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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第七章
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第七章-88

 筋骨隆々の大男は、逆風にオレンジの髪を煽られながら両腕を振り上げ、戦車のように疾走する。周りを気にする余裕などない。ときには欄干(らんかん)を足掛かりに跳躍し、砲塔(ターレット)との距離を一気に縮める。高く跳躍するとき、ディエゴの目下には乱闘する水軍がおり、彼らの頭上を越えた先に着地した。

 着地したのは、砲塔の上である。


 ドシンッ! と上から大きな音がして、砲塔内が縦揺れする。砲兵たちは最初、アシ号からの砲撃かと誤解したが、望遠鏡でアシ号を捉えていた観測手は「違う、向こうじゃない!」と叫ぶ。

 すると、砲塔のあちこちから激しい揺れとともにドン、ドン! と叩く音が響いた。ディエゴがひたすら砲塔の外壁にパンチとキックを繰り出していたのだ。

 ミスリル合金で造られた外装は岩より硬く、オークの戦士の筋力を以てしても、たやすく破壊することはかなわない。同じ箇所を5、6回パンチしても、せいぜい表面が少し凹む程度にとどまった。

「クソ、滅茶苦茶かてぇ!」

 ディエゴはその大きな拳の、壁にぶつかるところ――拳頭(けんとう)に青あざができても、絶えずパンチを続けた。彼は回り込んで砲身をへし折ろうとも一度は考えたが、砲塔内部の砲兵が砲身を自由に動かすのは先ほど目撃したので、自分を撃ってくるリスクが高いと判断し、砲身へ近づくのをやめたのだった。

 だからといってこのまま壁を殴り続けていても、いくつかの凹みしかできない。


 砲塔内にいる砲兵たちは、最初こそ何者かの攻撃に驚いていたものの、それが壁を壊すことはないだろうと(たか)(くく)った。

「ハッ。どこの間抜けか知らないが、ミスリル合金の装甲が容易く破れるわけがない。馬鹿がよ!」

 冷静な兵士がシビアな指摘をする。

「しかしこの揺れでは、照準がずれてしまいます」

 砲兵隊は砲撃を中断せざるを得なかった。

「外に出て倒すか……?」

 ある兵士はマスケット銃を担ぎ、内側から施錠された鉄扉を(あご)で示した。

それを他の者が手をかざして制止する。

「この衝撃だぞ。相手は只者ではない」

「他の部隊は何をやっているのか!」

 結局のところ、砲兵たちも得体の知れない敵に怯え、反撃する術なく砲塔内に閉じこもっており、双方とも立ち行かない状態となった。彼らが話し合う最中も、ずっと壁を殴る音と衝撃は続いている。

「ちくしょう!」

 ディエゴの叫びは、砲兵隊の心情にも当てはまっていた。


 そこへタラッサが、敵兵の横面(よこつら)鉄扇(てっせん)で叩きながら飛び込んできた。彼女は砲塔の上に登ったディエゴを一目見ただけで、瞬時に事態を把握する。

「あんたでも壊せないんだね」

 そして手にした自分の鉄扇に目を遣ると、砲塔の外壁にガンッと叩き込む。試しにやってみたような何となしの行動だったが、結果として彼女は、鉄扇を通じて伝わった衝撃で、手首を軽く痛めた。

「いったた……」

 痛めた手首をもう片方の手で抑えるタラッサに、ディエゴは声をかける。

「この……何て言うんだ? まあいいや、このタイホーの鉄の箱をよ、さっきから叩いてるのに全然壊せねぇんだ! 男どもの中に、なんかデカい得物を持ってる奴はいねぇのか?」

「オークの力で壊せないなら全員無理だよ」

 ズバッと答えるタラッサだったが、周囲を見回したとき、甲板に落ちていたある物に目が留まると、表情を明るくさせた。

「……いや、何とかなるかも。皆、これ運ぶのを手伝って!」

 次期水軍頭領の言葉に、水兵たちがぞろぞろと集まった。彼女たちが拾い上げたのは、白く厚みのある布で作られた消火ホースである。ホースの先端は、金属製の散水ノズルが取り付けられており、水を噴射あるいは止めるためのレバーが付属している。


