第三十九話 悩む乙女
「……はぁ」
止めようとしてはいるのですが、いっこうにため息は止まってくれません。
「……はぁ」
このままではいけないと、思っているのです。思ってはいるのですが……。
『私と婚約してほしい』
先日、お姉さま夫妻と共にお忍びで訪れたフリニスク帝国の次期皇帝であらせられるディクスランパート・オルダ・フリニスク皇太子殿下。
そんな方に、帰り際に求婚されてしまいました。
フリニスク帝国はリュオメン王国の隣国で、比較するのもおこがましい程の大国です。
帝国の歴史は侵略と戦争に彩られていると歴史の授業で教わりました。
最初は小国と言える規模しか領土を持っていなかったそうですが、野心ある王族が時の王から王位を簒奪して、豊かな土地を手に入れるべく他国へと侵略を開始しました。
その侵攻速度は一気呵成。神速とも呼べるほどの速さで次々と他国を攻め落として平定を繰り返し、今では広大な領地に強大な軍備を持つ超大国へと成長したのです。
……そんな国と国境を接しているリュオメン王国はよく長年侵攻されなかったものです。
何かしらの理由があったようでしたが、王妃教育が途中だった私はその答えを知りません。
「……はぁ」
ディクスランパート・オルダ・フリニスク皇太子殿下は帝国の次期皇帝。
そんな方に、婚約してほしいなどと言われてしまうとは……。
「……はぁ」
私は元侯爵令嬢です。
しかも、一国の王妃にと望まれ、中途半端ながらも王妃教育を受けています。
でも、今はただの一般庶民でしかありません。
それなのに、次期皇帝と婚約?
はっきり言って、ありえません。
二度しか会っていない赤の他人ですよ?
正直な話ですが、もう貴族としての生活には何の未練もありません。
ここにはお父さま、お母さま、お兄さま方がいます。家族がいるのです。それだけで私は寂しくありません。
さらに、ここには新しく仲良くなった皆がいます。
生国であるリュオメンにも友人はいましたけれど、さすがに罪人として追われた私と関わろうなんて思わないでしょうし……うん、そうです。罪人と仲が良かったという事で彼女たちの立場が不利になるなんて嫌ですので、きっちりと無関係だと主張していただけると思います。
彼女たちも貴族ですからね。家の不利になるようなことは、しないでしょう。
それはともかく。
ここで私は特に不便を感じてはいません。
家族がいて、友人がいて、家電があって、良質のものが溢れていて、堅苦しさが全くありません。
……元が一般庶民な私は、正直、貴族の生活というものに馴染みきれてませんでしたからね。
さて本題。
先程も言いましたが、もう貴族生活には未練がありません。
ならば、皇太子殿下からの求婚など断ればいいのでは?
そうもいきません。
そんな簡単な話ならばこんなに悩みません。
相手は皇太子殿下。幾多の国を戦争によって支配下に置いて大きくなった帝国の次期皇帝。
そんな方からの婚約してほしい、という言葉は……はっきり言って命令以外のなにものでもありません。
ただの庶民に皇族の命令を拒否する権限などありはしません。
いくらお義兄さまが側近で、お姉さまが気安い感じで接していようと。
強大な権力をもつ人に、私は抗える力を持っていません。
……もし、仮にですが、この婚約を受け入れたとしたら?
いくら皇太子殿下の命令とはいえ、周囲が、はいそうですか、とすぐに受け入れることはしないでしょう。
臣下の方々から相応しいかどうかの品定めがあるのは必定です。……とんでもなく理不尽な、重箱の隅をつつくどころか内側の塗装を剥がすくらいのものが。
だって、私は罪人として国を追われた人間です。
真実はどうであれ、その一点を追及されるでしょう。
あれ? これではそもそも無理では?
元々皇太子殿下には妃候補がいらっしゃいますし、それなのに私が妃になるなんて道は最初からないのでは?
……いえ、皇太子殿下はやり手です。気を抜けばすぐに破滅が待っているようなお城で確固たる地位を確立しているような人です。
何かしらの考えを持っているに違いありません。
……私には思い付きそうもないのですが。
「……はぁ」
怖い。
もう、宮廷関係の人間には関わり合いたくありません。
勝手に婚約を決めておきながら、邪魔だと思えば強制的に罪人に仕立てあげて放り出すような人たちには、もう会いたくありません。
もう二度と、家族を悲しませたくありません。
でも。
もし断れば、大国の機嫌を損ねてしまって、エルトさんに御迷惑がかかってしまうでしょう。
……皇太子殿下は、なぜ私に婚約などと言ったのでしょう。
「……はぁ」
「ピヨピヨ!」
あ、ヒヨコちゃんたちはあっちに行っててね。




