苛立ち
今回はシキ視点です。
フィオナがコロラ王国に向かってから約十日。
シキは研究棟の横にある芝生の上で、雷獣のシルフを背もたれにしつつ、キノを抱っこしてなんとか精神状態を保っていた。
シルフに体重を預け、天井を見上げると、木々の間からガラスの天井越しに真っ青な空が見える。
朝からいい天気だ。
「あと一週間くらいで帰ってくるかな……」
早く帰ってくると言っていた。
知らずキノを抱きしめる腕がきつくなっていて、双葉の間から伸びた蔓がそっと頭を撫でてくれる。
キノなりに慰めてくれているのだろう。
フィオナが行ってしまってから、予想はしていたが不眠症が戻ってきてしまい、ろくに眠れていない。眠れないまま、管理棟にいるとどうしてもフィオナの気配を探してしまっていてどうしようもなくなるので、夜はずっと研究棟で仕事をしていた。
注文も来た側から終わってしまうし、ポーションも作りすぎなくらい在庫がある。フィオナが帰って来た時の為の避妊薬も大量に作って鍵を掛けてしまってある。
今日は園内でも歩き回ってアケビでも採ろうか。
うん、悪くない考えだ。
そうしよう。
そう言えば、しばらく何も食べていなかったな。
少しは何か食べるか……。
空腹は多少感じるのに、何かを口に入れたいという欲求がまるで湧かない。
フィオナといると、何を食べても美味しく感じるのに。
また気持ちがドン底へと落ちていきそうな予感に、慌てて首を振ると、気が変わらないうちにと、研究棟の中へと入っていった。
キッチンに行こうとして、ふと二階に上がる階段に目を向ける。
このところルティアナが研究室からほとんど出てこない。
時折声を掛けてみるが、面倒そうに生返事が帰ってくるだけだ。何にそんなに夢中になっているのだろう。二人で進めていたあの研究はもうほぼ完了していて、毎日魔力を流すだけになっているだけだし。
邪険にされるのが分かっていながらも、なんとなく階段を上がって扉をノックしてみる。
「ルティ。ご飯作るけど何か食べる?」
どうせなら食事を一緒にしてくれないかなと、淡い期待を抱きつつ声を掛ける。
「あああああああー!カレー!カレーが食べたい!」
ルティアナの叫び声が返ってきた。
随分興奮している。何をしているのか研究が上手く行っているのだろう。
「オーケイ。カレーを作るよ」
朝からカレー?と思ったが、誰かの為に作るとなると、途端にやる気が出てくる。
カレーという単語を聞いた途端酷く腹が減ってきた。フィオナの事ばかり考えてしまうので、米料理は作らないようにしていたが、今は無性に米が食べたい。
フィオナがいなし、ここはすごく辛いカレーを作ってみようかな。
少し気分も良くなって、とびきり辛いカレーを作ると、ルティアナに声を掛ける。
二階からピンクのツインテールの少女が飛び出してきた。
「カレー!カレー!カレーの匂いだ!あー、カレー食べたかった!」
「そんなに食べたかったのなら、言ってくれれば作ったのに」
くすりと笑いつつルティアナの前にカレーの皿を置くと、彼女は目を輝かせてスプーンですくって口に入れた。
「んんんん!ん!?辛い!これは辛いっ!だがうまい!」
カレーにがっつくルティアナに苦笑し、自分もカレーを食べる。
やはり食事は誰かと一緒が美味しい。
「ルティ、ずっと研究室にこもりっきりだけど、何をそんなに熱心にやっているの?」
「ああ、レイヴンの勅命書のやつだよ」
「何を頼まれたの?」
「呪術の解除法」
「ジュジュツの解除法?なにそれ」
「レイヴンがそう言ってきた訳じゃないんだけどね。おそらく原因は呪術だよ」
「ごめんルティ。話が全然見えない」
ぱくりと口にスプーンを加えたまま、ルティアナが首を傾げる。
「あれ?シキに言ってなかった?あ、とりあえずおかわり」
話の続きが気になって仕方ないが、立ち上がってカレーのおかわりをよそいに行く。
カレーを持ってこないと絶対に話さないだろうから。
ルティアナの前にカレーを置いて、座ろうとすると、研究棟の扉をノックする音が聞こえた。
その音にぎょっとする。
ここは魔植物園内にある研究棟だ。
そう簡単に入って来れない。
唯一思い当たるアキレオも、いつもなら来る時は通信機で声を掛けてから来るはずだ。
一体誰が……?それもこんな早朝に。
やはりアキレオか?通信機が壊れていたとか。
「シキ、誰か来たよ?早く出な」
あきらかにこちらが不審そうな顔をしているのにも関わらず、ルティアナはなんでもなさそうにカレーを頬張りながらそう言う。
「え、ああ……」
念の為いつでも攻撃できるよう警戒しつつ、研究棟の扉の前まで行く。
「誰?」
素っ気なく向こう側にいる誰かに尋ねる。
「僕だよ。開けて」
ああ。
そうだ。こいつならここに来れるな。
忘れてた。
扉を開けると、外で待っていた人物がにこっと笑った。
「いい匂いだね。朝食まだなんだ。僕にも食べさせて」
「シオン……。何の用?」
