蛇足
鼻につく饐えた臭いで目が覚めた。
何かが腐ったような臭い。それに、何だ? この立ち込める体臭というか、悪臭は? 鼻が曲がりそうだ。
自分が横たわっているのが地面というのが、また信じられない。整えられた床でもなく、土の匂いがする地面など。周りには複数の人の気配。
ここはどこだ?
幻覚と複製の魔法で国宝を持ち出し、生意気な公爵家の次女に仕掛けたのが数か月前。
幼少時、髪飾りを取り上げたことに、深い意味はなかった。この僕の、王家からの婚約の申し出という栄誉を理解しない愚か者へ、何かしら罰を与えてやろうくらいの。
今にして思えば、幼かったなと。あの程度で、仕置きしたつもりになっていたとは。
後にそれを利用できると知り、過去の行為は英断だったと自賛したものだ。
入れ替わりの国宝については、使用は許されてないのを前提に後嗣のみに口伝で受け継がれたものだと、偶然耳にした自分は何と幸運であったことか。
やはり自分は選ばれた人間なのだと認識を新たにした。
あの弁えてない娘に、立場を分からせた後で結婚してやるつもりだったが、再び断ってくるという不敬。
勢いで国宝を叩きつけてしまって少しだけ後悔しなくもなかったが、些末なことではある。宝物庫の複製は似たものを用意するかと魔法を解除したのだが、何故か同じ球体のものがあって首を傾げたものだ。
この僕に恥をかかせた報復として、公爵家をどうしてやろうかと策を練っていたところだったのに。
視界の先は、鉄格子がはめられている。そして、転がっているのは貧困層の浮浪者のような不潔で汚らしい、目を背けたくなるものたち。
僕は、汚いものと臭いものは大嫌いなんだと顔を顰める。
誘拐でもされたのか?
しかし、身代金を要求するにしても、この扱いはおかしくないか?
手枷、足枷。身に纏っているのはボロ布。まるで、罪人でも扱うかのような…。
「起床の時間だ、起きろ!」
鉄格子の向こうから、男の声が聞こえると同時に、横たわっていた人間が一斉に起き上がった。
「番号!」
「103!」
「105」
「106!」
「109!」
何が起こっているのか分からず戸惑っていると、男が自分に向かって怒鳴る。
「おい、108、何故返事をしない?!」
「? それは、僕に言っているのか? 第二王子のこの僕に?」
「…第二王子?」
「そうだ、何故僕はこんなところに、」
至極真面目に状況を聞こうとすると、男は声を上げて笑い出した。
「なんだ、またお得意の妄想か。今度は第二王子ときた」
「何が可笑しい!」
「いいか、108。どんな妄想しようが勝手だが、労役はさぼるなよ。でないと飯抜きだからな」
「妄想じゃない! 僕は…!」
「あーはいはい」
笑いながら男は、僕を含めた数人の男たちを牢から出した。
外は、灼熱地獄といってもいいほどの気温の高さだった。まだ早朝だというのに、日が高い。
ここは南の国、シャバラではないか?
訪れたことはないが、知識としてあるだけの国。
第二王子のいた国は、四季はあれど、真夏でもこれほどの猛暑ではない。
何故、こんなところにいるんだ?
しかも労役だと? 何故僕が?
連れてこられた場所は、岩窟に覆われていた。何人かで固まって、それぞれ何かをしているようだ。
「おい、そこのお前」
「……」
共に牢に入っていた男に話しかけるが、無言で作業を始めた。
目的は分からないが、掘った土を運ぶのを延々繰り返している。
「おい!」
「そこの、何してる!」
自分たちとは違う、自分を笑い飛ばした先ほどの男とは違う、やや身なりの整った男がこちらにやってくる。第二王子から見れば、それでもみすぼらしいものであったが。
「108だな、何をぼーっとしてるんだ!」
「いや何でこの僕がこんなところにいるのかと、」
聞こうとしたと口にする前に、しなった鞭が振るわれた。
衝撃が身体に走った。
「! 何をする!!」
「まだ、口応えするか!」
2度、3度と背中に走る、初めての痛みに蹲る。高貴なこの僕の体に、なんという暴挙を…!
「早く作業開始しろ! お前は昼食抜きだ!」
痛みに呻いていた僕を無理やり立たせ、作業を強要される。滝のような汗を不快に思う間もなく、日が暮れるまで力仕事をさせられた。
本当に食事を抜かれ、空腹を覚えながらも作業は再開する。疲れて動けなくなったら、容赦なく鞭は振るわれた。
疲れ切っていたが、苛立ちでその日は眠れなかった。
この僕に暴力をふるった男は、必ず罰してやると心に誓う。
しかし、そんな日は訪れない。
繰り返し、繰り返し、反抗しては鞭を振るわれ、時に殴られ、さすがに抵抗する気は失せていく。
依然、自分が何故こんな目に遭っているのかは分からなかった。
断片的な情報ではあったが、ここは重罪人の流刑地らしい。
人間も資源のひとつ。ただ死なせるだけなど無駄の極みというのが、シャバラの王の考えだというのは聞いたことがある。
死ぬまで働かせて、国に貢献しろということだと。
つまりここは、出ることは適わない、死刑囚の地。
──何故、こんなところに?!
壊した国宝以外に何かがあって、仮に入れ替わったとしても、どう見ても第二王子と同じ年でも同じ色彩でも、それに第二王子の所有物を、この身体は入手できる機会があるわけがない。それが条件だったはずだ。
一体、何故…?
毎日、毎日、過酷な肉体労働。灼熱の日差し。水もろくに飲めない。
少しでも休むと、鞭が飛んでくる。
食事も僅か。
ああ、王宮で何不自由なく暮らしていた頃が懐かしい。
戻りたい。あの頃に。自分の身体に。
誰か…!
誰か、助けてくれ…!!
「あ、おい、108!」
「…え」
声をかけられた瞬間、鈍い音と衝撃が身体を襲った。
「例の王子、岩盤に潰されたようね。まだ生きてるけど。あの環境じゃ、どれくらい持つやら」
「あら。でももう1年でしょう? あのひ弱で無能な王子にしては、持った方じゃないかしら」
「そう言われてみればそうかも」
「王宮の王子の方は?」
「あーあの子ね。元重罪人といっても、実は無実だったのよね」
「そういう子を、選んだんでしょう?」
「そう。でも、早々に自分は王子なんかじゃないって否定したのよ」
「まあ、正直な子」
「素直で正直で、だから騙されちゃったんだけど」
「うんうん」
「元第二王子より、格段に人間ができてるから、王宮では改心したって思われてる」
「それはそれは」
じゃあ、何も問題ないわね。
2人の聖女たちは、今日も世界のどこかで笑ってる。
ちなみに、牢に入ってた無実の子は、自分は何もしてないと訴えていたのが、妄想と言われておりました。
第二王子の名前? 名前を出す価値すらないかなと思って。




