第一章 エヴァンを追え
正午過ぎの頃、早番の騎士達は城内の詰所でくつろいでいた。三人一組のチームごとに部屋が割り当てられていて、三人分の簡素なベッドと机が備え付けられている。
フィリポは軍服から私服に着替えると、ベッドの上に滑り込むように寝そべった。
そしてふと、頬杖をつきながら、机の席に座るビクターに目を向ける。ビクターは大柄のがっしりした体格なので、椅子の背もたれが窮屈そうだ。
「それ故郷からの手紙?」
「ああ、嫁がな。せがれのこととか、ささやかな近況報告だ」
ビクターは2枚の便箋に目を通している。机にはペーパーナイフと綺麗に封の開いた封筒が置かれていた。
「カルチェラタンからの手紙って、こっちに届くんだなぁ」
片肘をついて、上半身だけ起き上がったフィリポは、感心したように呟いた。だが、すぐに失言だったと焦る。カルチェラタンの港町がアルカネットに実効支配されている件は、出身者にとって気持ちの良い話題ではないだろうと思ったからだ。
「いや、その、手紙を出した時はまだ、修好条約前だったろうし……」
鼻の頭を掻きながら気まずそうに口篭もる仲間に、ビクターは別段怒ることなく、あっけらかんと答えた。
「流通が絶たれてしまったら、捕った魚が腐ってしまうぞ」
アルカネットは意外にも、カルチェラタンを完全に封鎖しているわけではない。何故なら、カルチェラタンの住民間のみで生活を営むのは限界があるからだ。
プリムローズが収穫祭の市場で悟ったことと同様、貨幣が人から人へ流れていかないと経済は発展しない。カルチェラタンの要である漁業は、外部からの買い手がいないと成り立たないのである。
よって修好条約の締結前も、アルカネットの監視の下、カルチェラタンとベリロナイト領地間の往復は認められていた。
ビクターは手紙を読み終え、折り目に沿って畳みながら、一息つく。
「修好条約か……。今まで帰省するときは逐一、関所へ申告書を何枚も出さなければならなかったのが、今後は通行手形一枚見せればすぐ渡れるようになるのか……。時代も変わったな」
「へぇ、便利じゃん」
「そうでもないさ。手形を発行するのに結構な手数料を取られる」
「あー役人っていうのは足元見るんだよな」
フィリポは腕を組み、何か思い当たる節があるのか、一人でうんうんと頷いた。そして、う~、と唸りながらベッドに再びごろりと寝転んだ。
「俺も流浪民から帰化するのに手続きが面倒だったなぁ」
「エルフ族は結束が固いと聞く。家族に反対はされなかったのか?」
ビクターは椅子ごと身体をベッドへ向け、フィリポの話に耳を傾けた。
同じチームに編成されて三か月が経とうとしているのに、扱いづらいエヴァンがチームにいるせいか、三人とも浅い付き合いを好む性質なのか、これまで立ち入った身の上話を交わしたことがなかったのを思い出したのだ。
「反対されたけどさ。エルフ族ってのは獣を狩るから山のあちこちを集団で移動するんだけど、先の戦争で散り散りになっちまってさ……うちの集落は年寄りだらけで、碌に狩りにも出られないわけよ。そうなるともう、俺みたいな若いのが山下りて出稼ぎに行くしかないだろ。生活のために狩りをするのも外で働くのも同じことだよ」
フィリポは仰向けになり、木目のシミを数えるように天井を見つめた。
「俺は学がなくて弓の腕しか自信がなかったから、それを生かす仕事で、給料の良いとこないかって、職業を斡旋するギルドとかで探したんだ」
「それで、騎士になったと」
ビクターは相槌を打った。エルフの青年はばつの悪そうに答えた。
「ああー……正直言うと、本当は城の警備兵になりたかったんだ……」
は? とビクターは目を丸くした。騎士団の仕事は王家の警護なので、城全体の警備は別の管轄である。
フィリポはビクターから目を反らすため、寝返りを打って背を向ける。自分が寝そべっているシーツの皺に視線を落とした。
「ほら、城の警備兵は随時募集してて、騎士団は毎年入団試験があるだろ?……去年、被ってたんだよなぁ、試験日」
「間違えたのか!」