「それは食べながら話すよ。とにかく入るよ」
現在、南騎士団副団長という肩書を持つこの男。
シオン・カルナ。
王宮の中で嫌いな人間ランキング五位以内に入る男だ。
ズカズカと勝手知ったる様に作業場のソファに向かって歩いていく。
「ルティ、何食べてるの?すごくいい匂いだね、それ」
にこにことルティアナの横に陣取ると、彼女の食べている皿をのぞき込む。
「珍しい奴が来たね。これは私のだよ」
ぐいっと自分の方に皿を寄せて、残りのカレーを一気にかき込む。
「シキ、おかわり!あと冷たいレモン水も!」
「あ、僕もね」
ここは食堂じゃないとばかりにじろりとシオンに冷たい視線を送ったが、にっこり微笑まれた。
「シオンが来ると、シキが面白くていいな。お前たまにここに来いよ」
「いやあ、これでもなにぶん忙しい身で」
「ふうん。パティが大量の避妊薬買って行っているけどねえ。程々にしてやれよ?あんまりしつこいと逃げられるぞ」
「大丈夫ですよ。相思相愛なので。それよりパティに避妊薬売るのやめて貰えません?」
「そんなの知るか。そっちで話し合えよ」
キッチンまで聞こえてくる会話に、ちっと舌打ちする。
よし、パティには今度避妊薬を一本サービスしてやろう。
こっちは半月もフィオナに会えないのに、毎晩盛っているなんてむかつく。
気持ちシオンの皿のカレーは少なくしてやった。
戻ってテーブルにカレーを置くと、二人は嬉しそうにそれを食べ始める。
そう言えばさっきルティアナが言いかけてた勅命書の話も中途半端になってしまっている。
本当に嫌がらせに来たみたいなタイミングだ。
とりあえず食事が終わらない事には話にならないなと、仕方なく自分の分のおかわりを取りに行くことにした。
「このカレーっていうの凄く美味しかったよ。また作って、シキ」
知るか。パティにでも作ってもらえ。
「それで、要件は?」
食べ終わった食器を下げて、お茶を出しながら、ちらりと視線を向ける。本当はお茶なんか出したくないんだけど。
「うん、部下からさ書状が来たんだ。国王に報告したら、ルティにも直接知らせてくれって言われて」
「んん?部下ってどっちの部下だい?」
お茶をすすりながら、ルティが怪訝そうに眉をひそめる。わざわざここまで話しをしに来るくらいだ。南騎士団の部下ではないだろう。
「夜鷹の方の」
夜鷹とは王直属の諜報部隊の事である。広い王宮と言えど夜鷹を知る者はほんの僅かだ。
シオンはそこのボスだ。いやボスだったと言うべきか?
「シオン、君さ夜鷹辞めたんじゃなかったの?」
「えー、なんでシキがそこまで知ってるのー?ルティ喋った?」
「あはは!まあ、良いじゃないか!シキはアキ以外友達居ないから、どこにも漏れないって」
なんだかけなされている気がするがそれは置いておく。まあ事実だ。
「夜鷹も近衛も辞めさせてはくれたんだけどさー、なんだかんだこっちに話が回って来ちゃうんだよ。困ったもんだよね、本当。あいつら未だに僕の事ボスって呼ぶしさ」
「いいから、本題」
「相変わらず冷たいな、シキ。まだ夜鷹に入れようとした事根に持ってるの?」
根に持ってる。
ついでに未だにおまえも大嫌いだ。
そう言ってやりたかったが、話が進まないので、黙っている。
無視していると、シオンはふっと笑って、再び口を開いた。
「書状はね、コロラ王国から。フェリクス王とフィオナさんについて」
フィオナと言う単語にびくりと僅かに肩が震える。
「ねえ、シキ。フィオナさんといえばさ、彼女も夜鷹に向いてると思わない?仕込めば結構使えると思うんだよね?どう思う?」
こいつのこういう人を弄ぶ所が特に嫌いだ。こっちが、報告の内容を聞きたがっているのを知っていてわざと話しを逸らす。
そればかりか、フィオナを夜鷹になんて冗談にもならない事を言い始めた。
撤回。
やっぱり王宮嫌いな奴ランキング三位以内だ。
にやにやとしながらなかなか話しを進めないシオンに、いい加減付き合っていられなくなる。
あー、もうキレていいかな。
こいつとは本当に合わないんだよ。
押さえきれない殺気が吹き出そうになった時、突然ルティアナがシオンの頭を思い切りグーで殴った。
「シオン!いい加減にしなよ!シキで遊ぶのが楽しいのは分かるけどね、時と場合を考えな!」
まるで不貞腐れた子供の様な顔で、シオンは殴られた所を擦る。
「ルティには敵わないなあ」
「当たり前だろ。お前なんて子供みたいなもんだよ。ほらさっさと話しな」
「はいはい。まず、フェリクス王の件ね」
本当はフィオナの件を先に聞きたくて仕方ないのだが、ここはぐっと堪える。
そんな様子が分かったのか、少しにやっと笑ってシオンは続けた。
「ルティは知っていると思うけど、金のポーションでも治らないフェリクス王の病。あれ、呪術だったらしい。今現在、倒れて意識もあまり無いみたいだ。エマが必死に体力を回復させて持たせている状況」
また出てきた。
ジュジュツ?
