第三章 5月14日 襲撃
アイヴィーはプリムローズ王女に扮しているので、白百合亭の人間に怪しまれないよう、高級な一等室の部屋に留めさせられていた。
プリムローズたちが雑魚寝した泊り小屋よりも広い一人部屋は、伝統的なベリロナイトの唐草模様に織られた絨毯が敷かれ、天井には小さなシャンデリアが吊るされている。
外はまだ空が明けておらず、窓枠に立て付けられた鎧戸は、しっかりと閉じられていた。
大人が大の字になってもまだ余裕があるベッドの上で、アイヴィーは何度か寝返りを打ちながら、慣れない枕や緊張のためか、なかなか寝付けないでいた。
困ったように溜め息をつき、高い天井を見つめる。
すると、部屋の外からドアをノックする音がした。彼女はとっさに飛び起きると、彫金細工の施されたベッドフレームに掛けられた、金髪のかつらに手を伸ばした。
「……私は騎士だ。慌てることはない。こんな時間に起こしてすまないが、そのままドアに耳を近づけて聞いてくれ。なにせ大きな声で話す内容ではないからな」
ドアの向こうに立っているであろう、男性の声がした。アイヴィーは大きく息を吐くと、彼の指示に従ってドアに近付き、頬をぴたりと押し当て、耳をそばだてた。
部屋の外にいる騎士――グスタフは、廊下から何者かがやってこないか横目で確認すると、本題に入った。
「たった今、ここの警備兵たちから、不審な連中が外でうろついているとの知らせがあった。速やかに身支度を済ませてもらいたい。私が君を誘導する」
承知しました、しばらくお待ちください、とアイヴィーはドア越しから声を潜めて答えると、さっそく寝巻きを脱ぎ、上等な仕立ての旅装束に着替え始めた。普段、早朝に起床して王女の身支度を手伝っているだけあって、無駄のない機敏な動きだった。
グスタフはドアに背を向け、彼女を待っていると、廊下の向こうからユリエルが「グスタフさん」と呼びかけながら、小走りでやってきた。
「外を確認してきたんだけど、ざっと30人前後、白百合亭の塀をぐるりと囲んでいるよ! 義勇十字団のマークのついた旗を持ってる人もいた。門の前には長槍を持った警備兵が構えているから、蛇に睨まれた蛙みたいに硬直してるけど、もう、一触即発! って感じだよ。あの人たち、ボクたちがここに泊まっていることを嗅ぎつけてきたんだ……!」
頬に冷や汗をかきながら慌てている様子のユリエルに対し、グスタフはほう、と頷き、毅然とした態度で両腕を組んだ。まるで最初から、こうなることを予測していたかのように。
「グスタフさん、なんか余裕あるね……?」
ユリエルが不思議そうに上目遣いで彼を見つめた。首を傾げると、セピア色の大きなリボンが揺れる。
「常にありとあらゆる事態を想定していれば、取り乱すことなど何もあるまい。この作戦、義勇十字団は必ずどこかで接近してくるだろうと考えてはいたが、奴らは最も愚かしいタイミングで挑んできたな。この状況、我々にとって有利ではないか」
グスタフは去年の晩餐会での取り組みを評価され、実は今回カルチェラタン組の作戦指揮を任されていた。
続いて、白百合亭の主人がベルベッドのローブを引きずり、駆けつけてきた。
「宿の外は、四方八方囲まれております。私どもでは追い払うのは難しいかと……如何なさいましょう」
主人としても、老舗の白百合亭が血塗られた王家暗殺の舞台になるのは避けたかった。
「馬車を一台、馬ごとお借りしたい。領収書は、キャンディス城管財課で」
主人にそう頼むと、グスタフは振り返って一等室のドアを叩いた。
「アイヴィー嬢。そろそろ準備できただろうか」
はい、と扉を開いて中から顔を覗かせたアイヴィーは、上流階級の女性が着る旅装束に身を包み、赤みがかった金髪のかつらを、地毛の上からしっかりと被っていた。少し強張った表情で、青い目を瞬きさせる。瞳の色は違うが、遠目からなら王女と思われる格好をしている。
眉の太い騎士は、よし、と頷くと、彼女にも一つ要求した。
「ついでに、着替えを一着貸してくれないか。外套だけでもいいのだが」
唐突な話に、ポカンと口を開けるアイヴィーの代わりに、横からユリエルが割って入った。小柄なので彼女と背が並んでいる。
「ちょっと待って、何するつもり?」
その問いにグスタフは口の端を歪めて、不敵な笑みを浮かべる。
「ユリエル、今から実行する作戦は、お前が主役と言っても過言ではない。リスクを引き受けさせる代わり、手柄を譲ろう」




