助けて
お風呂に入ってさっぱりしたフィオナは、濡れた髪をタオルで拭きながら、さほど広くもないが狭くもない部屋をと戻った。
髪を乾かそうと魔法を使おうとして、発動しない魔力に首輪を思い出す。
魔法が使えないというのは、何かと不便だな。
「とにかくなんか食べとこう」
濡れた髪を丁寧にタオルで拭いてから、ターリアが言っていた棚を開ける。
飲み物と保存のきく焼き菓子や果物が入っていた。
今更毒が入っているとも思えず、それらを取り出してテーブルに並べ、少しずつ口に入れていく。
この所あまり食べていなかったので、少しでも食べておかないと思う。
なにせ今は体力回復ポーションを持っていないのだ。
ゆっくり噛んで、飲み物で胃に流し込む。
果物一つとクッキー二枚ほどしか食べていないのにお腹がいっぱいになってしまった。
「ああ、シキのご飯が食べたい……」
シキを思い出してテーブルに突っ伏す。
そういえば……!
ぱっと首に手を這わせ、サーッと血の気が引いていく。
笛がない!
もしかして首輪に絡まってたり?
両手で首をまさぐるが、やはり笛は無かった。
「うそ……」
シキにお守りだと渡されたのに。
いつから無かった?
ヒュラン王子に攫われる前は付けてたはず。
首輪を付けられた時にヒュラン王子に外されたのか。
それしか考えられない。
「あの馬鹿王子っ!」
何から何まで腹が立つ。
首輪が取れたら、絶対ボコボコにしてやる!
もう国際問題とか知らない。
絶対に許さない。
握りしめた拳で思い切りテーブルを叩いてみるが、手が痛くなっただけだった。
そうだヒュラン王子に腹を立てている場合ではないのだ。いや、腹立たしいんだけど一先ずそれは置いておこう。
考えなくてはいけないのは別の事だ。
まずターリアを信用して良いのか。
それから、このままここでじっとしていて良いのか。
今までターリアの行動と会話の内容を思い出して、頭の中でぐるぐる考えるが、どうにもこうにも分からない。
リヒト達に無事だと伝えてくれると言っていたが、それだって本当かどうか分からないのだ。
次にターリアがいつ来るのかも分からなければ、いつまでここでじっとしていていればいいのかも分からない。
彼女が嘘を全くついていないとして、ルティアナが来るまでここで待つとしても、それが一体何日後になるのか。
それまでただここでじっとしているなんて事が出来るはずもない。
「よし!」
一人声を上げて立ち上がると、部屋をうろついて、あちこち家探しをする。
戸棚と引き出しを片っ端から開けて、中を見て回った。
「あった!」
小さな引き出しの一番上に目的の物はあった。
筆記用具である。
黒いインク式のペンと、一緒に引き出しに入っていた小さなメモ用紙を数枚取り出した。
インクが出るか紙に書いてみる。
大丈夫だ。
一枚だけメモ用紙を握り、残りをポケットに突っ込んで、ペンを握りしめると入り口の扉に耳を当てる。
向こう側からはなんの音も聞こえて来ない。
腕にはめている時計を見る。
これまで外されてなくて良かった。
こんな地下では時間の感覚がさっぱり分からなくなってしまう。
「取り敢えず三十分だけ」
そっと扉を開くと、誰もいない事を確認して薄暗い通路へと足を踏み出した。三十分くらいなら、頭痛や目眩が酷くなったとしても、耐えられるだろう。
まずは……。
「左」
少し迷ってから、紙に地図を書きながら、左に進む。進みながらも、時折壁に自分しか分からないくらい小さくペンで印を付けていった。
これで万が一迷っても、印を辿って部屋に戻ればいい。
十五分進んだら一旦引き返そう。
進んで行くと、早速分かれ道だ。
とにかく左、左に曲がって行って見る事にする。
あまり足音を立てないように、そっと歩いて。
それにしても……。
いくら隠し通路とはいえ、複雑過ぎでは無いだろうか?
まだ五分も歩いていないのに、すでに道は何度も分かれ交差している。
メモ用紙に書かれていく地図がすでに混沌と化してきている。
迷いそうだと思ったらすぐに引き返そう。
じわじわと広がっていく不安に押されないように、自分の胸を軽く拳で叩き、足を進めた。
しばらく続く一本道を歩いて行くと、どうやらこの先は行き止まりのようで、通路の先には壁が見える。
行き止まりだと思った。
壁に近づくまでは。
「っ!」
近づいて、その行き止まりだと思った場所に、更に地下に降りる階段があるのに気づく。
そして、その階段の先は真っ暗だ。
ターリアはあの部屋に来るまでに、途中階段を登ったり降りたりしたのだろうか?
