深層Webの聖域。……あるいは、赤提灯と紫の煙
「……ふにゃぁ。……なんだか、懐かしい『煮込み』と『タバコ』の匂いがしますわ……」
現実世界の空中要塞で「ヨシヨシ・オーバーフロー」を起こし、気絶した私の意識は、暗黒の虚空(メモリ空間)を漂っていた。
そして、たどり着いたのは――。
ネオン管がチカチカと明滅する、昭和の場末の路地裏だった。
「……あ、あれは……! 前世の私が、毎週金曜日の21時15分(定時後)に必ずチェックインしていた、居酒屋『雷電』……! そしてその隣は、二次会で記憶を消去するために通っていた、**スナック『紫苑』**ですわ……っ!!」
暖簾をくぐると、そこには腕組みをした頑固そうな「大将」と、紫の着物に身を包んだ、妙に色っぽい「ママさん」が並んで立っていた。
「よお、おっさん。……いや、今はリリアーナちゃんだったな。……おい、お前、いい加減にしねえか。向こうの世界で、何が『世界平和』だ」
大将が、焼き鳥の煙を団扇で扇ぎながら、呆れたように舌打ちをした。
「そうよ、リリアーナちゃん。貴女、おっさんの自我を隠れ蓑にして、随分と贅沢な『両手に花(熟女とマッチョ)』を楽しんでいるじゃない。私たちの目は誤魔化せないわよ?」
ママさんが、細い煙草をくゆらせながら、妖艶な微笑みで私を指差した。
「ひゃぅぅぅっ!? ……た、大将! ママさん! ……違いますわ! ……私はただ、静かにビールを飲んで、だらけたかっただけなのに……、周りが勝手にバグ(過剰な愛)を送り込んでくるんですのよぉぉ!!」
私はカウンターに突っ伏し、前世の魂のままにボロボロと涙(アルコール分)をこぼした。
大将は、冷えたビール(大ジョッキ)を私の前にドンと置いた。
「いいか、おっさん。お前が本当に求めていたのは、そんな『他人に甘やかされるだけの天国』じゃねえだろ。……納期に追われ、理不尽な仕様変更に耐え、……その果てに掴み取る、**『能動的な一杯のビールの旨さ』**だったはずだ!」
「大将……っ!!」
「そうよ、リリアーナちゃん。愛されるのもいいけれど、貴女は『職人』なの。……誰かにコード(人生)を書き換えられる前に、自分自身で『定時退社』を確定させなさいな。……ほら、これでも歌って、憂鬱をログアウトさせちゃいなさい」
ママさんが、有線のリモコンを私に手渡した。
画面に流れるのは、【定時退社音頭:作詞/リリアーナ(中身45歳)】。
「……っ!! ……そ、その通りですわ……! 私は、……甘やかされるだけの『サーバー』になり下がっていた……! 私は……、……定時退社をこの手で勝ち取る、……『デベロッパー』ですわぁぁ!!」
私はビールを煽り、マイクを握りしめ、魂の叫びを熱唱した。
その瞬間、私の精神世界から**『究極の定時退社プロトコル』**という名の数式が、濁流のように溢れ出した。
【定時退社の限界方程式】
T_exit = T_now + Σ (W_task / P_skill) - B_interrupt
(T_exit: 退社時刻、T_now: 現在時刻、W: タスク量、P: 生産性、B: 割り込み(ヨシヨシ等のバグ)。Bをゼロにすることで、定時退社は自発的に成立する!)
「……大将、ママさん、……ありがとうございますわ……! 私、……自分の手で、……『定時』を創り出してみせますわぁぁ!!」
「おう、行ってこい! 煮込みを温めて待ってるぜ!」
「頑張ってね、リリアーナちゃん。次はデュエット、お願いね」
二人の声に背中を押され、私の意識は、再び現実世界の「カオスな空中要塞」へと急浮上していくのであった。




