第三十二話 姉の想い② エリスティナ
マリアルイーゼが王子の婚約者に選ばれた。
端から見れば、光栄なことだと思われるでしょう。
でも、内情を知る私たちからすれば、これはとんでもない事でした。
財務を統括するお父様に多くの貴族が憎しみを募らせ、ついにその中に国王陛下まで加わったのです。
もう国の上層部には民の事を考える者はおらず、ただただ贅沢をしたい、欲望のままに豪遊したいという、俗物の集合体に成り果てたのです。
好き勝手したい上層部は表向きは成績優秀なマリアルイーゼを次期王妃として取り込むことで侯爵家と縁続きとなるように仕向けましたが、要は人質です。
もう、ただお金を自由に使えるようになるだけでは満足できなくなったのです。
上層部は侯爵家を苦しめ、いたぶって、今までの鬱憤を晴らし、永遠に都合よく扱える奴隷にしようとしたのです。
お父様たちはどうにかしようと奔走しましたけれど、もはや一国が相手ともなればどうすることもできず。
私もなんとかしようとしましたが、他国では思うようにいかず。
もどかしい日々が続きました。
そしてあの日。
マリアルイーゼが罪人として捕縛されたとの報せが届いた時。
情けなくも私は強い衝撃を受けて倒れてしまいました。
意識を取り戻した時には、丸一日経っていました。
夢ならば覚めて欲しかった。
心配そうに手を握って下さった旦那様に夢ではなく現実だと言われて、全身の力が抜けて……それからはベッドから起き上がれない情けない日々。
起きて何か家族のためにできることを探そうとしても、まるで根が生えたように動かない体。
旦那様にも迷惑をかけ続けました。
皇太子殿下の護衛という大切なお役目は相当な苦労があるというのに、さらなる負担を強いてしまうなど妻として失格。
気にするなと旦那様は仰って下さいましたが、甘えきる訳にもいかず、けれど動かない体。
心と体が噛み合わず、空回りを続け、無為に時間だけが過ぎていく。
なんと情けない。
家族のために何でもすると決めておきながら、家族の危機に何も出来ない体たらく。
さらには旦那様を始め多くの人にまで迷惑をかけ続ける始末。
何の力もない小娘が不相応な願いを持ってしまったからなのか。
これは女神様より与えられた天罰なのか。
そんな風に思い詰め……たのに。
「エェェェェリィスゥゥゥゥゥウッ! 喜ぶでござるよぉっ! ご家族は無事保護されもうしたぁっぁっ!」
なのに。
「マリアルイーゼはもちろん! 義父上殿も義母上殿も、義兄上殿達も! 無事でござるよぉっ!」
なのに!
「さ、寝ている場合ではござらん! 早く体調を整えるでござる! 都合がつき次第、会えるよう手配もすんでござるよぉっ!」
な! の! に!
「何故こんな簡単に解決しているのですかぁぁぁぁっ!?」
「おお、エリスが起きたぁ!」
あの時ばかりは私、淑女であることを一時捨て去りました。体の奥底から溢れ出す激情に身を任せ、寝台よりこの身を解き放ち、再び大地に辿り着いたのです!
そう。あの時の私はまさに死地を潜り抜けた戦士の如く!
……失礼しました。
少々感情が高ぶりました。
とにもかくにも、私の家族を取り巻く悲劇は唐突に終わりを告げ、いつのまにやら喜劇が始まっていました。
もう会えないと思っていた家族は傭兵団に保護され。
新しい職を斡旋されて、あっという間に生活基盤を構築して。
皇太子殿下のご配慮で実現した再会の場で皆吹っ切れたように清々しい笑顔を浮かべていました。
お父様は今までにないほど柔らかく、お母様は清々しく。
お兄様達は……あまり変わった印象は受けませんでしたが。
一番変わったのはマリアルイーゼ。
淑女としての控えめな微笑みも可愛らしくて好きでしたが、見る者の心を暖かくする今の笑顔もとても素敵。
最初は再会した嬉しさのあまり気にしていませんでしたが、こうして精神を落ち着かせてじっくりと見れば、侯爵令嬢だった頃とは全然違いました。
笑顔はもとより、動作の一つとっても活力が満ちているのです。
まるで大地に根をはる木のような安定感というのでしょうか? 貴族として生きていた頃よりも……こういう言い方はおかしいでしょうが、しっかりと『生きている』と感じるのです。
こうして新たな家に帰って来て、家族団欒を経て、しっかりと理解しました。
今のマリアルイーゼの方が断然魅力的なのです!