ビクターは驚きのあまり大声を上げた。現代の感覚で例えるなら、警備員のバイトの面接を受けようとして、軍隊に入ってしまったような痛恨のミスである。
「合格通知が届いて、やっと自分の勘違いに気付いた……。取り消してもらおうと団長に伺ったんだけど、最終選考は国王陛下のご意思も反映するから、合格者の辞退は許されないし、騎士団は今、弓兵が足りないから絶対駄目だって……」
フィリポの尖った長い耳が、頼りなさげに下を向いた。
「……」
ビクターは両腕を組んで黙った。世間知らずで右も左もわからない元流浪民に紹介料を払わせておいて、ギルドが適当な案内の仕方をしたんじゃないかと勘付いたのだ。弱者を踏みにじる行為は、彼が最も軽蔑することだった。
一方、フィリポは不機嫌な様子で黙る同僚の気配を背中越しで察し、自分に呆れているのだと思い、ますます居た堪れなくなった。
「……俺、オスカーの『騎士道精神』すら読んだことなくてさ、他の皆と違って真っ当な理由もないのに騎士になっちゃって、恥ずかしいよ」
「いいや、そんなことはない」
ビクターはきっぱりと言い返した。
「経緯はどうあれ、フィルだって団長と陛下に認められた人材なんだ。負い目を感じることはない。これから騎士として頑張ればいいさ。それと――」
そして彼は机の引き出しから、黒革の装丁された本を一冊取り出して立ち上がると、ベッドで側臥位になって背を向けている同僚に差し出した。
「オスカーは一度読んだ方がいい。ためになる」
フィリポは小さく鼻をすすると、ビクターに顔を向けた。
「あんた、良い人だな」
大柄の男は眼鏡越しの目尻を緩めて、屈託のない笑顔を見せた。
「故郷を立て直すだなんて立派じゃないか」
「よしてくれ、そんな大それたもんじゃないから」
ビクターの肯定的な言葉に、フィリポは照れ隠しで寝返りを打った。内心、自分がエルフの余所者だからと周囲に疎外感を持っていたが、こうして受け入れてくれる者もいるとわかり、少し安堵した。
そこへバンッ、とドアを開けてエヴァンがつかつかと入ってきた。いつもの軍服ではない、私服の格好だ。
「エヴァン」
ビクターは立ったまま声を掛けた。赤茶髪の青年は部屋に入ってそのまま、クローゼットから外套を出して羽織った。
「どっか出かけんのか? つうか、いつも休みの時一人でどこ行くの? 女?」
「……」
起き上がるフィリポの問いに答えることなく、エヴァンは二人を一瞥もくれず、仏頂面で部屋から出ていった。
扉を乱暴に閉める音が部屋中に響き、フィリポの両耳が震える。
「何だよ、副団長に負けたことまだ不貞腐れてんのかよ」
片手で癖の強い頭髪を掻きながら、フィリポは怠そうに呟いた。機嫌の悪いエヴァンが、休みに一人でどこかへ外出するのはよくあることだった。しかし、外出後は機嫌が直っているかというと、そうでないのが厄介だ。
ビクターは机の引き出しに手紙と本をしまった。
「……一瞬だけ見えた。あいつ、マントの下に隠していたが、刀帯にサーベルぶら下げてたな」
騎士は各自、刀帯という剣を携帯するのに使う革ベルトを支給される。
「えっ、剣持ったまま外出したのか!」
フィリポは丸い目を見開いた。ベリロナイト騎士団の規則では、城外で騎士だと悟られるような言動を固く禁じており、休日に外出するときは私服であることはもちろん、町人を装わなければならない。
「うわぁ、ちゃんと見てなかった。違反だろぉ」
「他人事じゃあない。同じチームだから連帯責任になるぞ」
ビクターはおもむろに歩き出すと、自分のベッド脇に立てかけてある、麻布の巻かれた2メートル超の棒状の物を、軽々と手にした。布を取ると、それは鞘に納められた、コバルトブルーの柄に金箔で龍の姿を彫刻された槍だった。
「ビクター?」
同僚の次の行動をうすうす勘付きながらも、エルフの青年は恐る恐る尋ねた。彼はできることなら、面倒事は避けたいと思っていた。
「神経質なあいつが規則を破るなど、何かよっぽどの事情があるのだろう。フィル、お前も準備しろ。後を追わねばならん」
「マジか」
フィリポは観念して溜め息をつくと、ベッドから転がるように起き上がり、せかせかと準備を始めた。