「ジュジュツって何?」
「あー、シキは知らないか。ていうか俺も知らなかったんだけど。まー、一種の呪いみたいなもん」
段々シオンが被っていた、猫かぶりが剥がれて、素が出てくる。
俺と言ったのがその証拠。
まあこっちの方が、幾分マシ。
いや、そんな話ではなかった。
国王が呪いにかけられるとはまた面倒な。
「ああ、そうか。だからルティは呪術の解き方を……」
やっと話が繋がって納得する。
「ルティ、呪いの解き方知ってるの?じゃあ話が早いや。悪いけどコロラ王国に行ってフェリクス王の呪いを解いてきてもらえない?」
さらりと言うシオンにルティアナはしかめっ面を向ける。
「まあ、予想はしていたけど、本当に呪術とはねえ。それより先にフィオナの件っていうのはなんだい?早く話さないと、シキがそろそろ暴走するよ?」
イライラがそろそろ限界に来ていたのを察して、ルティアナがシオンに話しを振る。
「暴走した所も面白そうだから見たいけど、ま、いっか。フィオナさんね、呪術を掛けられてヒュラン王子に掻っ攫われた」
呪術を掛けられて掻っ攫われた。
頭の中でシオンの言葉が反芻する。
気づくと立ち上がってシオンの胸ぐらを掴んでいた。
「どういう事だ」
「シキ、攫ったのは俺じゃないよ。部下からの報告だと、ポーションを飲んでも頭痛目眩が治まらないのと、ヒュラン王子の命令に逆らえないような呪術を掛けられているっぽい。つまり二重に呪術を掛けられたって事だね。あー、やっぱりフィオナさんには夜鷹には無理かなー。呪術を二つも掛けられるなんて、ちょっと迂闊だよね」
胸ぐらを掴んだ手に力がこもる。
「無事なんだろうな」
自分の声が自分のものではないくらい低い声が出た。
「今の所ね。シキ、そろそろ離してくんない?」
シオンの目に殺気が浮かぶ。
ぞわりと鳥肌が立った。
悔しいがこいつは自分より強い。
「お前らいい加減にしな!」
ルティアナの拳が頭に降って来た。
痛みに手を離すと、目の前でシオンがまた頭を押さえてる。奴もまた殴られたらしい。
「ルティ、今からコロラ王国に行ってくる」
こうしてはいられない。
大体最初から胡散臭い話だと思っていたんだ。
やはり行かせるんじゃなかった。
「あー、もう!シキ!待ちな!ちょっと落ち着きな!すぐにでも行きたいのは分かるけどだめだよ」
「ルティ、ごめん。今回ばかりは譲れない」
「だったら、お前が行って呪術を解けるのかい?」
「術者を見つけて殺せばいい」
「呪術ってのはそう簡単じゃないんだよ。仮に術者を殺しても解けない事もある。フィオナの事となるとまったく冷静さが無くなっちまうね。バカタレ」
言われている事は分かる。
冷静じゃないのも分かってる。
それでもフィオナがヒュラン王子に囚われていると思ったら、どうしようもなくなってしまうのだ。
ましてやヒュラン王子に逆らえないような呪いを掛けられているとしたら、何をされても抵抗出来ない。
万が一ヒュラン王子に手を出されたりでもしたら……。
身体の中の魔力がまるで沸騰してしまったかのように熱い。
怒りなのか焦りなのか、ドロドロとしたものが渦巻いて収まりがつかなくなっていく。
「シキ。ごめん、からかい過ぎた。フィオナさんは大丈夫だよ。俺の部下に張り付かせている」
シオンはぷっと吹き出すと、そう言って肩に手をぽんと乗せてくる。
「いやあ、面白いものが見れたよ。シキのそんな顔みたの初めて。ちょっと嬉しくなっちゃった。だからからかったお詫びに俺も協力してあげるよ」
そう言ったシオンの目は、夜鷹のボスのものだった。