「それをどうすんだ?」

 首を傾げるディエゴに、タラッサは散水ノズルをずいっと押しつけた。

「あの『鉄の箱』に向けて、しっかり持っていて」

「こうか?」

「もうちょっと近付いて。あと一歩。そうそう」

 ディエゴはホースの散水ノズルが、砲塔にぶつかりそうなほどの至近距離まで近付いた。


 話が見えず困惑するディエゴをよそに、タラッサは片手を振って声を張り上げる。

「手が空いてる人は、あたしについてきて!」

 すると敵を始末したばかりで汗や返り血を拭う水兵たちが、わっと一斉に彼女のもとに集まった。

「船の中に入るよ!」

 そしてタラッサ率いる水兵たちは、甲板の奥にあるハッチへと走り出す。

 ディエゴは振り返りざま、船内に侵入していく彼女たちを見送りながら、口をポカンと開けた。

「マジでどうする気だよ?」

 次の瞬間、彼は殺気を感じて振り返った。いつの間にか静かに砲塔の鉄扉が開かれており、わずかな隙間から銃口が見えた。

 パァンッ、と銃声が間髪入れずに鳴り響くも、ディエゴはとっさに身体を捻って銃弾を避けた。そして身を捻ったと同時に軸足を回し、鉄扉に後ろ蹴りを叩きこむ。

「オラァッ!」

 ドバァンッ!と、ひときわ大きい衝撃音とともに、砲塔の扉が再び閉ざされた。


 狙撃を試みた砲兵は、肩で息をしながらマスケット銃に新しい弾を込める。扉から離れるタイミングがあと数秒遅かったら、彼はディエゴの蹴りをまともに食らっていただろう。

「オークだ……!」

 苦々しく吐き捨てるような彼の一言に、他の砲兵たちは一様に唖然(あぜん)とした。しかし今まで砲塔が激しく揺れていた原因がスッと理解できて、その場にいる誰もが恐怖とパニックを押し殺しているはずなのに、どこか妙に冷静になれた。あまりにも衝撃的な現実を目の当たりにして馬鹿馬鹿しくなり、かえって落ち着いてしまったのだった。

「くそっ、オークなんてまともに相手できるか!」

「やはり敵船を攻撃し続けていたほうがいいのではないか。この揺れで狙いが定まらなくても、威嚇(いかく)にはなるだろう」

 砲兵隊はそう判断すると、アシ号への小型砲での威嚇砲撃を再開した。ヒュボオオオオン!と、アシ号に向かって、何発か砲弾が飛んでいく。


「来るぞ!」

 アシ号の水兵たちは舵をとって船首を動かし、あるいは迎撃しながら、駆逐(くちく)(かん)の攻撃を防ぐ。しかし海に落ちた砲弾による波で、甲板の上は激しく揺れた。

 ユージンはミルコを伏せさせながら、荒れる波に耐えた。近視の進んだ目を細めて駆逐艦のほうを睨む。

「ディエゴ……!」


「やめろ! 撃つんじゃねーよ!」

 ディエゴはホースを抱えたまま、砲塔の外壁を何度も蹴り上げた。


 そのときである。


「お待たせ!」

 ハッチから船内に入ったはずのタラッサたちが戻ってきた。予想よりずっと早い再会にディエゴが面食らっていると、彼女は自分の足元にあった消火ホースを抱え上げ、ノズルのレバーを指差す。

「レバーを動かして、ホースと向きを合わせるように!」

 オークの青年は言われた通りレバーを動かす。

「こうか? うおっ!」

 すると、金属のノズルから凄まじい勢いで、大量の水がブシャアアアアと噴射された。怪力の彼はひとりでも水を噴射しているホースを持つことができるが、タラッサは水兵たち何人かと一緒にホースを抱えている。

「回り込んで、このホースの水を大砲の口にぶち込むよ!」


 たった今、プリムローズとオリバーは船内の乗組員を次々と倒している最中である。各所に配置された、消火栓の前に陣取っていた乗組員らは皆すでに事切れている状態で、タラッサたちは消火栓のバルブを開き放題だったというわけだ。


「火薬に水をかけて、使い物にならなくさせよう!」

 タラッサは砲弾の火薬が湿気ると使えなくなることを知っている。

「よっしゃあ!」

 ディエゴはさっそく砲身へ回り込もうとした。


 ところが、砲塔の鉄扉を開かれ、数人の砲兵たちが飛び込んでくる。

「そうはいくか!」

 彼らは砲台を守るため、他の砲兵がアシ号への威嚇砲撃を続けるあいだ、マスケット銃でタラッサたちを妨害しようというのだ。

 手の空いた水兵たちが前に出て、ホースを持ったタラッサを庇う。

「お(じょう)の邪魔すんじゃねえ!」

 果敢にも砲兵に向かって、剣を握り込んだまま突進した。だが、必死の覚悟をしているのは相手も同じで、目を血走らせた砲兵は引き金を引いて、あっけなく水兵たちの命を散らせた。

「グアアアア……ッ!」

 目の前で倒れた部下たちに、タラッサは目を見開く。

「……ッ!」

すかさず、一緒にホースを抱えていた他の水兵が、背後から若き船長に叫ぶ。

「走ってください! あいつらの死が無駄にならないように!」

 

 タラッサは目から零れた涙を振り捨て、消火ホースを抱えたまま走り出した。

「……ッ、うおおおおおおおおお!」

 それを見たディエゴは、脇目も振らず、砲塔で一番高い所にある砲身を目指して走る。これ以上アルカネット人に好き勝手やらせてたまるか、と悔恨を胸に抱えたまま、限りなく祈りに近い心で、砲口に大量の水を噴射させた。


(どうか、これで……!)


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