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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第一章
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第一章 絶体絶命!ピエロ現る


 まさに絶体絶命の瞬間――ドンッと大きな打撃音が響く。裏通りの民衆は、誰もが唖然とした表情でその光景を見送った。


「えっ……?」


 プリムローズは無傷だった。彼女は恐ろしさのあまり、身体がすくんで動けなかったのだが、殴ろうとした男が背後からの衝撃で、地面に倒れ込んだのだ。


 男はうつ伏せになって、うう……と呻き、すぐに起き上がることができないらしい。

 倒れた男の後ろには、極彩色の派手な衣装に身を包み、とんがり帽子を目深に被る、白塗りの化粧をした男が佇んでいた。その格好はまるで、道化師のようだった。


「何が起きたんだい……?」

 目を伏せていた主婦が思わず呟いた。隣にいた老人が興奮気味に答えた。


「儂は見たぞ……! 義勇十字団の奴がこう、パンチの構えをとった時、あの道化師が背後からクルクルと宙返りしながら近付いてきて、後頭部に飛び蹴りを食らわせたんじゃ! 足音を立てず、軽やかにな!」


 それは常人離れした見事な軽業だった。開いた口が塞がらない王女は、じっと道化師を見つめた。


(あら、目が合った……?)

 道化師はアイラインを黒くはっきり囲み、口端まで紅を引くという奇抜な厚化粧をしているので、その表情は読み取れない。しかし、プリムローズは彼のバイオレットの瞳が自分に微笑みかけたような気がした。


「この野郎、死ね!」

 義勇十字団のもう一人の男が憤り、アイヴィーから手を離すと、道化師に真正面から飛びかかった。


 道化師は余裕のある仕草で人差し指を振り、斜に構えて半身を切ると、襲いかかる男を滑るようにかわした。すかさず男の鳩尾に中段蹴りを、顔面に上段蹴りを、同じ足で二回連続キック技を入れた。その間、軸足は少しもぶれなかった。


 二回蹴られた男は気を失いながら、そのまま地面にドサッと倒れ込んだ。


 

「あの道化師凄いな、一人で二人倒しちゃったよ!」

「いやぁ、胸がスカッとした」

「女の子達が無事で良かったねぇ」


 義勇十字団に怯えていた人々から拍手喝采を受ける道化師は、プリムローズと解放されたアイヴィーに近付き、一礼して恭しく跪いた。そして紳士の仕草でプリムローズの手を取ると、懐から取り出したハンカチで彼女の掌を覆った。


 どういう意図か分からないプリムローズが小首を傾げると、道化師はハンカチをパッと摘み上げた。掌の上には、いつの間にか一輪の白い薔薇が乗せられていた。


「まぁ、助けてくれた上にプレゼントまでしてくださるの? ありがとう!」

 プリムローズは驚きつつもはにかんだ。先程までの恐怖は吹き飛んでしまったようだ。大きく頷く道化師の男は、アイヴィーにもピンクの薔薇を渡した。

「……あなたは……」

 困惑しながらも薔薇を受け取るアイヴィーは、何か言いたげに道化師を見つめた。彼は何も言わず、人差し指を口元に当てて目配せした。


 道化師はおもむろに立ち上がると、助走をつけて地面へ飛び込むように身体を捻らせ、両手で着地し、半円を描くように跳んだ。そのまま、まるでバネが入っているかのように宙返りしながら路地裏へ入ってしまった。

 少女達に薔薇を贈ったのに特別な意味はなく、パフォーマンスにおけるサービスだと、周囲に印象づけるためである。民衆は再び拍手を送った。


 しばらくすると数人の憲兵がやって来て、倒れていた義勇十字団の団員たちを捕縛して、街外れの牢屋へ連行した。裏通りはいつもの静けさを取り戻した。




「あのピエロさん、格好良かったわね」

 マロンを預けた馬小屋への道中で、プリムローズは服の砂埃を叩き落とし終えると、白い薔薇を束ねた髪に挿して歩いた。アイヴィーは買い物袋とピンクの薔薇を一緒に抱えている。二、三歩前を歩く王女のかかとに視線を落とした。

「……私には、少し演出過剰に思えました」

 白い薔薇の花言葉は、「尊敬」。ピンクの薔薇の花言葉は「温かい心」である。つまり助けに入った道化師は、プリムローズに敬意を示し、アイヴィーに労いのメッセージを贈っていたのだ。