途中ターリアの背中で眠ってしまった事を酷く後悔した。
地下通路が何階層にもなっているとは思ってもいなかった。
勝手にここは地下の一階でそこから出るには、きっとどこかの階段を登るのだろうと思っていたのだ。
だから、更に地下に降りる階段を見て正直ショックだった。
もし眠って運ばれている間に、ターリアが更に地下に降りたり登ったりしていたのであるなら、自力で脱出はまず不可能だ。
単純に上に登る階段を探せばいいのかもしれないが、もしかしたら一旦降りてからでないと出口に通じる階段がないとしたら……。
「戻ろう」
下に降りる階段が気になったが、今は魔法が使えない。
灯りもない状態で真っ暗な地下へと降りていく勇気は無かった。
軽い絶望に支配されつつ、それでも決して迷わないよう注意しながら部屋まで戻った。
無事に戻ってこれたフィオナは、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。
「疲れた……」
腕時計を見ると、部屋を出てから三十分と少ししか経っていない。
情けない。
魔法が使えないというのはこんなにも人を弱くさせるのか。
弱気になった途端頭痛が酷くなって、そのまま眠ってしまった。
「……て。起きて」
身体を揺すられて覚醒する。
……シキ。
手を伸ばそうとして、再び掛けられる声にはっとする。
「起きて」
目を開けて声の主を追うと、そこにはターリアが立っていた。
寝てしまったのか。
書きかけの地図!もしかして出しっぱなしだったかも!
がばっと勢い良く飛び起きて、テーブルの上に目を向けるとそこにはペンが転がっているだけだ。
ほっとして視線をターリアに戻すと、彼女はじっとこちらを見ていた。
「何?」
無言のままじっと見られて居心地が悪い。
「別に……」
別にといいつつ、視線はこちらを捉えたままだ。ターリアはカツンカツンと足音を立てて、こちらに近づいてくると、手を伸ばしてくる。
「え、な、何!?」
急に顔に手が伸びて来て、身を強張らせると、その指は今は結んでいない長いプラチナブロンドの髪に触れてくる。
「また私の髪を切る取るつもり?」
キッと睨むと、ターリアはびくっと手を引っ込めた。
「違う。ゴミが付いていただけ」
ほんの少し焦ったような声が帰ってきた。
「ターリア、リヒト副隊長達に私の事伝えてくれた?」
「ああ、伝えた」
本当だろうか?
だがそれを言っても真実が分からない以上どうしようもない。
「リヒト副隊長達はどうしてた?ルティはまだ流石に来てないのよね?」
そういえばどのくらい寝ていたのだろう。
腕時計の針は二時を指している。
三十分の探索をした時は時計は十一時を指していた。
あれから数時間寝ただけだとは思うが。
ターリアが答える前に続けざまに尋ねた。
「ねえ、ところで今は昼?夜?ヒュラン王子に連れて行かれてからどのくらい経っている?」
「今は夜中の二時。ヒュラン王子に連れて行かれたのが一昨日の昼前」
「そう。なんだか眠らされたり、地下に連れて来られたりで時間の感覚が良く分からないわ。今は夜中の二時なのよね?なんでこんな夜更けに来たの?」
「ここから連れ出すため」
「もしかしてルティが来たの!?」
「違う。ルティアナはまだ来ていない。でも移動する必要がある。さ、早く来て」
ターリアがカツカツと扉の方へと歩いていく。
あれ?
今なんて言った?
ルティアナ?
ベッドに腰掛けたままじっとターリアを見る。
「どうしたの?さあ、早く」
なんだろう?
何かが変だ。
さっきからずっと感じている。
強いて言うなら違和感。
大して知りもしないターリアだが、今までの彼女と何かが違う。
顔も声も無表情な所も、簡潔な物言いも、ターリア本人だとしか思えないのに、何かが気持ち悪い。
それにさっきルティアナと呼び捨てにした。
前はルティアナ様と言ったのに。
たまたまなのかもしれないが、気になって仕方ない。
「ねえ、ターリア。さっき頼んだ物は持ってきてくれた?」
ターリアは少し黙り込んで口を開いた。
「頼まれていたもの?なんだったかしら?」
やっぱり気のせいか?