……ただですね。妹が輝かんばかりに魅力的になったのは嬉しい事なのです。が! そうなった原因と言いますか、要因と言いますか。
エルトリートさん。
私の家族の命の恩人で、旦那様とも親交がある、傭兵団の長。
一見どこにでもいそうな若者で、街中で人混みに紛れればすぐに埋没して見失ってしまうような、普通の人。
なのに、魔獣と呼ばれる脅威を容易く葬り、大陸にその名を轟かせる程の戦士たちを纏め上げる猛者。
旦那様曰く、世の決戦存在と呼ばれる単騎で軍勢とも渡り合える英雄たちを結集しても殺せるかどうか分からない生ける理不尽。
友好関係を維持できているのは奇跡であり、敵対はもっての他だとも仰っていましたね。
ここだけ聞くとひどく狂暴な印象ですが、先程も言ったようにエルトリートさんは大変普通な人です。
帝城で家族と再会したあの日、ほんの少しだけお話をさせていただきました。その後、お伽噺にしか出てこない転移魔法で去っていった人。
……すごく不思議で、ちぐはぐな人。
そして、マリアルイーゼの手料理を毎日食べているという人!
なんと毎朝マリアがエルトリートさんの家に行き(合鍵を貰っていた!)、食事の支度をして(いつの間に覚えたのかしら?)、寝ている彼を起こして(私もよくやります)、手料理を二人で食べて(珍しい献立でしたね)、エルトリートさんを仕事に送り出して(あら?)、掃除や洗濯をしたり(え?)、昼食は別々ですが時には夕食もご一緒したりするそうです。
完全に、夫婦ですよね?
恋人というより、妻の仕事ですよね?
お茶をしつつお母様は嬉しそうに笑いながら、マリアから聞いたエルトリートさんとのアレコレを私に語ってくれました。
「あの子ったら自覚していないようだけれど、団長さんの事を話す時はとてもいい笑顔を浮かべるのよ? 子供のように無邪気で、心から信頼しているようなの」
「あらまぁ。それで、エルトリートさんの方はどうなの?」
「それがねぇ。団長さんもお忙しいようで直接お会いする機会がなくて……マリアにはお招きしてと言っているのだけれどねぇ」
あの子ったら。
きっと家に招いたらお母様による怒濤の聞き取り調査があるのを分かっているのね。
お母様なら二人を隣同士にソファーに座らせて、マリアの反応を楽しむためにあの手この手を使うはずだわ。
羞恥に悶えるマリア。可愛い!
「……これは、今晩の夜の茶会の話題は決まりましたね」
「ふふ……心強いわ」
今宵はお母様と共に根掘り葉掘り聞き出しましょう!
「ただいま戻りました~」
あら? もうこんな時間?
楽しい時間というのはあっという間にすぎてしまうのね。
「おかえりなさい、マリア」
「おかえりなさい」
「お姉さま、今日はどこに行きましょうか!?」
楽しそうに、嬉しそうに、まるで小さな子供のように、これからの予定を聞いてくる妹。
この笑顔が目の前にある。
それだけで、心が暖かくなる。
「ねぇマリア?」
「はい?」
荷物を置きながらこちらに振り向くマリアに、
「今日も一緒に、いっぱい遊びましょう?」
そう告げれば、
「はい!」
いい笑顔で返事が返って来た。
花粉症からの風邪のち五月病。
執筆しようと思っても気分がノらずにすぐに断念してしまう今日この頃。




