第三章 地下深くより現れし刺客Ⅲ
「残念ながら……」
エヴァンは首を横に振ったが、後ろにいたフィリポが、そういえば、と口を挟む。
「俺、確かお前の荷物の中に、ほらあの、ユリエルが作った虫除けの匂い袋入れといたぞ!」
そう言って彼は、エヴァンの馬に載せた荷袋を指さした。
「貴様……他人の持ち物を断りもなく、いじっていいと思っているのか!」
エヴァンは赤茶髪を振り乱しながら、唾を飛ばして怒鳴った。
「渡したのに置いてこうとすんだもん。プリムローズ様、あと粉末ではないんですけど、細かく削ったのなら……」
フィリポは自分の馬に載せた荷袋に腕を突っ込み、ゴソゴソと探ると、「あった!」と呟いた。掌ほどの小箱の蓋を開け、中身を彼女に見せる。
箱の中には、削られた木屑がみっしりと詰まっていた。火を点けるときに便利なのだ。
「おがくず……いいですね! 使ってもいいですか?」
「はい、いいですけど……?」
プリムローズは木屑の入った小箱を受け取ると、マロンから下りて地面に座り込んだ。そしてキュロットのズボンから、木綿の白いハンカチを取り出すと両膝に敷き、その上からパラパラと、木屑をかけた。
何をするつもりなんだろうと、フィリポが首を傾げていると、その横を駁青毛の馬に乗ったマシューが通り過ぎる。
「手の空いている者は、さっさとビクターの助太刀をしろ」
二刀流のまま手綱も引かず、馬に乗って巨大モグラへ向かった。
エヴァンは彼の背中を睨みつけると、小さく舌打ちした。そして自分の荷物の中にあった匂い袋を、プリムローズに託した。
「何かお考えがあるようですが、くれぐれもプリムローズ様は、魔獣に近づかれないようになさってください。ご要望は何なりと、このエルフにお申し付けくださいますよう」
「おい」
仲間の冷ややかな視線に構わず、エヴァンも魔獣のほうへ向かって馬を走らせた。
プリムローズはハンカチの上に、木屑、匂い袋の中に入っていた粉砕されたハーブ、そして山菜を調理したときにも使った塩を大量に盛り、両手で揉みこんだ。ざっと混ぜ終えたら、ハンカチの端を摘まんで茶巾のように包み、ギュッと捻じった。簡素な作りだが、いわゆる催涙弾である。
「これを、あのモグラの鼻へ投げ入れたいのですが」
ハンカチの茶巾をこしらえると、彼女は馬上のフィリポに手渡した。彼は驚きながら、長い耳をピン、とバネのように揺らす。
「なるほど、これを奴にぶつければ刺激が強くて、動きが鈍くなるかもしれませんね!」
しかし、どうやって茶巾を巨大モグラへ投げつけるかが問題だ。素手で投げても、スピードが遅くて鼻の触手に跳ね返される恐れがあるし、途中で茶巾の中身がこぼれてしまうかもしれない。茶巾を速く、正確にモグラの鼻へ命中させるには、やはりここはフィリポの得意とする弓が必要不可欠だ。
彼はさっそく矢文のように、矢柄に茶巾を括りつけた。だが。
「重いな、これ」
茶巾はずっしりと重みがあり、一本の矢を射るのに相当な腕力を要する。しかもフィリポたちのいる場所からだと、魔獣から50メートル以上は離れており、短弓の威力では届かないだろう。
「ロング・ボウ持ってくりゃ良かった……馬に乗るからいいやって、詰所に置いていったの、下手こいた」
「余計なことをしてしまいました……?」
プリムローズがすまなさそうに眉をㇵの字に下げると、フィリポは、全然そんなことないです、と顔を上げる。
「プリムローズ様のアイデア、俺はいいと思いますよ。ちょっくらモグラに近づいて、撃ってきますね」
彼は月毛の馬を走らせ、仲間が苦戦している巨大モグラへと向かった。
「ハアッ!」
ビクターが水刃の槍を魔獣の腹に打ちこみ、水圧でなんとか動きを防いでいるうちに、エヴァンとマシューは左右に回りこんで、斬撃を繰り出した。
「テヤァーッ!」
だが何度も剣を振り下ろしても、肉を斬ることは叶わず、刃は岩のように硬い皮膚を滑るだけであった。
「核は胴体にないのかもしれんな……」
マシューは、レイピアで刺してもびくともしないこの巨大モグラを煩わしげに見上げ、白い眉を顰めて呟いた。
すると、エルフの騎士が馬でこちらに真っ直ぐ駆けてくる。
「皆、俺を援護してくれ!」
彼は前進しながら茶巾を括りつけた矢を番え、キリリ、と弓を引く。戦術において弓兵が敵に突進するなどあり得ないことだが、3人の騎士は茶巾を見るなり、これは何かの策があるのだと判断し、射線上に立たないようサッと避けた。
ビクターの水刃の槍が逸れると、巨大モグラは一気に反撃に出た。鼻の触手を蠢かせ、左手の鋭い爪で近寄ってくるフィリポを襲おうとする。
「フヌッ……!」
だがその直前に、マシューが飛び込むように馬で疾走し、剣で防ぎきった。右手のレイピアで、頭上にあるモグラの爪先を押し出すようにガードしながら、さらに左手のマンゴーシュで、肉色の爪の生え際あたりを薙ぐ。皮膚は硬く出血はしなかったものの、モグラは左手を引っ込めた。
二刀流ならではの攻防一体の剣術である。
しかし、そんなマシューを、今度はモグラの右手がフック技で襲いかかる。彼は後ろからやってくるフィリポを意識していたため、とっさに反応できなかった。乗っている馬が殺気を感じて、体の向きを変えたときには遅かった。
「テヤァァァァァ!」
前に出たエヴァンがサーベルを振り下ろし、モグラの右手を退かせたからだ。
マシューはフゥと、息を吐くとエヴァンへ、困ったような皺くちゃの笑顔を向けた。
「すまんな。年取ると反応が鈍ってきちまってなぁ」
かつての戦友と同じ赤茶色の髪をした部下は、突き放すような鋭い視線を送る。
「あまりご無理をされないほうがいい。……かなり進んでいるのでしょう」
「……!」
マシューは目を見開き、言葉を失った。
「フィル、今だ!」
ビクターが大声を上げると、フィリポは巨大モグラの鼻めがけて矢を放った。ヒュンッ、と湖にいたときのようにあっさり命中したが、やはり触手が蠢いて刺さった矢を引き抜く。
その拍子に、括りつけていた茶巾のハンカチがバサッと開き、中身がモグラの鼻全体に霧散した。
虫除けのハーブの匂いのきつさや、ザラザラの木屑、粒子の粗い塩が触手を刺激したのか、巨大モグラは唸り声を上げて苦しみ悶えた。
「ジギイイイイイイイイイイイ!」
触手は感覚が鋭いぶん、刺激物に弱かった。
(効いたわ!)
モグラが暴れて地面を揺らし、遠くにいたプリムローズもよろめいてしまったが、その様子を見て拳を固く握りしめた。
エヴァンは芦毛の馬グレースに乗って、土の中に潜りこもうとした巨大モグラの上半身を伝って、背中へと上る。
「逃がすかァッ!」
ずんぐりむっくりした背中を叩くと、ブヨッとした感触があった。――この魔獣の核は背中にあったのだ。




