、と続けて、
「そちは正体を隠すことに徹しよ。カリンはリタ=ブルックスの友人じゃ。見抜かれてはそちにとっても困ったことになるのであろう」
『分かっているわ』アニエスは頷いた。
『喋ることも最小限に控えるつもりよ。カーラスさんへの状況説明や応対は陛下に任せてもいいわよね?』
「それぐらいは引き受けてやろう。妾にはカリンに対する責任もある」
ロザリンは苦笑を零しつつ、アニエスを一瞥して承諾した。
そうして、
「では、アニエス。ルルエライト。少し下がっておれ」
配下たちにそう命じた。アニエスは頷き、ルルエライトも「承知いたしました」と淡々とした声で応じる。二人はロザリンから少し距離を取った。
ロザリンはパンと手を叩いて、
「さて。では始めようか」
そう呟いて、両手を魔法陣へと向けた。
「我が魂の元に来たれ。我が眷属よ」
厳かにそう唱えた。すると魔法陣が輝き始める。屋内でありながら、どこからともなく風が吹き、魔法陣の上で強く渦巻いた。
そして、
――ヒュン、と。
唐突に、彼女は魔法陣の上に現れた。
「………え?」
さほど高くはないが、いきなり空中に放り出された彼女は目を瞬かせて腰から魔法陣の上に落ちた。
「え? ええ?」
後ろに手をつき、両膝を曲げて座る彼女は完全に困惑していた。
ただ、それはロザリンやアニエスの方もだった。
「…………は?」
ロザリンが唖然とした声を零した。
「いや。待て待て。そちは誰なのじゃ?」
思わずそう尋ねる。
そこにいたのはカリン=カーラスではなかった。
年齢は二十代半ばほどか。軽くウェーブのかかった深緑色の短い髪を持つ女性だ。
白い神官衣を纏う抜群なスタイルを持つ美女である。しかし、小柄なカリンとは違って長身であり、明らかに別人だった。
『……陛下?』アニエスがロザリンに問う。『もしかして失敗したの?』
「いや。そんなはずはない」
ロザリンがアニエスを一瞥して言う。
「確かに手ごたえはあった。カリンの魂を掴んだ。妾は間違いなく成功したはずじゃ」
そう呟きつつ、ロザリンは未だ腰を落としたままの女性に近づいた。
彼女を静かな眼差しで見やり、ロザリンは問う。
「そちは何者じゃ? そちの名は何じゃ?」
「わ、私の名前?」
困惑しながらも――困惑していたからこそ彼女は素直に答えた。
「セリア。セリア=フラメッセ。私は……」
「……うゥむ。やはり別人なのか?」
ロザリンは片手を腰に当てて渋面を浮かべた。
「妾としたことが失敗なのか。やはり古代の叡智は容易くはないな」
ともあれじゃ、と言って、
「どうやらそちは巻き込まれただけのようじゃな。すまぬことをした。そちがもと居た場所を教えたもれ。すぐに妾が送り届けよう」
ロザリンは女性――転移させられたセリアに手を差し伸べた。
セリアは未だ困惑していたが、危険はないと感じてかロザリンの手を取った。
その時だった。
「―――ッ!?」
セリアの目が見開かれる。全身に電流が奔ったような衝撃を受けたのだ。さらには怒涛のごとき記憶の奔流が脳裏に流れ込んでくる。
「~~~~ッッ!?」
ロザリンの手を離して、セリアは大きく仰け反った。
ロザリンは「は?」と目を瞬かせ、アニエスも「え?」と動揺した。
一方、ルルエライトだけが冷静な声で、
「盟主。ご提案します」
主人であるロザリンにこんな提案を告げる。
「彼女の全身の細胞が活性化しています。少し離れた方がよろしいかと」
「は? む、むむ。いったい何なのじゃ?」
ロザリンは困惑した表情を見せつつも、数歩ほどセリアから離れた。
――と、
「う、うああああっ!?」
セリアが四つん這いになって呻き始めた。全身に汗をかき始め、唾液を床に零す。目は見開き、苦悶の表情を浮かべていた。
『――陛下!』
アニエスが剣を強く握って主君を問い質す。
『まさか彼女に何かしたの!?』
「い、いや、本当に妾は何もしとらんぞ?」
アニエスの方に振り向いて、ふるふると頭を振った。
珍しくロザリンも動揺したままだった。
なにせ、ロザリンにしても全く状況が分からないのだ。
そうこうしている内に、
「うあああああああああああああああああああっ――!?」
セリアは膝をついたまま上半身を起こして、自身の喉元を両手で押さえた。
当然ながら全員がセリアに注目する。と、驚くべきことが起きた。
セリアの短い髪がぞわぞわと腰あたりまで伸びたのだ。しかも、それとは逆に彼女の体が徐々に縮んでいくではないか。
「……な、に?」『え……』
ロザリンとアニエスが驚愕する中、ルルエライトが淡々と告げる。
「全身の発熱が安定。体温は徐々に低下しています。異常は収まったようです」
その言葉通りに、セリアの変化は終了したようだ。
「……はあ、はあ、はあ」
喉を両手で押さえたまま、荒い息を繰り返すセリア。思わず仰向けになって天井を見上げた。小柄になってなお大きな双丘が、呼吸と共に上下に動く。
今の彼女の脳裏には様々な記憶が蘇っていた。
豪快で気丈だけど、実は乙女な幼馴染の鬼人族の少女。
意外と紳士で頼りになるパーティーメンバーの貴族の少年。
魔法学校で出会った、眩しいほどにリーダーシップに溢れた親友。
そして、そんな彼女の――。
『もう大丈夫だ』
あの日、彼は大きな手で幼い彼女の頭を撫でてくれた。
あの時の温もりと安堵感は、いつも心の中に支えとしてあった。
何年も、何年もだ。
だからこそ、再会した彼に強く惹かれたのだ。
あの日から密かに抱き続けていた、この想いがあったからこそ。
(――嗚呼、おじさま……)
セリアは――いや、今やセリアでもある彼女は目を細めた。
きゅっと唇を噛みしめる。
彼女はゆっくりと立ち上がると、ロザリンたちの方へと顔を向けた。
ロザリンも、アニエスも目を見開いた。
そして、
「……リンちゃん、だよね?」
そう尋ねた。ロザリンは目を丸くした。
「……そちは、そちは何者じゃ? そちの名は何なのじゃ?」
ロザリンは改めて彼女の名を尋ねた。
二十代の女性から、十代の少女へと姿を変えた彼女に対して。
「うん。そだね。ちょっとややこしいよね」
すると、彼女は困ったように微笑んで、
「私はカリンだよ。カリン=カーラス。それがずっと忘れてた私の本当の名前」
髪と瞳の色以外は、まさしくカリン=カーラスの姿で、セリア=フラメッセはそう名乗るのであった。
第6部〈了〉
読者のみなさま!
本作を第6部まで読んでいただき、誠にありがとうございます!
しばらくは更新が止まりますが、第7部以降も基本的に別作品との執筆のローテーションを組んで続けたいと考えております。
少しでも面白いな、続きを読んでみたいなと思って下さった方々!
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作者は大喜びします! 大いに執筆の励みになります!
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今後とも本作にお付き合いしていただけるよう頑張っていきますので、これからも何卒よろしくお願いいたします!m(__)m
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改めて、本作を何卒よろしくお願いいたします!m(__)m