「ですが、彼が来なかったら今頃どうなっていたことか……。本当に申し訳ありません」

 張りつめた表情のアイヴィーは、立ち止まって深々と頭を下げた。


「えっ、何で貴方が謝るの? 顔を上げてちょうだい」

 プリムローズは振り返りざまに、急に頭を下げた侍女を見て、その場で両手をあたふたと振った。


「貴方様の安全を確保できず、危険な目に遭わせてしまったうえに、あろうことか自分が賊に捕まってしまう始末……。侍女として失格です。如何なる処分も覚悟しております」


 実の親の顔を覚える間もなくユイの里に引き取られ、そこで8年間育てられても巫女の才能が開花せず、居た堪れない気持ちで過ごしてきた彼女にとって、プリムローズ姫の専属侍女という役目は、自身の存在意義と言える程に誇りと責任を以て務めてきた。


 だが、非常事態にプリムローズを守れなかった挙句、「温かい心」という同情を寄せられて、アイヴィーの自責の念でいっぱいだった。


 プリムローズは、頭を下げっぱなしにして垂らされた、アイヴィーの切り揃った前髪を、両手で掻き上げてぐしゃぐしゃにした。

「アイヴィー、アイヴィー」


 予期せぬ奇行にアイヴィーは目を白黒させ、乱れた前髪を直すように顔を上げた。

 プリムローズは髪をぐしゃぐしゃにするのを止めると、今度は彼女の頬を両手で軽く挟み込む。


「収穫祭に行きたいと言ったのは、私。貴方を誘ったのも私。さっき危険な目に遭わせてきたのは、牛ジューシー団とかいう人達。自分を責めるのはお門違いよ」


「……プリムローズ様」

 甘い蜂蜜を連想させる飴色の眼は、日差しを受けて柔らかな輝きを放っていた。相手を射竦めようとしたり、媚び入ろうとすることなく、ありのままを受け入れ、見る者の心を惹きつけるような眼差しだ。


(このお方は、素直さゆえの無鉄砲が目立つけど、優しく懐の深いことでいらっしゃる……。お人が好いから良からぬ輩に騙されないよう、気を付けて差し上げなくては)


 頬から手を離されても、アイヴィーはぼうっとしており、プリムローズはそんな彼女の足元を見て仰天した。

「ちょっと、アイヴィー! 足から血が出てる! 怪我してるんじゃない?」


 ほらほら、とプリムローズは道の脇にある低い石垣の上に、アイヴィーを座らせた。アイヴィーは膝頭を擦りむいており、出血していた。

「やっぱり……。女の子を傷つけるなんて、あの人達って本当に乱暴ね!」

 プリムローズは鼻を膨らませて憤った。そして買い物袋の中から、露店で購入したストールを取り出し、アイヴィーの膝に包帯のように巻きつけた。


「これは、せっかくお買い上げした品ですのに……血で汚れてしまいますわ……」


「いいの、私が買った物なんだから私の好きなように使うの。――城に戻ったらきちんと手当てしてね」


「すみません……」


「アイヴィーはもう謝るの禁止ね」

 ストールを巻き終わると、プリムローズは傷をさする振りをしながら、痛いの痛いの飛んでいけ、と子供じみたまじないを唱えた。


「……プリムローズ様こそ、どこか痛むところはございませんか」

 アイヴィーは神妙な面持ちで尋ねた。


「私?大丈夫よ。突き飛ばされた時、びっくりしちゃったけど」


「ご無事で何よりです」

 噛み締めるように頷きながら、安堵の笑みを浮かべる侍女を、王女は面白く思わなかった。頬を膨らませると、再び彼女の前髪を両手でぐしゃぐしゃにした。


「またっ……何をなさるのですか、おやめください!」

 アイヴィーに叱られると、プリムローズは悪戯っぽく笑って手を止めた。


「教養のある姫君が、このようなお戯れをなさって良いとお思いですか!」


(良かった、いつものアイヴィーだ)


 プリムローズは実のところ、アイヴィーの過保護な性分に不満を、いや不安を抱えている。今日のように、怪我した自分よりも王女のことを優先する彼女に、侍女としてのプロ意識ではなく、常軌を逸した自己犠牲を感じていた。たとえ死ぬような目に遭ったとしても、先程のような笑みを浮かべて息を引き取るのだろうか。

 そんな想像をしただけで、プリムローズは胸が締め付けられる思いがした。


(アイヴィーはいつも、怒ったりしながらも、一緒にいてくれる女の子よ……)


「よろしいですか? 市場で値切りをなさった時も申し上げたように……」


 帰路の途中、アイヴィーの小言を延々と聞かされながら、プリムローズはへらへらと気楽そうに相槌を打った。その態度が火に油を注ぎ、マロンに乗っている時まで説教されるなど、彼女は思いもよらなかった。




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