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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第一章
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第一章 シャーロットのお見舞い

 

「シャーロット、具合はどう?」

 城に戻るとプリムローズは今朝と同じく、シャーロットの部屋を訪ねた。


「お姉様」

 シャーロットはまだベッドに横たわっているが、朝より顔色が良くなっていて、意識もしっかりしていた。


「お昼頃にお熱が少し下がられました」

 乳母のマドンナは、プリムローズ達の後ろで、手元のワゴンからハーブティー用の茶器を用意し始めた。


 プリムローズは髪に飾っていた白薔薇を引き抜き、小さな円卓の花瓶にストンと挿すと、シャーロットの元へ歩み寄った。


「貴方に渡したい物があるの」


「なあに」

 シャーロットは顔をプリムローズの方へ向けた。サラリ、と髪が枕を滑る音がする。


 プリムローズは掌の絹の小袋を差し出した。市場の露店で購入したサシェだ。


「わぁ、可愛い……!」

 シャーロットは上半身だけ起こし、サシェを受け取ると、嬉しそうに顔を綻ばせた。その様子にプリムローズは満足げに頷く。


「それね、貴方のお守りよ。きっと良くなるわ」

 プリムローズは、熱を出すほど不安がるシャーロットに、心の安定を保てるような、いつでも身につけられる品を贈りたかったのだ。


「ありがとう、お姉様……。ラベンダーのいい香りがするわ」

 小さな妹はサシェを、姉の気持ちごと大事そうに、両手で包み込んだ。


「ラベンダーは癒しの効果があります。お優しい姉君様がいらっしゃれば、シャーロット様もご安心ですね」

 マドンナは姉妹にハーブティーを振るまい、微笑ましげに見守る。


 プリムローズは収穫祭の件をぼかしながら、マロンでの散歩の話や、季節の風景について聞かせた。シャーロットもリラックスした様子でハーブティーを啜り、元気になったら外に出たいと返事をした。




 シャーロットと他愛ないおしゃべりをし、部屋を後にするともう昼過ぎだった。プリムローズは王家の居館から、侍女たちの部屋のある階へ下りた。怪我をしたアイヴィーのことが気になったのだ。


 廊下の途中で、見覚えのある人物を見つけた。


 樽の如くずんぐりむっくりした身体に藍色のローブを纏う、総白髪を短く整え、楕円型の銀縁眼鏡を掛けた初老男性だ。


「……これはプリムローズ様、ご機嫌麗しゅう」


 たるんだ顎を動かしながら、彼はのっそりと一礼した。この男に会う度に、王女は昔読んだ本の挿絵にあった、遠い異国にいるという白黒の毛色をした熊を思い出し、可笑しさと和みが織り交ざった気分になる。

「ご機嫌よう、クレメンス。いつもの執務に加え、父の代理としての務め、ご苦労です」

 プリムローズも挨拶を返した。


 このクレメンスはベリロナイト王国の宰相であり、バクストン6世の補佐として政治に携わっている、文官の最高責任者だ。


「そのようなお言葉、恐れ多く存じます……。ああ、アイヴィーなら先ほど中庭におりましたが……」

 クレメンスは、暗い声色だが滑舌は良いという奇妙な口調で、アイヴィーの行き先を教えた。第一王女が下の階に下りるのは、専属の侍女に会いに行く時だと察したのだ。


「あら、外の方だったのですね。ありがとう」

 それでは、とプリムローズは踵を返して中庭へ向かった。彼女の後ろ姿が遠くなるのを、クレメンスは何を考えているのかわからない無表情で見送った。そして、後方に視線を送る。

「……もう、良いぞ」


 宰相の背後にある円柱の陰から、男が一人現れた。


「かたじけない」

 騎士のエヴァンだ。その表情は張りつめたような緊張感があり、片膝を立てて身を屈めていた。親しいプリムローズ姫の前に姿を現せないほどの事情が、現在の彼にはあるらしい。


「例の件、早急に対処せよ……」


 はっ、とエヴァンは一礼し、立ち上がりざまに廊下を駆け抜けた。


 クレメンスはふう、と溜め息を漏らすと、そのまま何食わぬ顔で、ローブの裾を擦りながら自分の執務室へと歩き出した。




(何としても、今晩中に片付けなければ!)


