第三章 白百合亭
花嫁行列は城下町を通り過ぎ、港町カルチェラタンへ続く街道をひた走った。
馬車の中は揺れが激しく、しばらく同じ姿勢で座っていると尻が痛くなってしまう。アイヴィーは窓際へ拳一個ぶんずれて、馴染み深いパステルカラーの家々が遠ざかり、街道の両脇になだらかな草原が広がっていくを見つめた。
(思えばユイの里と、城下町以外の場所へ向かうのは初めてだわ……)
頭に被せた、赤みがかった金髪のかつらを手で抑えながら、頬に涼しい風を受け、移り変わっていく景色を瞬きせずに見送る。
いつも侍女の仕事をてきぱきとこなす彼女にとって、何もせずただじっと座るだけの今の状況は、時間を無駄にしているようで落ち着かず、小さく溜め息をついた。
(……何か考えごとでもして、暇を潰さなくては)
それはポジティヴに捉えれば、物思いに耽る余裕があるということなのだが。
ふと、地を駆けるけたたましい馬蹄の音を聞き、去年、プリムローズとマロンに二人で乗った日を思い出す。
アイヴィーは何もない草原の上に、記憶を頼りに、栗毛の馬に乗る王女を走らせてみた。乗馬用の飾り気のないキュロットを履いて鞍に跨り、高めに結い上げたポニーテールを揺らす横顔は、凛としてすましているように見えるが、冒険ごっこに期待を膨らますわんぱく小僧のようにも見えた。
(たくさんの表情を持っている不思議な方だった。……でも優しくて温かいお方だったわ。いつも遠くへ行きたがられるのに、私が呼ぶと必ず立ち止まってくださるの)
空想のプリムローズは、こちらに向かって相変わらずの朗らかな笑みを浮かべ、右手で大きく手を振る。しかし、左手に持った手綱を緩めようとせず、マロンを走らせ続け、だんだん遠のいてしまう。アイヴィーは思わず、車窓からプリムローズを呼び止めようとした。
それを遮るように、ずらっと立ち並ぶ雑木林が視界を横切る。
「……」
彼女は唇をキュッと結ぶと、両手で自分の頬を軽く叩いた。
空が朱に染まる頃、花嫁行列は街道沿いにある、カルチェラタン港までの道のりの中間地点にある宿場町に着くと、他よりひときわ大きい老舗の宿屋「白百合亭」に一泊することとなった。
この宿屋は貴族や大商人など、名の知れた社会的地位の高い人々が多く利用する。それというのも、豪華な部屋ばかりが売りではなく、30人以上の用心棒、もとい店主の私設警備隊が常在している、万全の防犯体制だからである。ちなみに去年、バクストン6世がアルカネットへ渡った際にも、白百合亭へ泊まった。
騎士も三等室だが宿泊することとなり、ユリエルは部屋に備え付けられた清潔なベッドの上に、遠慮なく飛び込んだ。厚みのある羽毛布団に顔を埋める。
「ふぁー! やっと一息つけるよ。憧れの白百合亭だぁ……ベッドがふかふか~」
「……おお……身体がめり込んでいく……」
ノーマンもうつ伏せになって隣のベッドに寝そべった。長い手足を目一杯伸ばす。
最後に入室してきたグスタフは、床に荷物を下ろすと、太い眉に皺を寄せて、「阿呆」と二人を睨みつけた。
「気を緩めるなよ、これは旅行ではないのだぞ。騎士たる者、油断せず、いつ如何なるときも敵の襲撃に備えるのだ。いいか、これは夜襲をかけられそうな状況下での防衛策として基本中の基本だが、剣の鞘に刀帯を括りつけ枕元に吊るし、いつでも抜刀できるようにしておけ」
「了解しました!」
一番奥のベッドに腰掛けていた甲冑鎧の男が、威勢よく返事をすると、さっそく大剣の鞘に刀帯を巻きつけていた。
「否、そんなでかい剣を刀帯に括りつけられると、他の者が足を引っかけて転ぶかもしれないので、壁に立てかけておいたほうがいい。――って、何故お前がいるのだ、オリバー」
グスタフの質問に、オリバーは胸を張って答えた。
「はっ! 自分は見習いで、まだどこのチームにも属しておらず、空いている部屋がここしかなかったのであります!」
