第1幕 -4
非現実的な話すぎてにわかに信じ難い。自身の想像をはるかに超えた話に開いた口が塞がらなかった。
蓮太郎は政府に雇われているためにそこから聞き知ったと言うが、この街の人々も噂程度にはほぼ周知している内容らしい。
自分が実際に目にしたことではないからあくまでもそういった解釈だ、と俺に念押しした後で話し明かしてくれる。
数年前まではポルタ座はあの頃と同じ賑わいを見せていた。しかしとある日を境にポルタ座はぴたりと営業をやめてしまったという。
「その日からだったらしいんだ。この街で青空が見えなくなってしまったのは」
「それとポルタ座と、何の関係があるんだ?」
「この片田舎の街では悪魔取引の実状を知っている人間の方が少数派だ。でも大都の方ではそうでもないらしくて。大都の方では悪魔との契約は秘密裏に頻発しているようで、政府はこれを禁忌として排除するために、政府直属の悪魔討伐の精鋭部隊を結成したみたいなんだ。今は悪魔が横行する大都へのみの配属だけみたいらしいけどね。悪魔と人間が契約を結ぶとその契約の弊害として厄災が起こるとも言われているから未然にそれを防ぐためにも、悪魔を炙り出さないといけないんだって」
俺ははっと気づく。
「つまりはこの街は悪魔との契約の反動として曇天と霧に覆われてしまった、と」
蓮太郎は頷いた。
「ポルタ座の衰退の日とこの空模様になってしまった日が一致するのは事実みたいだからね。政府は悪魔とポルタ座の関係者の誰かが契約したのではないかって睨んでいるよ。実際、ポルタ座の事件と悪魔との因果関係は政府が確証しているらしい」
俺と蓮太郎の間に重い空気が流れる。事は思うよりも重大な様子だ。
俺はおずおずと蓮太郎に切り出す。
「そもそも『悪魔』って何者なんだ? 」
蓮太郎はそうか、と思い出したかのように笑う。
「その説明の方を先にした方が良かったかな。人のことを誑かし、苦しむ様を餌に生きる存在、それが『悪魔』」
厄介なのが、と蓮太郎は思い詰めた表情で呟く。
「それなりの代償は必要らしいけれど、悪魔という生き物は契約した人間には従順に付き従うらしいんだ。もともと悪魔は異国では信仰の対象となっていた神が堕天した姿と言われている。だから大都では悪魔に救済を求める人間が後を絶たないんだって」
あまりの知識量に圧倒された。どうしてそんなに詳しいのか蓮太郎に聞いてみれば。蓮太郎は心底居心地悪そうに身体を揺らす。
「……次の僕の仕事になりそうだから。勉強したんだ」
俺は目を見開く。動揺する俺をちらりと見て、蓮太郎はへにゃりと笑った。
このポルタ座での1件で、政府はこの街にも部隊を置くことにしたらしい。
「ああ、でも僕は前衛部隊には立たないよ。政府曰くこの機械いじりの腕を見込んで、悪魔の探査装置を発明して欲しいんだってさ。無茶言うよね、全く」
必死に笑顔になろうと努力をしているように思えたが、蓮太郎の表情は引き攣っている。
それもそうだ。こんな片田舎にまで政府の悪魔討伐政策がいよいよ発令される。蓮太郎だって実際に目にしたことがない、人間ではない得体の知れない存在。そんな奴らと対峙しなければいけなくなってしまった恐怖は計り知れないものだろう。俺は言葉を失ってしまった。どう声をかけてやればいいんだろうか。
俺が言葉を発せないでいれば。蓮太郎は悲しげに目を細めてポルタ座を見つめる。
「でも悪魔に悩まされている人の力になれるのなら、僕はこの街のためにやらなければいけない」
俺はふと思い出す。彼女――サラさんのことだ。
「ポルタ座の彼女もこの事件に関係があるのか?」
それを聞くや否や蓮太郎は苦しげに顔を歪める。
「あの子が1番の被害者と言っても良いくらいだ!」
穏やかそうな蓮太郎からは想像できなかった、憤慨した顔つきに思わず驚いてしまう。
「ポルタ座はあの事件の後、経営関係者も演者もいなくなってしまった。悪魔騒動のせいで今なお街中から後ろ指をさされている状態だ。現在ポルタ座には経営責任者である彼女の父親と演者だったあの子しか住んでいない。だけど父親はそんな状況のせいで心労で病に倒れて入院してるって聞いたよ。あの子は今、ひとりぼっちなんだ」
わなわなと怒りに震える蓮太郎が落ち着きを取り戻すまで、しばし沈黙が続く。息をふっと吐いて、冷静になった蓮太郎は俺に謝罪する。
「ごめん、つい熱が入っちゃって。でも許せないんだ。悪魔と契約した誰かのせいで関係のない彼女たちが巻き込まれている。自分の幸せのために大多数を犠牲にしてしまえるずる賢い悪魔と人間たちのことをどうしても許すことができないんだ」
真実を知った俺も蓮太郎の意見に全く同意だった。
「今日、蓮太郎と会う前に実は彼女に会ったんだ。笑っていたよ。そんなことになっているだなんて感じられないくらいに、彼女は強く思えた。必ずまたポルタ座の舞台に立ってやるって言わんばかりの気概も感じられるぐらいに、彼女は素敵だったよ」
サラさんの強い光を宿した瞳を思い出し、俺はふっと微笑んだ。蓮太郎も険しい表情をやっと和らげてくれる。
「篤也、彼女に何て言ったんだい?」
いきなりの問いに俺の心臓は飛び跳ねた。しどろもどろになりながらも必死に答えようとする。
「そんなに長話したわけじゃないけれど。えっと、前にポルタ座で演劇を観た感想と、素敵な舞台をありがとうってお礼を言って。そしてまたポルタ座で演劇が観たいって」
「かなり情熱的だね。大ファンじゃないか」
茶化してくる蓮太郎に向かって、恥ずかしさを振り払うように声を荒らげた。
「本当はポルタ座の舞台に立つためにこの街に来たんだけどな! でも流石にこの状況でそれは言えなかった」
「でもきっと彼女、嬉しかったと思うよ。今まで忌み嫌われてきたポルタ座への感謝の言葉を聞けたんだから。篤也のお陰で相当救われたんじゃないかな」
その言葉にはっと息を呑んだ。胸が熱くなる。目頭もじわりと熱を持って。
静かに呟く。
「……俺、少しでもポルタ座の、あの子の力になれたかな」
それとなく聞いてみる。蓮太郎は黙って俺の肩を叩いてくれた。
少しでもポルタ座に自分が関われたのなら。彼女にとって前を向くきっかけになれたのなら。それだけで充分だ。きっとこれは自己満足に過ぎない。そうだとしても、ポルタ座への思いはしっかり彼女に伝えたつもりだ。
あの時の彼女の決意の表情が俺の目にはしっかりと焼き付いていた。しかし今思えば、その決意の中で僅かながらに揺れる何かに妙な胸騒ぎを覚えて。
霧がかった街の曇天の向こうで日が傾き始め、街に淀んだ暗闇を落とす。
何故だか気分が重くてたまらなかった。