 干したてのリネンを乗せたワゴンを押す侍女や、明日の晩餐会の準備で往来する文官らの目を盗み、エヴァンは駆け足で城の裏口へ向かった。騎士団の詰所から正面口の城門へ出たほうが早いのだが、裏口のほうが人目につかないうえに厩が近い。


 エヴァンが裏口から城内を出て、厩の手前にいる馬番の兵士に「急用がある」と言って自分の馬を連れて行こうとした時、彼にとって最悪の人物に遭遇してしまった。


「おお、エヴァン。お前も馬の世話か?」

 くたびれたシャツの袖を腕まくりしながら、マシューは厩の藁を熊手で掻き集めていた。


 これから新しい藁を敷くのだろう。彼は作業の手を止め、くぅ~、と唸りながら背中を伸ばした。そして赤ら顔にかいた汗を、首にかけた使い古しの手拭いで拭う。

 その年寄りじみた野暮ったい一挙一動に、エヴァンは冷ややかな視線を送っていた。

「いえ、私は用事があるのでグレースに乗ろうかと……」

 グレースとはエヴァンの芦毛馬の名前である。


「副団長ともあろう方が、ご自身で厩の掃除をされるとは、少々お勤し過ぎるのではございませんか」

 エヴァンは自分のことを深く詮索されないよう、あえてマシューに話題を投げかけた。

 目上の者を労っているようで、「ここにいられては邪魔だ」と皮肉を含んでいる部下の言葉に、マシューは嫌な顔一つせずに目尻を緩めた。


「ここじゃ騎士なら皆、自分の馬の世話をするだろう。副団長も団長も関係ないさ。これも仕事の内だからやってるんだ。俺は怠け者だからな、報酬の出ない面倒な事はやらん!」


 きっぱり言い張ると、ベテランの騎士はアハハ、と大きく口を開けて笑った。彼のふざけた感じの物言いに、エヴァンはますます嫌悪感を募らせた。


(報酬、か。騎士道精神のない男だな。こんな奴に父は……己が利益になる事ならば、道義に反した行いもするような汚らわしい男だ!)


 エヴァンは目の前のマシューが絶対に許せなかった。胸の内に燃え上がる復讐という炎を、歯を食いしばって静めた。

「……では、失礼致します」

 激情を堪えながらさっと一礼すると、エヴァンは外套の裾を翻し、マシューを通り過ぎた。その背中は憎悪に焦がれていた。


(今はそうやって間抜けな面を晒せばいい。この手で必ず断罪してやる――父の仇、マシュー……!)


 エヴァンはグレースのいる小屋へ行き、鞍と手綱を装着させると、そのまま愛馬に跨って放牧場の丘を下りた。


「……やっぱり、そっくりだな……」

 一瞬だけ真顔になり、誰に聞かせるでもない独り言を呟くと、マシューは止めていた作業の続きを始めた。


 そのとき、城門側の入り口のほうから「ああー!」と若い男の大声がした。

「あいつ馬に乗ってっちゃったぞ! もう、どこまで追いかけたらいいんだよ!」


「どこまでも追いかけてみせるさ」


「何かかっけぇな、それ!」


 声の主はフィリポとビクターだった。二人は戦支度をしてエヴァンを追ったものの、エヴァンの行き先とは反対方向の城門から出てしまったので、放牧場のほうへ馬に乗って走るエヴァンを見つけた時には一足遅かったのだ。


「お前ら、うるさいぞ。馬が怯える」

 マシューの声掛けに、ビクターたちは大袈裟なくらい驚いた。

「副団長……」

 青ざめるフィリポの両耳がピンっと上下に揺れた。どういう仕組みで耳が動くのだろう、とマシューはいつも不思議に思う。よく見れば背中に矢筒と弓を背負い、腰の刀帯にサーベルを下げている。


「なに、狩りにでも行く気か」


「あの、えっと」


 マシューが腕組みして片方の眉だけ釣り上げ、訝しげな表情をすると、動揺したフィリポは、あたふたと視線を泳がして、最終的に横にいるビクターを縋るように見つめた。ビクターも槍を手にしている。


「……実は、エヴァンが剣を持ったまま外へ出たので、後を追っている最中なのです」


チームの年長者は正直に答えた。日に焼けた色黒で大柄、そのうえ頭髪を左半分剃り込みにしているような派手な外見だが、受け答えはしっかりしている。眼鏡越しの真っ直ぐな眼差しに嘘をついている様子はない。マシューはビクターとフィリポ、双方を見て頷いた。

「わかった、馬で追いかけてくれ。後で報告を忘れるな」


「了解!」

 二人は上官の理解の速さに面食らったが、普段の訓練が身体に叩きこまれていて、すぐさま敬礼をした。素早くそれぞれの馬へ向かい、フィリポが鼻筋だけ白い月毛の馬チャコ、ビクターが黒鹿毛の馬レヴィアタンを連れ、厩を後にした。


 蹄の音が遠のいていくのを聴き、マシューはまた、ぼそりと独りごちた。

「天高く、馬駆ける秋」


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