「それより急いで」
一度扉に向かったターリアが、再びこちらに向かって歩いてくる。
カツンカツンと足音が石造りの部屋に響いた。
ああ、そうか。
分かった。
違和感の正体。
「あなたは誰?」
真っ直ぐ目の前の女を見て言い放つ。
ピタリと足が止まった。
「私はターリア」
「違うでしょう?もしアナタが本当にターリアという名前だとしたら、私をここに運んだ人がターリアではないと言う事ね」
じっとこちらを見つめ返していた、メイド服の女の口元がゆっくりと持ち上がる。
やはり別人。
自分が知っているターリアはこんな風に笑ったりしない。
「なんでわかったの?」
急に声が変わった。
淡々とした高くもなく低くもない声が、明らかに若い女性と分かる高めの声になり、口調もがらりと変化する。
「足音。ターリアはいつだってそんな風に大きく音を立てて歩かなかった」
「あははははっ!足音!?まさかそんな事でバレるなんてねえ!びっくり!」
「それにあなたはルティの事を呼び捨てにしたわ。ターリアはルティアナ様と呼んでいた」
そう言った途端、ターリアの身体が黒い風に覆われ、それがおさまると黒いフードを目深にかぶった小柄な人物が立っていた。
「ルティアナに様なんか死んでもつけるかよお!」
そう憎々し気に叫んだ声は、ぐっと低く震えていた。
ルティアナに恨みを持っている人間なんだろうか。
だとしたら……、危険。
「あなたは誰?」
「私?さあ?誰かしら?でもあなたの事を私は知っているわよ?フィオナ・マーメル、十八歳。今年カプラス王国の王宮魔導士に主席で合格。その後ルティアナが所長を務める魔植物で勤務。特殊な効力を持つポーションを作っているそうね」
「よくご存知で」
「あなたの事色々調べたの。ルティアナには随分可愛がられているんですってね?」
「部下ですから」
「部下でも恋人でも家族でもなんでもいいの。ルティアナが思いを寄せている人間なら。嬉しいわ。やっと手に入れた。ルティアナの弱点」
「手に入れた?私はあなたのものにはならないわ。ふざけないで。ヒュラン王子といい、あなたといいなんなの?」
「ヒュランねえ。あの王子は本当に馬鹿で扱いやすかったわ。その上無駄に権力も金もある。本当に使いやすい駒だった」
使いやすい駒だった?
もしかして……。
「もしかして、あなたが私に変な呪いを掛けた術者?」
「変な呪いとは失礼ね。でも正解。私は呪術士イノス。その首輪も私が作ってヒュランに渡したのよ。気に入ってくれているみたいで良かったわ」
やっぱりこいつが。
それなら。
ベッドから一気にイノスという呪術士に飛びかかる。向こうはこっちが魔法が使えないからとあなどっているはずだ。
飛びかかって、押し倒そうと腕を掴んで、背中に手を掛けようとすると、イノスが瞬時に魔法を練って何かを発動させた。
バチッという音と共に身体に痛みと痺れが走り、手を離してしまう。
「くうっ!」
雷撃の魔法だ。
「私は呪術士だから魔法は使えないとでも思った?普通に魔法だけでも全力のあなたに軽く勝てるくらい私は強いわよ」
にいっと笑うイノスをうずくまりながら睨みつける。
「あなたが私に?そこまで言うのなら勝負しましょうよ。あなたが作ったのならこの首輪外せるんでしょ?まさかそこまで言っておいて怖くて外せない?」
わざと見下すような口調で精一杯挑発してみせる。
挑発に乗って外してくれたならこっちのものだ。
「馬鹿ね。そんなつまらない挑発には乗らないわ。あなたなんてこれっぽっちも怖くないけど、ここで騒がれると面倒よ。それにあなたは大事な駒だしね」
さっきの言い方といい、今の発言といい、イノスはルティアナに並々ならぬ感情を持っているようだ。
「ふん、私を餌にしないとルティに相手にもしてもらえないんだ。とんだ小物ね。小物だから首輪のひとつも外せないのかあ」
これでどうだ。
せいぜい馬鹿にしているように見えるよう、意地悪そうに口を持ち上げてみる。
「……さい」
イノスが何かを呟いた。
フードを目深に被っているので表情はまるで分からない。
挑発が効いたのかな?
「……さい。うる、さい。うるさい、うるさい!」
イノスが急にぶるぶると震え出して、癇癪をおこしたように叫ぶ。
「うるさい!」
ひときわ大きく怒鳴ると、魔力を練ってフィオナにさっきの何杯もの強さもの雷撃を叩き込んできた。
バチッ!という音と共にあまりの痛みと衝撃に悲鳴すら上げれず床に倒れ込む。
カツンカツンと大きな足音を響かせてイノスが近づいてきた。
ガン!と背中に衝撃がくる。
イノスが足で思い切り背中を蹴りつけてきた。
「わ、わたし、わたしが、ルティアナに相手にされない、ですって!?私は強くなった!もうルティアナに負けたりしない!私の方が、私が今度はルティアナを、徹底的に、こんな風に!」
ガンっとまた蹴りがくる。
まずい、何かイノスの地雷を踏んだ。
バリィッ!と再び雷撃が身体に走る。
「っは!かはっ!」
身体中痛くて声も出ない。
かろうじて漏れたのは吐き出すような息。
「ルティアナを!今度こそ!完膚なきまでにっ!」
狂ったように叫びながら、蹴りと雷撃を食らわせ続けられて、痛みで身体が麻痺してきた。
地面に這いつくばりながら、必死に手を伸ばすと、その手すら思い切り踏みつぶされた。
まずい、もう、意識が……。
目の前が白く霞んでいく。
このまま、殺されちゃうのかな。
いやだ。
頭の中にシキの顔が浮かぶ。
シキ……。
シキ……。
助けて。