「あぶれちゃったんだね。いいよいいよ」
ユリエルは布団から顔を上げ、足をばたつかせる。
「ねぇ、休むときぐらい鎧脱いだら? 寝苦しくない?」
「いえ! 自分はこの甲冑がもはや、自前の皮膚のように馴染んでおりまして、脱ぐと居ても立ってもいられなくなるのであります。して、このようにベッドの端に座る姿勢が、いっとうくつろげるのです。どうぞお構いなく」
「え~お構っちゃうよ。寝がえり打つとき、目が合っちゃいそうだもん」
困惑するユリエルをよそに、オリバーは急に立ち上がった。
「先輩方、不束者ですが宜しくお願い致します!」
そして深々と頭を下げる。
「……まぁいい。了解した。明日も早い、私も休息するとしよう」
グスタフは疑問が解消されると、それ以上追究しようとはせず、軍服のジャケットを脱いだ。すかさずノーマンが起き上がり、ベッドから座ったまま、おもむろにその上着を預かり、膝の上で黙々と畳み始める。
「いよいよカルチェラタンかぁ。……エヴァンさんたち、今どうしているのかな」
ユリエルは窓の向こうに浮かぶ下弦の月を見ながら、枕の上で頬杖をついた。
「こちらと日程を合わせているだろうから、遅くともツギノ岳の泊り小屋には着いている頃ではないか。プリムローズ様の安全のために、慎重な動きが求められるからな。そう一気にハルナを越えることはできん」
グスタフがシャツのボタンを外し、襟元を開きながら答える。
「うわぁん、早くエヴァンさんに会いたいよぉ! イケメンと同じ空気が吸いたい!」
ユリエルはそう喚きながら再び顔を埋め、シーツの上を泳ぐように足をばたつかせた。
オリバーは兜を被った頭を傾げ、年下の先輩に恐る恐る尋ねる。
「その、ユリエル先輩は、エヴァン先輩に恋心を抱いてらっしゃるのでありますか……」
そうだよ、と彼は当たり前のように断言した。そして、しんと静まり返る周囲に怪訝そうな顔をする。
「えっ、何か変?」
ノーマンは、畳み終えたジャケットを、グスタフのベッドのサイドボードに置いて、重たい口を開いた。奥二重の睫毛を伏せ、目の下に影ができている。
「……趣味が悪すぎる。エヴァンは自分勝手で、性格が良くない。付き合っても、お前を大事にしてくれないかもしれない……」
心配する仲間に、少年はあっけらかんと笑った。
「いいの、付き合えなくても。ボクは美しいものを眺めるのが好きだから。いつも目の保養にさせてもらってるのに、心まで貰おうなんて図々しくなっちゃう。それにあの人の美しさは、孤高だからこそ映えるんだと思う。……エヴァンさんは誰にも縋ることなく一人きりで、ひたすら剣を振るって、ずっと血溜まりの中を歩き続けてほしいな」
そう言って、小猫のような大きな瞳を眩しそうに細める。ユリエルはエヴァンの事情を知らずとも、直感的にその苦悩や葛藤、悲哀を嗅ぎとっており、彼の不幸にすら美を見出していた。
「その辺にしておけ」
グスタフは話を遮り、団子鼻をフンッ、と鳴らし、ベッドの端にどさりと座った。
「全く、旅行ではないと言ったではないか。恋バナに興じるなど、お前たち弛んでいるぞ。特にユリエル、恋愛は自由だが、任務中に私情を持ちこむのは御法度だ。惚れた腫れただの、そういうものはプライベートで好きにやるがいい」
はぁーい、と少年騎士は気楽そうに返事する。グスタフはそんな彼の軽い調子にムッとしながら、両腕を組んだ。
カルチェラタン組の騎士たちは、自分たちが影武者の護衛という本筋から外れた、義勇十字団へのブラフに利用されているとあって、若干士気が下がっているきらいがあるのだ。
4人は明かりを消すと、ベッドに潜りこみ、就寝した。
アルカネット暦445年5月13日。プリムローズ一行のハルナ山2日目、およびカルチェラタン組遠征の初日は、こうして何事もなく終了した。




